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「えっ……ちょっと待って?入れへんってどゆこと?」
俺の声が、がらんとしたアパートの前でむなしく響く。
大家さんが言うには、契約の最終確認ができてなかったとかで、今日から入居できないらしい。しかも「来週まで空きがなくてねぇ」って、さらっと爆弾投下。
いやいやいや、上京してきてまだ5分も経ってへんで?
スーツケース一個で放り出されるこの展開、ドラマでもなかなかないって。
「どないしよ……」
スマホの連絡先をスクロールしながら、頼れそうな人を探すけど……正直、東京に知り合いなんてほとんどおらん。
って思ったら、画面の中に一人だけ、ちょっとだけ気楽に連絡できそうな名前があった。
『目黒 蓮』
仕事では一緒になることもあるけど、プライベートではまだそんなに絡んでない。でも、この前のリハ終わりに「困ったことあったら言えよ」って言ってくれたんよな。社交辞令でも、今はそれに縋るしかない。
俺は震える手でLINEを開いて、メッセージを打った。
「めめ、いま大丈夫?ちょっと相談してもいい?」
すぐに既読がついて、数秒後に返信が来た。
「どうした?何かあった?」
…あかん、泣きそう。
スマホの画面を見ながら、思わず口元が緩む。
東京来てから一番やさしい言葉かもしれん。
俺は、できるだけ必死すぎないように気をつけながら、事の経緯をざっくりメッセージで送った。
アパート入れへんくて、泊まるとこない、って。
「まじか、それはヤバいな。とりあえず、うち来る?」
え。
今、めっちゃさらっと言った?
俺、まだ人生で3回しか会ったことないくらいの相手やで?
あんなクールで人見知りっぽい目黒蓮が、え、家に泊めてくれるって?
いやいや、社交辞令ちゃうん……?でも、ここで断ったら本気で寝るとこないし……
「……ほんまにええの?」
送ってから、既読がつくまでの数秒が永遠に感じた。
でもすぐに返ってきた。
「大丈夫。狭いけど、今一人だし。とりあえず来いよ」
……めっちゃええ人やん。
俺は心の中で感謝しつつ、タクシーを拾って、送られてきた住所に向かった。
到着した部屋は、思ってたよりもキレイで、ちゃんと生活感があった。
靴を脱いで上がると、リビングにはめめが黒いTシャツ一枚でソファに座ってて、冷蔵庫からペットボトルの麦茶を持ってきてくれた。
「おつかれ。とりあえず、座って」
「うん……ありがとな、ほんま……助かった……」
思わずソファに沈み込みながら、麦茶を受け取る。
めめは俺の荷物を見て、ちょっと笑って言った。
「スーツケースひとつって、ガチじゃん」
「うん。家ないから、もうこれが全財産やで。これと夢」
「……そのセリフ、普通にドラマで聞いたら笑うけど、今聞いたら泣けるな」
「俺もちょっと泣きそうやった」
ふたりで笑って、それがすごく安心した。
この東京って街が、ちょっとだけやさしくなった気がした。
―――――――――――――
「おーい、康二、起きてる?」
玄関から聞こえてくる目黒の声で、俺は慌てて寝ぼけた頭を起こす。
「ん、ああ、今いく〜……」
昨日の疲れがまだ残ってるけど、今日はSnowManとしての仕事。遅刻するわけにはいかん。
洗面所で顔を洗いながら、自分の髪の跳ね具合に軽くため息ついた。
「東京、乾燥してるなぁ……」
一人でつぶやきながらセットをして、リビングに行くと、めめはもう出かける準備万端で、ソファでスマホをいじってた。
「ギリギリじゃん。間に合う?」
「間に合う間に合う。俺、関西で鍛えられてるからな、朝の出発は戦いやねん」
「戦い、ね……。じゃ、行こっか」
玄関を一緒に出て、何気ない感じで並んで歩き出す。
だけど俺は、一歩外に出た瞬間からちょっとだけ緊張してた。
『ルームシェアしてるって、みんなにはナイショやから』
理由は単純。
手続きミスでアパートに入れんかったなんて、しょっぴーとかふっかさんにバレたら絶対ネタにされる。
めめのことも巻き込むし、余計な気を遣わせるのもイヤや。
だから、今日も集合場所までは「偶然一緒になった感」を装って、ちょっと離れて歩いた。
「今日の収録、何するんやっけ?」
「ゲーム対決とトーク、あと写真撮影もあるって言ってた」
「おー、がんばろなー」
他愛のない会話。
別に特別な感じもなく、普通の仲間。
今はまだ、ほんまにそれだけ。
でも、こうして朝から隣にいて、自然に話して、
ふとした瞬間に思う。
——あれ?こんなふうに誰かと一緒に暮らすって、案外ええもんやな……って。
だけどその時はまだ、その小さな違和感の正体が
「恋」とか「特別な感情」だなんて、思ってもなかった。
ただのルームシェア。ただの同僚。ただの友達。
……たぶん、今はまだ。
―――――――――
「なあ、康二。シャンプー変えた?」
風呂上がりのリビング。Tシャツにジャージ姿のめめが、テレビを見ながらふいに言った。
「え、なんでわかったん?」
「匂いが違った。前のよりちょっと甘いやつだろ?」
「うわ、なんか恥ずかし……よう覚えてんな」
「いや、風呂入った後、残ってるからさ。嫌とかじゃないよ。むしろ、いい匂い」
一瞬、空気が止まった気がした。
「……ま、まあな?ええ匂いやろ?これ、関西のドラッグストアで特売やっててん」
ごまかすように笑ったけど、なんか心臓の音が変なリズム刻み始めてて焦る。
「そっか」
めめはそれ以上何も言わず、またテレビに視線を戻す。
俺も、なんとなくその場から立ち上がって、キッチンに逃げるように麦茶を取りに行った。
(なんやろ……ただのルームメイトやのに……)
最近、めめのちょっとした言葉とか、仕草とか、妙に気になる。
……いやいや、これは”憧れ”や。あいつみたいにかっこよくて、仕事できて、落ち着いてるやつに対する尊敬。うん、たぶん。
次の日の収録中——
「そういえば康二、最近誰かと一緒に住んでるんじゃない?」
と、ふっかさんがニヤニヤしながら言い出した。
「えっ!?なんでっ!?」
思わず声が裏返った俺に、全員が「えっ」って顔する。
「いや、なんか昨日の夜インスタライブで、知らない男の声聞こえたってファンが言ってたぞ」
「……あー、それ、テレビつけっぱにしてたんちゃうかな!バラエティ流れてたはず!」
必死で取り繕ったけど、めっちゃ冷や汗かいた。
めめは横で無表情のまま、カンペを読んでるふりして笑いを堪えてるし。
(やめてくれマジで……バレたら終わる)
その日一日、ずっと胃が痛かった。
―――――――
夜、部屋に戻るとめめがニヤッと笑いながら言った。
「ふっかさん、鋭いね」
「いや笑ってる場合ちゃう!ほんま気ぃ抜いたらすぐバレるやん!」
「ま、別にバレても問題ないでしょ?ルームシェアしてるだけだし」
「……まあ、な」
「それに……」
「?」
「康二が隣にいるの、ちょっと楽しいし」
——ズルいって、そういうの。
また、心臓が勝手にバクバクし始めた。
——もしかして、これが“好き”なんやろか。
でも今はまだ、その想いに気づくには、ちょっとだけ時間が必要で——
「ただいま」が、「おかえり」に変わる日まで、もう少しだけ“勘違い”しとこうと思った。
――――――――――
休みの日。めめが突然言い出した。
「なあ康二、せっかく東京来たんだし、どっか案内するよ」
「え、マジで?行きたいとこ?えー、渋谷?浅草?それとも……」
「俺が決めていい?」
「……お、おう。まかせるわ?」
なんか嫌な予感したけど、あの目黒蓮がそこまで自信満々に言うなら、逆らう理由はない。
俺はちょっとだけ身構えながら、彼について行った。
で、着いたのが——
「……え、ここ?」
そこにあったのは、看板が半分剥がれかけた、小さな駄菓子屋。
店の外壁、ところどころヒビ入ってるし、ドアもちょっと傾いてるような……?
「東京案内って、こういう感じ?」
「うん。俺が小学生のとき、よく来てた店。まだあって、ちょっと感動したから」
「はああ……渋いな……」
若干肩透かし食らった感じやったけど、めめの顔を見ると、ほんのり嬉しそうで。
(あ、なんかこういうの、ええかも)
気づいたら、俺も自然と笑ってた。
「じゃ、おじゃましまーす」
ギイィ……ってドアが鳴る音も、なんか味がある。
中は昭和感満載。薄暗い店内に、ぎっしり並んだ駄菓子。瓶のラムネ、10円ガム、ヨーグル、きなこ棒……懐かしさ全開。
「うわ、これ!小さい頃めっちゃ食べたやつや!」
「でしょ。俺、いつもこのチョコバット3本買ってた」
「おい、3本買うって、ちょっとリッチやん!」
「誕生日月だけな。普段は2本」
「いや、それでも多いわ!」
ふたりで笑い合いながら、カゴにちまちま駄菓子を入れてく。
最初は驚いてたけど、気づいたら夢中になってて。
チョコの匂い、ガチャガチャの音、紙風船の色合い——全部がなんか、温かい。
「これが……東京案内?」
「うん。俺の東京。康二にも見せたかった」
「……なんかズルいわ、それ」
「ん?」
「俺もさ、東京ってもっとキラキラしてて冷たいんかな思ってたけど……めめと一緒におったら、全然ちゃうなって思える」
「そっか」
「うん。なんか、東京ちょっと好きになれそうやわ」
その瞬間、めめの目がふっと優しくなった気がした。
「……じゃあ、また連れてくよ。俺の好きな東京」
「……うん、よろしく頼むで、“案内人”さん」
——いつの間にか、手に持ってたガムの包み紙が、くしゃって音立てた。
(あかん。今日の思い出、甘すぎて……歯、溶けそうや)
なんてしょうもないこと考えながらも、心の中はポカポカやった。
ただのルームシェア。
ただの休日のはずやったのに——
俺、たぶんまたちょっと、好きになってしまった。
東京と。
めめのことを。
――――――――
Side目黒
休みの日。珍しくオフが合った。
リビングでダラダラしてた康二が、床に転がって「なんか、東京らしいとこ行きたいわ~」ってぼやいたのがきっかけ。
「俺が案内しようか?」
そう言った時、康二の目がちょっと輝いた気がして、内心少し焦った。
(やべ……言っちゃったな)
東京らしいとこ。渋谷とか?表参道?
でもそういう“定番”って、たぶん康二、仕事でいくらでも行くし……何より俺が案内したい“東京”は、そういうんじゃない。
で、選んだのが、子供の頃通ってた駄菓子屋。
正直、見た目はひどい。ボロいし、狭いし、観光地感ゼロ。でも——
「え、ここ?」
って驚いた顔の康二見て、ちょっとおもしろかった。
「昔よく来てたとこ。まだあるんだな、って思ってさ」
素直にそう言えた自分に少し驚いた。
東京の思い出って、俺にとっては“誰かと分かち合う”もんじゃなかった。
ずっと一人で味わってきたものを、初めて誰かとシェアしてる感覚。
それが、思ったよりも悪くなかった。
「チョコバット……3本?ちょ、ちょっと贅沢やな~」
嬉しそうに笑う康二の顔を見て、ふっと胸があたたかくなった。
——こいつのこういうところ、ずるい。
なんでもない会話でも、勝手に心に残る。
駄菓子屋の中を歩く康二は、子供みたいに目を輝かせて、あっちこっちキョロキョロして。
「これと、これと……あー、これも好きやったなぁ!」
って、かごに無邪気に入れていく。
「康二、ガチで買う気じゃん」
「そら買うよ。東京案内の思い出やもん」
そんな言葉に、不意打ち食らったみたいに胸がぎゅっとなる。
(思い出、か)
俺は、こいつに“いい思い出”をあげられてるんだろうか。
ただのルームメイト。
ただの同僚。
でも、気づけば目で追ってる。
ちょっと笑ってるだけで、なぜか安心する。
今日みたいな日が、なんでもない日じゃなくなってきてることに——
そろそろ、自分でも気づき始めてる。
「また連れてくよ。俺の好きな東京」
そう言った時、康二がふわっと笑った。
「……うん、よろしく頼むで、“案内人”さん」
その笑顔が眩しすぎて、ちょっとだけ目を逸らした。
俺、案内してるフリして——
いつの間にか、連れていかれてるのはこっちだったのかもしれない。
康二のこと、もっと知りたい。
もっと隣にいたい。
けどその気持ちは、まだ胸の奥にそっとしまっておく。
今はまだ、“勘違い”のままでいい。
この静かな距離が、ちょうど心地いいから。
——たぶん、今はまだ。
―――――――――――――――――――
ある夜。仕事終わり、コンビニの袋をぶら下げて部屋に帰ると、めめはリビングのローテーブルでパソコン開いて、何か作業してた。
「ただいま〜、はい、お茶買ってきた」
「お、ありがと。ちょうど喉乾いてた」
何気なく受け取って、ふたりで同じペースで麦茶を飲む。
一見なんの変哲もない日常。
でも——
最近、なんとなく考えることがある。
(……そろそろアパート探さな)
きっかけは、マネージャーの何気ない一言。
「そういえば康二くん、仮住まいって言ってたけど、新しい部屋見つかった?」
「……まだ、っす」
あのとき、自分でも気づいてなかった。
なぜかその返事が、喉の奥でひっかかって。
この家、居心地がいい。
めめの生活リズムに自分が自然に馴染んでるのがわかる。
朝はなんとなく一緒に起きて、
夜はなんとなくリビングでまったりして、
仕事の愚痴も、疲れたなぁってため息も、ぜんぶ受け止めてくれる空気がある。
俺、いま——
一人暮らしの準備、する気になれへんねん。
「なあ、康二」
「ん?」
「その雑誌……アパート情報?」
ふと、めめが指差した先。
コンビニで何気なく手に取った情報誌が、テーブルに置きっぱなしになってた。
「あ……あー、うん。ちょっと見てみよかなって思って」
「……そっか」
めめの声が、いつもよりちょっとだけ静かで、心に引っかかる。
「でも、全然ピンと来る物件なくてな。どこも決め手に欠けるっていうか……」
「決め手?」
「うん……なんやろ、便利でも、キレイでも、なんか違う気がして」
「……」
「別にこの家がダメってわけじゃないし、むしろ——」
言いかけて、口ごもった。
“この家が、居心地よすぎる”
なんて、さすがに言えへん。
この関係のままじゃあかんって思ってるけど、
かと言って、終わらせる理由も、ちゃんとは見つかってへん。
「……俺さ、東京出身のくせに…最近まで、東京怖かった」
めめが突然、ぽつりと呟いた。
「知らない人ばっかで、街も大きくて。自分がちっぽけに思えてさ」
「……わかる。俺もそうやった」
「でも、康二が来てから……なんか、笑うこと増えたなって思ってた」
「……めめ」
それ以上、言葉が出てこなかった。
きっとめめも、俺と同じように、
“名前のつかない気持ち”に戸惑ってるんやと思う。
ルームシェア。仮住まい。ただの同僚。
全部、便利な言葉や。
でも、そのどれにも収まりきらんほどに、
今のこの生活は、温かくて、心地よくて——
終わらせるには、惜しすぎた。
―――――――――
いや、だとしても!!だとしてもやで!!いつまでも居座るのは悪すぎる!!
…という事で俺がとった行動。
待ち合わせは新宿のカフェ。
しょっぴーはサングラスにキャップ姿で、いかにも芸能人オーラを消してる風だったけど、隣に座るだけで妙に安心した。
「で、条件は?」
「んー、駅近で、仕事場にアクセス良くて……あと、風呂トイレ別は譲れへん」
「なるほどな、夢見る関西人って感じ。現実教えようか?」
「うわ、いきなり厳しい!」
「お前の理想は都内じゃワンチャン“夢”のほう」
「やめて現実突きつけんといて!」
ふたりで不動産屋を巡りながら、わいわい言い合う時間は、それはそれで楽しかった。
だけど——
内見に行くたび、どこかピンと来なかった。
キレイな部屋でも、日当たりが良くても。
ここで朝起きても、あの「おはよう」が聞こえてこないんやなって思うと、ふっと心に影がさす。
三軒目の内見を終えて、俺としょっぴーはカフェに入った。
駅近の、ちょっとこじゃれたカフェ。木目調のテーブルと、ふわっと香るコーヒー豆の匂いが心地いい。
「とりあえず休憩。康二、歩き疲れた顔してる」
「なあ、ほんまに体力勝負やな、部屋探しって……」
ふたりしてアイスコーヒーを頼んで、ひと息。
しょっぴーがカップを口に運びながら、ぽつんと聞いてきた。
「で、今はどこ住んでんの?」
「……ん?」
「ホテル暮らしってわけじゃないんだろ?さっき“帰ってくる”って言ってたし」
「あ〜、まあ……今はちょっと、友達のとこに居候中やねん」
「ふーん?誰?」
「………いや、普通の、昔からの知り合い。東京出てくる前からちょっと話してて、色々あってほら、そん時、緊急避難的に?」
「一応確認なんだけどお金がない訳ではない?」
「おいおいおい!失敬な!一応関西で稼いだ金があるわ!」
「へぇ~」
しょっぴーは意味ありげに片眉を上げて、ストローをくわえたままにやにやしてる。
「……なんなんその顔」
「いや別に?ただ、やけに歯切れ悪いな〜と思って?」
「……言うほどやないって」
「ふーん。で、その“友達”んとこ、どうなん?」
その言葉に、少しだけ、胸があったかくなる。
「……居心地、ええよ。
静かやし、朝も気を使わんでええし、なんか……なんとなく落ち着く」
自分で言ってて、少し驚くくらい、素直な言葉が口をついて出た。
「……そっか」
しょっぴーは、ちょっと意外そうに笑った。
「康二ってさ、あいからず繊細」
「どゆこと?」
「ちゃんと“落ち着く”とか“気を使わなくていい”って言葉選んでるとこ。そういうの、感じられるくらい余裕できてるって事」
「……うーん、どうやろな。たぶん、余裕もらってる方やと思う」
「ふぅん……」
しょっぴーはコーヒーの氷をストローでカラカラ回しながら、ちょっと視線を逸らした。
――――――――その後俺達はクタクタになりながらなんとか物件を三件程に絞り解散する事となった。
――――――――――
Side目黒
「ただいま〜」
玄関のドアが開いて、康二の声が聞こえた。
ソファに寝転んでスマホをいじってた俺は、顔だけそっちに向ける。
「おかえり。遅かったじゃん、どこ行ってたの?」
「ああ、ちょっと……部屋、見に行っててん」
その一言が、想像よりも重く響いた。
「‥‥‥‥あ、そっか。物件?」
なんとか会話をひねり出す。
「うん。しょっぴーに手伝ってもらって、三軒くらい見たんやけど……まあ、ピンと来んくてな〜。解散して帰ってきたとこ」
康二はスーツの上着を脱いで、椅子にかけながらいつもの調子で話す。
それがむしろ、じんわり胸にくる。
「……へぇ。そっか」
俺は目線をスマホに戻すふりをしながら、画面をぼんやりスクロールするだけ。
指がほとんど止まってるの、バレてないといいけど。
この部屋に康二が来て、何日目だっけ。
最初はほんの数日のつもりだった。助けになれたらそれでいいと思ってた。
でも──気づけば朝が普通にふたりで始まってて、
夜には「おやすみ」って声をかけるのが当たり前になってた。
一緒に笑って、食って、たまに冗談言って。
誰かと“暮らす”って、こんなに自然なことなんだって、初めて思えた。
「……決まりそう?」
「いや〜、もうちょい見てみよかなって。焦ってもしゃーないし」
「……うん」
それ以上、言葉が出なかった。
「このままいてもいいのに」とか、「まだ探さなくても」なんて、俺の口からは絶対言えない。
それを言うのは、ズルいから。
康二が自分で決めたくて、動いてるのもわかってる。
けど。
心のどこかで──いや、たぶん、もっと深いとこで。
「もうちょっとここにいてよ」って、そう思ってる自分がいる。
「なあ、めめ。明日早いんやっけ?」
「うん、ちょっと早い」
「じゃあ、さっさと寝るか。ほら、今日も風呂先入ってええよ」
「……ありがと」
そんなふうに、いつも通りが過ぎていく。
康二が見てる“次の場所”に、俺はいない。
それが少しだけ、寂しかった。
――――――――
レッスンが早めに終わった帰り道。
いつも通る事務所近くの裏道を歩いてたら、ふと見覚えのある声が聞こえてきた。
「……でも、風呂場の段差ちょっと気にならへん?」
「いや、そんな細かいとこ気にしてたらキリないって。全体的には、いいじゃん、ここ」
俺は思わず足を止めて、声のする方を見た。
カフェの前のベンチ。
そこに並んで座ってるのは──康二と、しょっぴーだった。
ふたりしてタブレットを覗き込みながら、画面を指差してはあーでもないこーでもないと言い合ってる。
どうやら昨日見に行った物件をまた見返してるらしい。
「収納もけっこうあるし、職場にも近いし。条件は悪くないと思うけどな〜」
「せやなあ……帰ってくる時に商店街通れるのも、ちょっとええ感じやったし……」
康二の声は、真剣で、だけど少し楽しそうだった。
その顔を見て、胸の奥がきゅっとなる。
こんなふうに悩んで、考えて、前に進もうとしてるんだ。
次の場所を、自分の居場所を、ちゃんと見つけようとしてる。
それが当たり前のことだってわかってるのに──
なんでこんなに、遠くに行くみたいに感じるんだろう。
「家具どうするの?運ぶの?買い直し?」
「たぶん最初は最小限だけ買うわ。あとで揃えたらええし」
「よし、じゃあ引っ越し祝いは俺に任せて。でっかい観葉植物とかどう?」
「いやいらん、それだけは絶対いらん!」
ふたりのやりとりに、思わず笑いそうになる。
でも、その笑いが喉で止まった。
俺は声をかけられず、そのまま少し距離を取って歩き出した。
その後ろ姿に、手を伸ばせば届くくらいの距離にいるのに──
今の康二には、俺がいない未来のことが、ちゃんと見えてる気がして。
「……いなくなる…」
なんでもないようなふりして呟いたその言葉が、自分でも驚くほど苦かった。
―――――――――――
「なあ、めめ」
夜、リビング。
テレビをぼーっと見てた俺の横で、康二が少し真面目な声で話しかけてきた。
「ん?」
「……昨日しょっぴーと相談して決めた物件さ。契約しようかなって思ってんねん」
一瞬、音が止まった気がした。
いや、テレビの音も、外の車の音も鳴ってる。
でも、俺の中だけが急に無音になった。
「そっか……」
なんとか絞り出した声は、思ってたよりも冷静だった。
自分でも驚くくらい。
康二は、真っ直ぐ俺を見てる。
別に謝ってるわけでも、許可を求めてるわけでもない。ただ、報告。
だから俺も、普通の顔で聞かないと。
「いいとこだった?」
「うん。いろいろ見た中で、一番しっくりきてな。広さもちょうどええし、通勤もしやすいし……なんか、“住めそう”って思った」
「……そっか」
二回目の「そっか」は、ちょっとだけ喉がつっかえた。
でも、顔には出せない。出したくない。
だって、それを喜べないのは、勝手だから。
康二はちゃんと前を見て動いてる。何も間違ってない。
それなのに、俺の中にはずっと“居心地の良さに甘えてほしかった”みたいな、子供みたいな気持ちが残ってて。
「おめでとう、良かったじゃん」
そう言って笑った。
作り物の笑顔なんて、すぐバレるかと思ったけど──康二は、ほっとしたように頷いた。
「めめのおかげやで、ほんま。最初助けてもらってなかったら、こんなん無理やったと思う」
「大げさだって」
「大げさちゃうよ。あのときめめが『うち来いよ』って言ってくれへんかったら、俺マジで漫画喫茶とかで寝てたかもしれへんし」
「……まあ、漫画喫茶には負けたくないな」
冗談っぽく返して、ふたりで少し笑った。
でも、その笑いのあとに残った沈黙が、やけに長く感じた。
次の部屋が決まったってことは、
ここを出ていく日が“近づいた”ってこと。
朝起きて「おはよー」って声をかける相手がいなくなる。
帰ってきたら電気がついてて、「おかえり」って言ってくれる康二もいない。
それが、現実になっていく。
「……引っ越し、いつ頃?」
「あさって契約して、来週末くらいには入れそうやって。急やけど、まあ荷物少ないし」
「そっか。手伝うよ、引っ越し」
「ほんま?めっちゃ助かるわ」
康二は何も気づかずに、嬉しそうに笑った。
その顔が、なんかズルいくらい、いつも通りで。
俺は目線をテレビに戻して、笑顔のまま息を吐いた。
聞きたくなかった言葉を受け取って、
それでも何も変わらないふりをするのって、思ってたより難しい。
“そろそろだ”って、そう思った。
この気持ちをごまかしていられる時間は、もうあんまり残ってない。
この続きはnote限定で公開中。
気になる二人の恋の続きはこちらからどうぞ。
笑って、キュンとして、時々じれったい──
あなたのお気に入りのカップリングが、ここにきっとある
続きはこちらから
https://note.com/clean_ferret829/n/nf52cd4ca3510
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