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お駒さんの笑顔を、私は正面から受け止めた。
「よろしくお願いいたします」
それだけ言って、大広間の襖をくぐった。
四十畳の座敷に、色とりどりの訪問着が並んでいた。
上座に大奥様。脇に百合絵様。親族の方々、分家の御当主の奥様、私の知らない華族の奥様方。将臣叔父様は、葉巻の匂いをさせて末席で胡坐をかいている。
その中に一人だけ、目を奪われる人がいた。
耳の下でまっすぐに切り揃えた黒髪。細く描いた眉に、真紅の口紅。真珠の首飾りを長く垂らした、直線的な洋服。
藤堂麗子様だった。
麗子様は、左手に持った扇をゆっくりと動かしながら、私を値踏みするように眺めていた。
「あれが三人目」
「ずいぶん地味な小紋ですこと」
囁きが、さざ波のように広がる。
侯爵様が、私の隣に腰を下ろした。それだけで、さざ波がすっと引いた。
後ろの壁際には真柴さんが控え、さらに隅に、タキさんが置物のように座っている。
*
お駒さんが、正客である私の前に茶碗を置いた。
黒い楽茶碗の中で、薄茶の泡がきめ細かく立っている。手つきは確かに見事だった。
「どうぞ」
大奥様が、扇の陰から言った。
「お受けなさい」
私は茶碗に向かって、両手をついて一礼した。
そして、茶碗には触れずに、帯の内側から一枚の紙を取り出した。
「お茶をいただく前に、皆様に見ていただきたいものがございます」
座敷が、ざわりと揺れた。
「何の真似です」
大奥様の声が尖る。
「続けさせろ」
侯爵様が、静かに言った。大奥様の唇が引き結ばれる。
膝の上で、指先が冷たくなっていく。四十畳の目が、全部私に刺さっている。
紙を持つ手が震えないように、私は中指のインクの染みを親指で強く押さえた。
私は紙を広げて、畳の上に置いた。
「三人目モ 同ジ道ヲ 辿ル」
切り抜きの文字を見て、奥様方が息を呑む。
「嫁いだ翌日、私の鏡台の引き出しに入っておりました」
「この『道』の字を、ご覧ください」
ルーペを紙の上にかざす。
「しんにょうの撥ねが、欠けております。活字は一本ずつ癖があり、欠けた活字で刷った頁には、どの一冊にも同じ欠けが出ます。これは『婦人の窓』四月号、巻頭の随筆『新しき婦人の道』の見出しから切り取られたものです」
「百合絵様」
声をかけると、百合絵様はびくりとして、それから膝の脇に置いていた二冊の雑誌を持ち上げた。昨夜、私がお願いしておいたのだ。
「あ、あたくしの分と、お母様の分。どちらも、どこも切れていなくてよ」
百合絵様が開いた頁の「道」にも、同じ欠けがあった。奥様方が身を乗り出す。
「このお屋敷で『婦人の窓』をお取りなのは三か所。残る一冊は女中部屋のもので、それは、焚きつけにしたと聞いております」
お駒さんの盆を持つ手が、ぴくりと動いた。
「次に、この紙の裏です」
私は紙を裏返し、障子越しの明るい光にかざした。
「謄写版で刷ったばかりの紙の上に、糊の乾かないうちに置いたのでしょう。下の紙のインクが、裏返しに移っています」
奥様方が目を細める。薄い灰色の汚れにしか見えないはずだ。
「植字工の娘は、裏返しの字を普通に読みます。読み上げます。『四月第二週 当番』『月曜 駒 鈴』『火曜 ハナ 駒』」
「タキさん。女中部屋の柱の当番表を、持ってきていただけますか」
タキさんは、私を一瞥した。それから侯爵様が小さく顎を引くのを見て、黙って立ち上がった。
戻ってきたタキさんは、当番表を私の前に置いた。
そして、その上に、くしゃくしゃに丸めた薄茶色の紙を、そっと並べた。
女中部屋の屑籠から、私の手を払って取り上げた、あの蝋紙だった。
「……これも、お入り用でございましょう」
タキさんは低く言って、また隅に下がった。
当番表の字の並びと、脅迫状の裏の鏡文字を、並べて見せる。字配りが、ぴたりと重なった。
最後に、帯からもう一枚出す。紅で「銀座 千草堂」と刷った、皺だらけの掛け紙。
「数日前、大奥様からと言って、私にお菓子が届きました。私はいただかず、それを食べた女中のお鈴が、下し薬で倒れました。けれど大奥様は、菓子など届けさせていないと仰いました」
大奥様が、硬い顔で頷く。
「この掛け紙は活版ではなく、謄写版の刷りです。線の中に、斜めのヤスリの目が残っています。女中部屋の謄写版の、ヤスリ板と同じ目です。そしてこの蝋紙に、千草堂の『草』と『堂』の字が抜けています」
私は、お駒さんを見上げた。
「あのお菓子を運んできてくださったのは、お駒さんでしたね。あの日、お駒さんの爪の際には、謄写版のインクが残っていました」
*
座敷は、しんと静まり返っていた。
私は黒い楽茶碗を両手で持ち上げ、お駒さんのほうへ差し出した。
「お駒さん。このお茶を、あなたが召し上がって」
お駒さんの顔から、すうっと血の気が引いた。
「わ、私は……」
「点てたのは、あなたです。何も入っていないのなら、飲めるはずです」
お駒さんは茶碗を見つめたまま、受け取ろうとしなかった。
唇が震え、目が泳ぐ。
その目が、救いを求めるように、座敷の一点へ向いた。
「私は、頼まれただけで……」
皆の視線が、お駒さんの目の先を追う。
そこにいたのは、麗子様だった。
麗子様は表情を変えないまま、左手の扇をすっと持ち上げて、顔の下半分を隠した。
「お駒」
大奥様の声が、座敷に落ちた。
「今日限りで、暇を出します。荷物をまとめて、日が暮れる前に出ておいき」
お駒さんが、畳に崩れ落ちた。
将臣叔父様が、手を叩いて笑った。
「こいつは面白え。冬馬君よ、今度のは丈夫なだけじゃなかったな」
誰も笑わなかった。
隣で、侯爵様が立ち上がった。
背の高い黒い影が、座敷全体を見下ろす。
「妻を侮る者は、この家には要らない」
低く、よく通る声だった。
叔父様の笑いが、喉の奥で止まった。分家の奥様方が、顔を見合わせる。
しばらくして、末席に近い年配の奥様が、私に向かって深く頭を下げた。一人、また一人と、それに続く。
上座の大奥様は、扇を閉じたまま、何も言わなかった。けれどもう、私から目を逸らしてはいなかった。
茶会がお開きになると、藤堂子爵夫人は挨拶もそこそこに席を立った。
麗子様は母君の後ろについて広間を出ていく。私の前を通り過ぎるとき、一度だけ足を止めた。
真紅の唇が、何か言いかけて、閉じる。
麗子様はそのまま、洋装の裾を翻して去っていった。残ったのは、甘い舶来の香水の匂いだけだった。
*
その夜、洋館の厨房で、侯爵様が言った。
「あの紙を、なぜ私に見せなかった」
責める声ではなかった。
「……旦那様に、ご心配をおかけしたくなかったので」
本当の理由は言えない。侯爵様は、しばらく黙って卵を割っていた。
「次からは見せろ」
「はい」
「……今日は、よくやった」
思いがけない言葉に、私は顔を上げた。侯爵様は、もう鍋のほうを向いている。
「旦那様が、続けさせろと仰ってくださったからです」
「隣に座れと言っただけだ」
卵がじゅうと鳴った。今夜の卵焼きは、少しも焦げなかった。
侯爵様は、それから、ぼそりと付け加えた。
「書庫の本は、好きに読んでいい。鍵は開けておく」
食事のあと、私は洋館の書庫に入った。
天井まで届く書棚に、洋書と和書がぎっしり並んでいる。電灯の下で背表紙を眺めていくと、一番下の段に、薄い和装本の歌集が何冊か差してあった。
その中の一冊、『白萩集』という題に、なぜか手が伸びた。
萩。和館の二階の、閉め切られた部屋の名前。
頁をめくる。萩の歌ばかりを集めた、女流歌人の歌集だ。
後ろの見返しの余白に、鉛筆の書き込みがあった。
跳ねるような、見覚えのある字。
千鶴さんの字だった。
「栞へ 十二階」
local99
#大人の恋愛
瑠璃マリコ
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コメント
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うおおおおお!!!これめっちゃアガるやつや!!推理パートの解像度がえぐい!!活字の欠け→謄写版のインク移り→当番表の鏡文字って、証拠の積み上げ方がガチでクールすぎて震えたわ。お駒さんが震えながら「頼まれただけで」って麗子様見た瞬間のゾワゾワ感、たまらん。最後の千鶴さんの書き込み「十二階」は次回どうなるんや…侯爵様の「よくやった」が槇尾にじみ出てて、もう尊い。毎日巡回しててよかったわ🔥