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十月。商店街の銀行の壁に、新しい板が、一枚、増えた。
『相場』
会長が、書いた。十の市の、米一キロの値段。
『商店街 証一枚
木曽 証一枚
諏訪 湖一枚
千葉 魚札三枚
埼玉 米札一枚
群馬 桑札二枚
神奈川 港札一枚半
塩尻 薪札十枚
名古屋 不明
新潟 米札半枚』
「新潟が、安い」瑠衣が言った。
「米の産地だから」会長は言った。「米が多い場所では、米は安い。当たり前よ」
要は、板を見た。
十行の数字。それぞれ違う。米が多い場所では安く、少ない場所では高い。魚が多い場所では、魚札が安い。薪が多い場所では、薪札が安い。
当たり前だった。大剥離の前は、当たり前だった。
でも、二年間、それは、当たり前じゃなかった。米は、どこでも、御殿の倉庫にあった。値段は、御殿が決めた。権田の一言で。
今、値段は、十の市が、それぞれ決めている。各地の物の量で。各地の取引で。
「価格が、戻ってきた」要は言った。
「価格?」
「一つの物に、一つの値段がある。それが、場所によって、違う。違うから、運ぶ人が、儲かる。新潟で米を買って、商店街で売れば、儲かる。儲かるから、運ぶ。運ぶから、値段が、近づく。それが、市場だ」
「それ、大剥離の前と、同じじゃない」会長が言った。
「同じです。でも、一つだけ、違う」
「何が」
「この板は、紙です。会長が書いた。十の市の十人が、飛脚で知らせてきた。一つずつ、顔のある人が。大剥離の前は、画面に、勝手に流れてた。誰が決めたか、わからなかった」
*
十月の半ば、商店街の銀行は、初めて、大きな貸付をした。
借り手は、千葉の漁師町だった。船を、一艘、直したい。大剥離で、燃料が尽きて、二年、港に縛り付けられていた船。帆を張れば、動く。帆を作るのに、証が、四百枚要る。
「四百枚」会長が言った。「商店街の銀行で、一番大きい」
「誰が、借りる」要は聞いた。
「漁師町の、十人。十人が、四十枚ずつ。十人の顔は、飛脚が知ってる。丸が、全員、二十以上」
「何に使う」
「帆。船が動けば、魚を、取れる。今の三倍」
「返済は」
「半年。四百二十枚。魚で。千葉の魚札で」
要は、考えた。
一年前、木曽で、ひかりに、百五十枚を貸した。水車。十人が、十五枚ずつ。ひかりは、半年で、百六十枚を返した。
今度は、四百枚。千葉。二百キロ先。顔を知っているのは、飛脚だけ。
十二条の七条。『遠くの他人に貸すな』。
「……会長。飛脚を、呼んでください」
飛脚は、相模湖の、薪と靴の男だった。丸は、四十二になっていた。
「漁師町の十人を、知ってますか」
「知ってる。三回、手紙を運んだ。十人とも、顔を見た」
「貸して、返す人たちですか」
飛脚は、少し考えてから、言った。
「……八人は、返す。二人は、わからん」
「二人は、どうして」
「一人は、若い。二十歳。丸は二十だが、全部、親父の丸だ。親父が、去年、死んだ。親父の丸を、継いだ。自分の丸は、まだ、ない。もう一人は、酒を飲む」
要は、うなずいた。
「八人に、四十枚ずつ。三百二十枚。二人には、二十枚ずつ。四十枚。合わせて、三百六十枚。足りない四十枚は、二人が、半年後に返したら、貸す」
「それじゃ、帆が、作れない」会長が言った。
「三百六十枚で、作れる帆を、作ってもらう。少し小さい帆を。魚は、三倍じゃなく、二倍半。それでも、今よりは、取れる」
会長は、要を見た。
「……あんた、二年前より、ケチになったわね」
「ケチになりました」要は言った。「木曽で、甲府で、東京で。貸した金が返ってこないときの顔を、何度も見た。ひかりが、十人の顔を毎日思い出してたように」
*
三百六十枚の証が、封蝋で、千葉へ送られた。
三つの蝋。一つ目は、権田の枕元の男。二つ目は、会長。三つ目は、要。一ノ瀬の遺言どおりに。
同時に、画面でも、送った。鷺沼の部屋から。千葉の漁師町には、画面はなかった。でも、千葉の市には、一台だけ、あった。発電機と一緒に。
一分で、画面が届いた。五日で、紙が届いた。
照らした。合っていた。
赤い窓は、赤くならなかった。
十一月、千葉から、手紙が届いた。蝋で封じてあった。漁師町の十人の印。
『船が、動いた。帆は、小さいが、風を受けた。初日、魚を、二年ぶりに、沖で、取った。十人で、分けた。二十歳の小僧が、泳いだ。親父の船だった』
要は、手紙を、二度読んだ。
『二十歳の小僧が、泳いだ』。
その一行は、仕組みのどこにも、書いていないことだった。
「……つむぎ」
つむぎは、商店街の銀行の奥で、休んでいた。瑠衣の穴のリストの、十九番。『つむぎを、休ませる』。一ヶ月、休んでいた。
「何」
「千葉の、二十歳の小僧が、泳いだそうだ」
つむぎは、手紙を受け取った。読んだ。
「……顔、見たいな」
「見に行くか」
「行かない。休んでるから」つむぎは、少し、笑った。「でも、思い浮かべられる。二十歳の、親父の船に乗った、小僧の顔」
要は、何も言わなかった。
壁の相場の板に、会長が、一行、書き足していた。
『千葉 魚札二枚』
三枚から、二枚に。魚が増えて、魚が、安くなっていた。
コメント
1件
第77話、読み終えたよ〜!😭💕 「価格が戻る」ってタイトルからしてエモいけど、値段が場所で違うって当たり前のことが戻ってきたのが沁みた…。そして要がケチになったって会長に言うシーン、過去の貸し倒れの経験があってこその重みがあってグッときたね…。飛脚が「八人は返す、二人は分からん」って正直な評価するのもリアルだし、そこから三百六十枚に調整する調整案に感動した…「二十歳の小僧が、泳いだ」の一文、つむぎと共有して「顔見たいな」で終わらせるところがもう、この物語の優しさの塊だった…。相場板も千葉が魚札二枚になったのも静かな希望💐✨ (200字ピッタリくらいだけど、熱量抑えきれなかった…ごめん!でもそれだけ響いたってことだよ!)