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#御曹司
うめぼっち

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鷹槻れん/鷹槻うなの

36,051
#白い結婚
夕凪ゆな
373
うめぼっち

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正月の注文は、二百を超えた。
十二月二十六日から、工房は朝三時に火が入った。年末は、定休日の月曜も開けた。源さんが豆を見て、ことはが餡を炊き、母が包み、父は椅子に座って椀を拭いた。立つな、と源さんが言う。父は椀を拭きながら、文句を言った。餡が甘い。豆が硬い。源さんは聞いていなかった。聞いていない顔で、豆を一分長く置いた。
遼は、二十六日の朝から大阪だった。出張。三日間。芘沢がそう言った。ことはは、聞かなかった。聞かなくても、芘沢は言う。
「朝一さん、来てないわよ」
二十七日の朝、母が店先から戻って言った。
「昨日も、今日も。風邪かしらねえ。何年も、こんなこと」
ことはは、餡を練っていた。手は、止まらなかった。止まらない手の中で、数えていた。二十六日。二十七日。遼が大阪に行った日と、その次の日。
二十八日の朝も、来なかった。
二十九日の朝、母が言った。
「来たわよ、今日は。いつものとおり。二百三十円、一つ」
二十九日。遼が大阪から戻った、次の朝だった。芘沢は、昨夜の遅い便で戻られました、と言った。
ことはは、へらを置いた。
置いて、手を洗った。小豆の色は、落ちない。落ちない色を見ながら、三日のことを考えた。考えないことにしようとして、できなかった。
三日来なかった人が、三日目の次の朝に来た。それだけだ。風邪かもしれない。旅行かもしれない。何年も毎朝来る人が、三日休むことは、ある。
ある、と思うことにした。それが、できなかった。
「ことは。餡」
源さんの声で、手が戻った。鍋の火を見た。餡は、まだ大丈夫だった。父が椅子から、「甘い」と言った。源さんは、聞いていなかった。
◇
蓮田が店に来たのは、二十九日の昼だった。
鞄を抱えて、店先で母に頭を下げ、ことはが出て行くと、もう一度深く下げた。いつもより、深く。
「異動になりました。年明けから、郊外の店に」
「……郊外の」
「催事部から外れます。課長の、ご判断で」
ことはは、蓮田を見た。青い顔。鞄を抱える手。
「わたしのせいで」
「違います。僕が、送らなかったからです。送らなかったことを、課長は知らないはずですけど、たぶん、分かっています。あの人は、そういうところは」
蓮田は、鞄を抱え直した。
「それで、最後に、お伝えしておきたくて」
「はい」
「課長は、春の催事から柊屋さんを外す段取りを、もう進めています。春の看板は、松月堂さんになると思います。それと――本家で、何か決めるって、聞きました。年明けに。何かは、分かりません」
本家で、何か決める。
ことはは、頷いた。頷いて、蓮田に頭を下げた。
「蓮田さん。あなたが止めてくれたから、一枚で済みました」
蓮田は、顔を上げた。
「……一枚で、済みましたか」
「済みました。夜会で、社長が、表紙だけでは何も言えないと」
蓮田は、鞄を抱えたまま、少し笑った。初めて見た顔だった。笑って、頭を下げて、商店街を歩いて行った。背中は、まっすぐだった。
母が、店先から出てきた。
「あの人、辞めるの?」
「異動。郊外の店に」
「……感じのいい人だったのに」
母は、蓮田の背中を見送った。ことはも見た。郊外の店。課長の判断。送らなかったことの、代償。ことはの店のために、一人の人が、勤め先を変えられた。それも、店のことだった。店のことなのに、ことはは、何もできなかった。
◇
夜、玄関の扉が開いた。
九時過ぎ。ことはは廊下に出た。遼が、コートのまま立っていた。大阪から戻った日の、次の夜。手に、紙包み。
「出張、お疲れさまでした」
「……ああ」
遼は、ことはの顔を見た。見て、何かを探すような目をした。ことはは、何も言わなかった。三日来なかった人のことを、この人に聞くことは、店のことではない。
ことはを見た。見て、紙包みを突き出した。
「開けろ」
ことはは、受け取って、開けた。
革の手袋だった。黒い。女の手の大きさの。
「……これは」
「朝が冷える」
遼は、コートを脱ぎながら言った。
「手が、商売道具だろう」
ことはは、手袋を見た。黒い革。柔らかい。遼の手袋と、同じ色。
商売道具。遼は、ことはの手をそう呼んだ。小豆の色の残る、荒れた、やけどの跡の残る手を。
「大阪で、買ってきてくださったんですか」
「関係ない」
言いながら、遼は手袋の紙包みを、ことはの手の上で一度直した。はめやすい向きに。
遼は、階段を上がった。上がりながら、振り返らずに言った。
「店は」
「正月の注文が、二百を超えました。全部、作ります」
「……作れ」
扉が、閉まった。
ことはは、手袋を手にはめた。右手。左手。合っている。大きさが、ぴったりだ。手の大きさを、知っている人が選んだ大きさ。
芘沢が、台所から顔を出した。手袋を見て、言った。
「坊ちゃまは、大阪からお戻りになってから、何も召し上がっていません」
それだけ言って、頭を下げて戻る。
三日、来なかった。四日目の朝に、来た。大阪から戻ってから何も食べていない人が、手袋を買って帰ってくる。
ことはは、手袋をはめたまま、玄関に立っていた。革の匂いがした。
コメント
1件
うおお…第23話、めちゃくちゃ沁みたわ…。 朝一さんの“三日来なかった”と、遼が大阪で買ってきた手袋が重なるの、反則だろ。遼、何も食わずに帰ってきて、ことはの手に合わせた革手袋を差し出すんだぜ…「関係ない」って言いながら直す仕草、解像度高すぎる。蓮田さんの異動も含めて、静かな怒涛のエピソードだった。ことばの手の“商売道具”って呼び方も痺れる。続き、待ってる🔥