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季節は巡り、君と出会った日からもうすぐで5年が経とうとしていた。大通り沿いに埋められた木々は衣を失い、都会にたむろするコンクリートジャングルは白い帽子を被っておめかしをする。テレビで見たニュースによると、明日からここ数年で一番の寒波が到来するらしい。


「もうすぐ、記念日だね。」

「記念日…?そっか。もう、そんな時期なんだね。」


ここのところ、君は物覚えが少し悪くなってきている。医師によると、薬の副作用の影響らしい。稀にではあるが、長年薬を飲み続けていると認知症に似た症状が表れることがあるそうだ。通常であれば、薬の効いている時間を過ぎれば症状は緩和され、普段の認知能力が戻ってくるらしい。しかし、ここのところ君の症状は日を増すごとに酷くなっている。目安として医師から提示された摂取量では満足することができずに、気付けば多量摂取を繰り返す。気付けば薬の効いていない時間がないほどになり、君の症状はさらに悪化するばかりだった。


「今日はなんだか落ち着いているね。お薬、飲んでないの?」

「うん。今日はやめておこうって思って。」

僕に優しく微笑む君。すっかり痩せかけた頬。目の下にできた大きなクマ。君の姿は僕らが出会った頃からはすっかり変わり果ててしまっていた。

「あまり無理はしないようにね。」

「ありがとう。私、大丈夫だよ。」

そう言って、また君はわざとらしく僕に笑いかける。窓の隙間から溢れる風の音が止むまでのほんの少しの間、心の奥にしまい込んだ感情を確かめるかのように、じっと見つめ合う二人。

「作り笑いなんかしなくたっていい。大丈夫っていう人に限って、決まって無理をしているんだ。僕の前では、無理なんかしなくたっていいんだよ。」

そっと俯き黙り込む君。テーブルに置いてあるみかんをただ一点に見つめて深く深呼吸をすると、わざとらしく大きな声で話し出した。

「私、大丈夫!だから、心配しないで!そうだ!気分転換に焼肉でも食べに行かない?なんと今日は大サプライズ!今日は私がご馳走しちゃうよ?」

今できる限りの、精一杯の強がりなんだろう。

「ほら。また大丈夫じゃないのに、無理して強がったでしょ。」

君はまた俯き黙り込む。今度は一向に話し出す気配がない。

「大丈夫っていう言葉ってね、怖い言葉なんだよ。」「どういうこと…?」

突然僕の方を向いて口を開く君。興味を持ってくれたようだ。

「大丈夫っていう言葉ってね、ネットとか、強い人たちは決まって魔法の言葉ってよく言うんだ。」

「うん。私もそうだと思ってた。」

「うん。でもね、本当は違うんだ。そうやって大丈夫って乗り切れる人たちってね、人生楽しい!とか、なんとかなる!って思っている人たちばっかりだと思わない?」

「たしかに…。そうだよね…。」

「誰もがみんなそんな人間になれるわけじゃないんだよ。大丈夫は魔法の言葉だよっていう人間はみんな、元から大丈夫な人か、辛いことを乗り越えられた人。みんな強い人たちなんだ。」


「………。」


君は一点に窓の外に降り注ぐ白い結晶を見つめながら、小さく頷きながら僕の話に耳を傾ける。

「大丈夫じゃない人が大丈夫だって言うと、自分の心に嘘をつくことになる。そうやって嘘をつき続けた心は、知らないうちにどんどん小さな傷がついていく。傷はいつしかひびに変わって、ひびが溜まって限界を迎えた心は、いつの間にか砕けてしまうんだ。僕は、君にそうなってほしくない。だから、僕の前では無理して笑わなくていい。嘘をつかなくていい。」


「………。」


「辛い時には、泣いていいんだよ。精一杯泣いて、泣き疲れたなら休んだらいい。泣けるだけ泣いて、落ち着いた時に心から笑えばいい。作り笑いは自分を苦しめるだけだ。もう君は充分苦しんだんだ。これ以上に苦しむ必要なんてないんだよ。」

君の瞳から一滴、二滴と雫が零れ落ちていく。

「私…。本当は辛い…。自分が憎くて憎くてしょうがない…。」

今までずっと黙っていた反動からなのだろうか。君の口からは、次々と言葉が溢れてきた。

「私…本当は薬が嫌いなの…。薬に頼ってしまう自分だって大嫌い。薬のせいで、君との思い出をどんどん忘れていく。君との記念日だって、ついさっきまで忘れてしまってた。このまま薬を飲み続けたら、きっと君のことがわからなくなる。だから、私もう薬なんて飲みたくない。私の心から君が消えたら、もう私生きていけない。」


「………。」


これが、君の本当の心。本当の感情。君の言葉を聞いているだけで、辛くて、苦しくて、胸が押し潰されそうになる。君の抱えていた感情が僕の心に流れ込んでくる。


「私…辛い…。もう死にたい…。薬を飲んでも、飲まなくても、ずっと苦しい。飲んだら君を忘れちゃいそうで辛いの。でも、飲んでない間はどうしようもなく死にたい気持ちが湧き出てくるの。そんな気持ちをぶつける先もなくて、いっそ君を殺して私も死のうとして何度も君を殺そうとしたことだってある。こんなの…もう耐えられない。」

窓の外に降り注ぐ雪を背景に、君の肩を揺らしながら息を吸う音、震える声だけが部屋中に響き渡る。僕は君の気持ちにこれっぽっちも気づいてあげられなかった。君が初めて死にたいと言った日、いや。それよりも前。出会った時からずっと、僕は君に寄り添って二人で助け合いながら生きていくと決めたはずだった。でも、君を理解したつもりになっていただけだったんだ。君のことをなにもわかっていなかった。辛い時に支え合おうと言っておきながら、僕は君に無理をさせていただけだったんだ。

「ごめん。」

気の利いた言葉をかけたい気持ちとは裏腹に、君にかける最適な言葉が出てこない。なんのための脚本家なんだ。僕の語彙力なんてその程度なのか。不甲斐なさと申し訳なさで強く拳を握り締める。爪が食い込んで血が滲むほどに強く。その手は激しく震えていた。

「なんで…?君が謝る必要はないんだよ…?悪いのは全部私なの。私がただ我慢すればいいだけの話なの。私が…強くなればいいだけの話なの。だから、君は謝らないで。」

そう言いながら、君は僕の手をそっと包み込んでくれた。これではどちらが慰められているのかわからない。気付けば、僕の瞳からも一筋の涙が溢れ出していた。

真っ暗な部屋。月明かりとビルの窓から漏れる灯りだけで照らされる部屋。君にかけるべき言葉が見当たらずに、ただ残酷に時だけが過ぎていく。二人のすすり泣く声だけがこだまする部屋。君と僕との二人だけの部屋。

時間が経てば経つほどに、闇は深くなっていく。君の抱える深い闇も、この空と同じだ。ただひとつ違うことは、空にはいつか必ず陽が昇り、朝を迎える。あと五、六時間もすれば、今日も朝を迎えるだろう。でも、君が抱えている夜はいつ明けるのかわからない。君は今までずっと、いつか明けると信じて戦ってきた。けど、5年が経とうとしている今でも、君は辛いままだ。君はずっと一人で、自分の心の中で騒ぎ続ける真っ黒な感情と必死に戦ってきたんだ。

一分、十分、一時間、二時間と時計の針はただひたすらに過ぎていく。次第に窓から溢れていた灯りは輝きを失い、二人の泣き声が静まる頃には月明かりだけが僕らの部屋を照らしていた。

「もう…充分だよ…。」

数時間経って僕の口から出た言葉は、ただそれだけだった。この先も君と一緒に暮らしていきたい。二人で生きていきたい。その気持ちは決して変わらない。ただ、その選択をすることは、きっとこの先も君を苦しめ続けることになる。

「え…?」

涙の所為で赤く大きく腫れ上がった瞳で、僕の顔を一直線に見つめる。

「もうこれ以上、苦しむ必要なんてない。」

また君の瞳から大粒の涙が溢れ出す。口を必死でつむぎながら、涙がこぼれないように月を見上げる。

「辛かったよね。苦しかったよね。ごめんね。気づいてあげられなくて。」

耐えきれなくなった君は、顔を両手で塞ぎ丸くうずくまり、泣き崩れる。


「もういいんだ。もう…終わりにしよう。」


月明かりだけが僕らを照らす二人だけの世界。誰も僕らの味方なんてしてくれない世界。神ですら僕らを見放してしまう冷酷な世界。僕らはこの日、この世界を抜け出して、二人だけの世界。ふたりぽっちの世界へいこうと決めたんだ―――。


「僕ら二人で、こんな理不尽な世界から抜け出すんだ。こんな世界にいたって、君が辛い思いをするだけだ。」

「抜け出すって…一体どうやって…?」

顔を覆い隠した指の隙間から、僕の目を見て問いかける。

「知ってる?愛し合っている男女が崖から身を投げたら、ふたりぽっちの世界に生まれ変われるんだ。」

僕はこのとき、出会ってから今まで過ごしてきた中で、初めて君に嘘をついた。根も葉もない真っ赤な嘘。そんな話聞いたことがない。そのはずなのに、次々と口から嘘が溢れていく。

「そのふたりぽっちの世界ではね、二人以外には誰もいないんだ。誰にも邪魔されずに、誰も恐れずに、ただ二人だけの幸せな時間が流れていく。しかも、病気だって存在しない。君がずっと抱えている辛い病気だって、何も気にしなくたっていいんだよ。ただ、二人で笑って、美味しいものをたくさん食べて、たくさん好きなものを買って、たくさんデートをするんだ。」

君が楽になれるなら、僕は死んだって構わない。君にもう一度生きてみようと言ったのは僕だ。僕が君を苦しめてしまったんだ。君が死にたいと言った日から、僕の覚悟はとうに決まっていた。だからせめて、君が少しでも楽にいけるように。残された僅かな時間も楽しみを抱いて過ごせるように、僕は君に嘘をつく。嘘にも悪い嘘といい嘘があるんだってどこかで聞いたことがある。これは、偽善振りかざしている世の中の人間たちから見たら悪い嘘なのかもしれない。でも、少なくとも、君にとってはいい嘘なんだと僕は信じたかった。

「いいね。それ。私もそんな世界…住んでみたい…。」

「でしょ?いこうよ。ふたりぽっちの世界。僕ら二人で。病気だって、辛い過去だって全部忘れて、ずっと幸せに暮らすんだ。」

「うん…。ありがとう…。本当に…ありがとう………!」

君の口から出た『ありがとう』という言葉は、今まで僕が聞いてきたどんな言葉よりも重くて、どんな言葉よりも心がこもっていた。

君を不安にさせないようについた嘘。君を苦しませないようについた嘘。きっとこのとき、君は僕の嘘に気づいていたんだよね。気づかないふりをしてくれていたことが、今ならわかるよ。君は本当は気づいていながらも、気づいていないふりをして嘘をついた。そのおかげで、僕も救われていた。

「私たちがやりたかったこと…もうすぐ全部終わっちゃうね。ごめんね。全部叶うかもしれないのに、私は何も変われなかった。生きていく勇気が私にはなかった。どうせなら、全部叶えた後でいこうよ。ふたりぽっちの世界に。」


僕らがやりたかったこと。そのほとんどはなんとか叶えることができた。残っているのはあと二つ。

君と初めて手を繋いだ場所。ずっと忘れられずに、心の奥底に思い出が眠っているあの星空をもう一度見に行くこと。

そして、もう一つ。君と僕の物語を映画にして、大きな映画館を貸し切って二人きりで見に行くこと。いつしかこの映画を作るということは、僕の夢になっていた。

この夢を叶えるのに、いつまでかかるかもわからない。いつまでもずっと叶わないままかもしれない。そんな葛藤を抱きながら、僕の夢に君を巻き込むことなんてできなかった。


「なんで…?なんで…そんなこと言うの…?」

僕の肩を両手で掴みながら、必死に訴えかける。「だめなんだよ。この夢は。いつまで経っても、叶いっこない。もし叶うことがあったとしても、とてつもなく長い年月がかかってしまうかもしれない。僕はこれまで何年もかけて、必死に脚本を書いてきた。でも、いつまで経っても完成する見込みすら立たない。僕には、才能がないんだ。」

「そんなことない!初めて君の書いた話を読んだときにね、私直感で感じたんだ。君には才能がある!私、素人だし、うまく説明できないけど…演劇のこととかも、映画のこととかも、全然わからないんだけど…君は絶対に成功させてくれる。夢を叶えてくれる。私はそう信じてる!心から信じていれば、きっとどんな夢だって叶う日が来るよ!」

「ありがとう…。君の気持ちは嬉しいよ…。本当に嬉しい…。今まで頑張って脚本を書き進めてこられたのは、間違いなく君のおかげだよ。正直、もし君が側にいてくれてなかったら、とっくの昔に諦めていたと思う…。でもね。これ以上僕の夢のために君を巻き込むわけにはいかないんだ…。これ以上、君を苦しめたくない。これ以上、君が苦しむ姿なんて見たくないんだ…。」

「だめだよ…。そんなの…。諦めちゃったら…だめだよ…。」

今日は泣いてばかりだ。明日にはきっと、二人とも目が大きく腫れ上がっているだろう。どうせなら、綺麗な姿でいきたかったな…。僕らの味方なんていない冷酷な世界で過ごす最後の一日。別に何も惜しむことなんてない。特別なことをする必要だってない。これからは、この先ずっと、永遠に君と二人の時間が流れていくんだ。いつも通り平凡に過ごして、ただ最後に君と星を見に行こう。それだけでいい。


気付けば、いつしか僕は君についた嘘を信じようとしていた。心から信じていれば、いつか必ず叶う日が来る。君がいってくれた言葉。君と僕だけの二人ぽっちの世界で幸せに暮らす夢。この夢も、きっと信じていれば叶うはずだ…。

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コメント

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ひぇ…二人とも、私から見ればどっちも悪くなくて、互いに本当に愛し合ってたのに…悲しいなぁ… この後のことも考えるとさらに哀しくて、切ないな。 二人にはどうか救われて欲しい。 たとえどんな手段でも、正しくなかったとしても。 続きを正座待機<(._.)>

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