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「……さ、た…く」
喉の奥に熱い鉄を流し込まれたみたいに、言葉が形を失っていく。
俺は電話ボックスの壁を拳で叩いた。
ゴン、ゴンという鈍い音が、今の俺のぶ厚い手の甲を通じて響く。
「嫌だ……こんなの、俺じゃない……!」
俺は夜の街を狂ったように走り出した。向かう先は一つ。
SNSで見つけた「もう一人の佐藤タクミ」がアップしていた、俺の、本当のマンションだ。
あいつに会えば。あいつの面を拝んで、
その喉元を締め上げれば、この悪夢は解けるんじゃないか。
「ハァ、ハァ……ッ!」
建物の前に着く。
402号室の窓に明かりが灯っている。
あそこには、俺が愛用していたソファがあり
俺が揃えた食器があり、そして……
俺の顔をした「何者か」がくつろいでいる。
俺はエントランスのインターホンを猛烈な勢いで連打した。
『……はい、どなたですか?』
スピーカーから流れてきたのは、聞き慣れた、紛れもない「俺の声」だった。
落ち着いていて、少しだけ眠そうな、半年前までの俺の声。
「開けろ! 出てこい! そこは俺の部屋だ! 俺の人生を返せ!」
俺はカメラに向かって怒鳴り散らした。
モニターに映っているのは、右目に醜い火傷の痕があり
無精髭を生やした、薄汚れた作業着の中年男だ。
『……坂上さん? またあなたですか。もう関わらないでくれと言ったはずだ』
「何を言ってる! 俺だ、佐藤タクミだ! お前こそ誰だ!」
『……悲しい人だ。あなたは自分を捨てて、俺の場所を奪おうとした。でも、世界はそれを許さなかった。……諦めてください、坂上さん。あなたはもう、あそこで待っている奥さんのところへ帰るべきだ』
「ふざけるなッ!」
俺はエントランスのガラス扉を体当たりで破ろうとした。
だが、その時、背後で鋭いサイレンの音が響いた。
「動くな!警察だ!」
数人の警官が俺を取り囲む。
「離せ! 俺は被害者だ!あいつが俺の家を盗んだんだ!」
暴れる俺の腕を、警官たちが無情にねじ上げる。
「坂上さん、いい加減にしてください。奥さんからも捜索願が出ています。……自分の名前も忘れるほど、仕事が辛かったんですか?」
警官の目が、憐れみに満ちていた。
その瞬間、俺の視界の端に、マンションのベランダから見下ろす「俺」の姿が見えた。
あいつは、優雅にコーヒーカップを手に持ち
まるで厄介な野良犬を見るような冷めた目で、連行される俺を見つめていた。
パトカーに押し込まれる寸前、俺は自分のポケットを探った。
指輪、美咲の指輪。
これさえあれば。
だが、指先に触れたのは、冷たいプラチナの感触ではなかった。
取り出したのは、錆びついた真鍮の、安っぽい「ペアリング」だった。
内側には、俺の知らない筆記体でこう刻まれていた。
『Takeshi to Misaki』
タケシ。坂上剛
俺が必死に守り抜こうとした「佐藤タクミ」の残滓は、もうどこにも残っていなかった。
俺の脳裏から、美咲と行った遊園地の記憶が消え
代わりに、知らない女と四畳半の部屋で安い発泡酒を飲む記憶が、鮮明な色彩を持って溢れ出してきた。
「あ……ああ……」
俺は抵抗をやめた。
坂上剛としての絶望と、貧しさと
そして彼女への拭いきれない執着が、俺の心を真っ黒に染め上げていった。
#ダークファンタジー