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密室に、二人きり。目の前には、無防備に目を閉じている大好きな人。
部屋に着けば、流石にいつきさんも目を覚ますかもしれない。そうなったら、もう……。
「……ちょっとだけ」
まだ「好き」だと言われたわけじゃない。さっきの言葉だって、告白だったのかどうか今考えるとあやふやだ。
もし、あれが勘違いだったとしたら。もう二度と、こんなチャンスは来ないかもしれない。
ちゅっと、微かな音を立てて。
いつきさんの薄くて綺麗な唇に、自分のそれをそっと重ねた。
……やだ! 僕、意識がない相手に何してんの!? 犯罪じゃん!!
「……ん?」
「……っ! ごめんなさい! あの、部屋番号が分からなくて! あと、部屋の鍵ありますか!?」
ゆっくりと瞼を持ち上げたいつきさんから、慌てて顔を背ける。
やばい、罪悪感で直視できない。顔が火を噴きそうに熱い。
「……あ、ごめんなさい。俺、また悪酔いしちゃいました……?」
「本当に毎回、上司に怒られるんだよなぁ」とぼやきながら、いつきさんがゆっくりと立ち上がる。
よかった……! バレてない! セーフ!!
「お疲れだったんですね。僕、これで帰ります。目が覚めて安心しました」
大丈夫。何事もなかったみたいに話せてる、はずだ。
早く帰りたい。一刻も早く一人になって、この唇に残った余韻にどっぷりと浸りたい。
「本当に、ごめんなさい! あ……もしよかったら、今から部屋で飲み直しませんか? 明日、定休日ですよね?」
行きたい! 死ぬほど行きたい!!
でも、今のこの「甘いパニック」を噛み締めるために、早く帰りたい自分もいるんだ。
「……定休日といっても、家仕事が溜まっているので。いつきさん、お疲れみたいですし、お酒はまた改めて」
「……そうですか。じゃあ、またLINEします」
「はい。おやすみなさい」
「……おやすみなさい、ゆうたさん」
エレベーターの扉が閉まるまで、いつきさんはずっと手を振ってくれていた。
優しい。かっこいい。最高。
肩を貸して歩くのは大変だったはずなのに、今はもう「ラッキーだった」としか思えない自分がいる。
「……定休日に合わせて、飲む日を決めてくれてたんだ」
きゅんきゅんと胸が締め付けられて、どうにかなりそうだ。
それにしても、肩を貸した時のいつきさんの体……しっかり筋肉質で、すごく綺麗だった。あのスーツの下に、どんな裸が隠されているんだろう。
今日、誘われるがままに部屋に入っていたら。お酒に弱いいつきさんのことだから、あんなところやこんなところまで、見られたかもしれないのに。
……でも。
きっといつきさんからしたら、デザイナーである僕から聞きたい仕事の話が山ほどあったんだろうな。僕だけが、こんなに不純なことばかり考えて。
それから、一週間。
一通の連絡もなく、僕はどん底にいた。
もしかして、あの「ちゅう」が実はバレていたのか。それとも、誘いを断ったのが失礼だったのか……。
「……こんにちは、ゆうたさん! この間は、本当にすいませんでした!」
不意に店のドアが開いて、聞き慣れた明るい声が響く。
一週間の悩みなんて一瞬で吹き飛ばすような、眩しい笑顔がそこにあった。
モヤモヤしていたところに、スーツの上着を腕に引っ掛けたいつきさんがお店に突撃してきた。
よかった……。僕、嫌われてたわけじゃなかったんだ。
「いや、全然! 僕は楽しかったです。いつきさんをお部屋まで送り届けるミッションは、完遂できませんでしたけど」
「……本当に、記憶がなくて。俺、失礼なことしませんでしたか? 自分で誘っておいて、飲み代もタクシー代も払ってもらっちゃって……。なんて謝ったらいいか迷ってたら、こんなに時間が経っちゃって。本当に、ごめんなさい!」
深く頭を下げるいつきさんに、なんだか気まずい空気が流れる。
……っていうか。いつきさん、シャツが汗で少し透けてる。
そんなの目のやり場に困るし、不謹慎だけどめちゃくちゃエロい。
「ほんま、この人お酒入るとヤバいでしょ? 僕と初めて飲んだ時も家までついてこられて、シャワーも一緒に入ろうって突撃してくるし、ちんこ丸出しで部屋の中歩き回るし。もう大変やったんですから!」
え……。
いつきさんの後ろから、関西弁の「可愛いの」がひょこっと顔を出した。
なに、今の……。めちゃくちゃマウント取られてる?
「こら、しゅうと。うるせぇ、黙ってろ」
「……この人、僕の妹の婚約者なんです。婿養子に入ってもらって、僕の代わりに将来社長になる人なんです。だから、これ以上関わるのやめてもらっていいですか?」
「……え?」
いつきさん、恋人はいないって言ったじゃん。
なんで僕に嘘をついたの? 僕を可哀想だと思ったから合わせてくれただけ? それとも、婚約者は「恋人」にはカウントされないっていう考えなの……?
「何言ってんだよ。しゅうと、その話はこないだしただろ?」
うわ、いつきさん、めちゃくちゃ焦ってる。
もしかして、あれって全部「酔ったフリ」だったの? 僕をたぶらかして、仕事のノウハウをタダで聞き出して、利用するだけしたら捨てるつもりだった?
でも、社長になるような人が、僕みたいな小さいお店のことなんて知って何の得があるんだ……?
「……なぁんて、まぁ全部嘘ですけど! 僕、しゅうとです。いっちゃんが『ゆうたさんにどうしても会いたい!』って言うから、無理やり一緒に連れてこられました」
「いや、お前が勝手についてきたんだろ。こっちはどう謝ろうか、緊張でそれどころじゃないのに!」
「はぁ!? 一人で会うの怖いって、俺の前でメソメソ言ってたじゃないですか! あれは絶対に『ママ、一緒についてきて!』っていう意思表示でしょ?」
「誰がママだよ。こんなお喋りなママこっちが願い下げだわ」
「……ふふっ。お二人は、仲良しなんですね」
なんだろう。二人の空気感に、全然入っていけない。
こないだは人数も多かったし、みんな仲が良さそうだったから気にならなかったけど。
萩原なちち