「遅いですよー朝音さん」
「お、遅いって。指定された時刻、まだなってない、じゃん」
待ち合わせ場所に、ゆず君が見えたため、坂を全速力で駆け上がってきたのに、文句言われた。
約束の時間より、十分くらい早いはずなんだけど。それでも、そんなに早く来たのに文句言われるのは、ちょっと理不尽だと思う。
そんな風に息切れしながら、俺は反論していた。
しかし、ゆず君は俺を見て「体力つけた方が良いですよ」と、笑う。これくらいでは、別に切れないが、ゆず君は人のこと言えないんじゃないかと思った。
(小説家って言ってたけど、本は一冊しか出せてなくて……今、新しい公募に向けて書いている途中みたいなこと言ってたし……)
バイトもしている感じじゃないし、じゃあ、どうやって生活してるの? と疑問が上がってくる。これは、聞いて良いのかなあ、なんて思いながら、ゆず君を見ていれば、ん? とでも言うように小首を傾げていた。
「あ、あの……さ、ゆず君は何かスポーツとかしてるの?」
「スポーツはしてませんけど、それなりに体力のいる仕事はしてましたかね」
と、ゆず君は答えてくれる。
その言い方から推察するに、今はやっていない、ということだろう。スポーツじゃない、体力のいる仕事とは。俺はこれまた考えたが浮かんでこなかった。
路肩仕事とか? でも、ゆず君の体格からは想像できないんだよなあ。
「僕の仕事気になります?」
「え、まあ……だって、今仕事してないんでしょ? どうやって、生活してるのかなあとか……あ、いやね、凄く心配って言う意味で。別に、貶してるとか、そんなんじゃなくて」
「分かってますよ。だって、朝音さん優しいんですもん」
なんて、ゆず君はにんまり笑って答えた。
優しい、と言われるのは嬉しいが、何だか違う意味で言っているような気がして、俺はハハハ……と笑って誤魔化した。まさか、ゆず君が俺の体質のこと知っているわけでもあるまいし。
そんなことを考えつつ、ついてきてください。と、ゆず君に先導され、俺はゆず君についていきながら、話をしようと声をかける。もっと、ゆず君の事を知りたいと思ったから。この関係がいつまで続くか、契約? 期間も決められていないし。
坂を上りながら、俺は、先ほどの質問を続けてみる。
「ゆず君は今、どうやって生活してるの?」
「え? 親のすねかじって生きてます」
「に……」
「ニートじゃないですよ。酷いですって」
と、俺が言いかけると、ゆず君は慌てて否定してきた。
いや、でもさ。と、俺が口を開こうとすれば、ゆず君は少し悲しげな表情を浮かべていた。
それから、小さくため息を吐いて、空を仰いだ。
親のすねかじって生きてるって、そういうことじゃないの? とは思ってしまうんだけど。
「朝音さん、何も僕のこと知らないからびっくりしちゃいました」
「……もしかして、ゆず君って有名だったりする?」
「話戻しますけど、仕事を辞めた、訳じゃなくて、今は休業中って言い方の方があってます」
なんて、ゆず君は言うと、足を止めて、こちらを振返った。
ますます分からないなあ、なんてゆず君の顔を見て思う。夕日は落ちかけて、黒い影が縦に伸びている。ゆず君は笑ってるけど、もしかしたら、聞かれたくない話だったんじゃないかって思ってしまった。ずけずけと踏み込むのは矢っ張りダメだなあ……って。
「ごめん……聞かれたくない内容だった?」
「うん? いえ、大丈夫ですよ。まあ、三年ほど顔を出さなきゃそうもなるか……」
「何か言った?」
「いえ、何も! あ、もう少しで僕の家つくので、体力無い朝音さん! あと少しですよ!」
そういうと、ゆず君は走り出した。俺もそれに釣られて走る。
(というか、行き先って、ゆず君の家!?)
始めて聞かされる状況に、そして、ここら辺は高級マンション地帯なのに!? と、困惑と驚きで頭がこんがらがってきた。
もしかして、ゆず君ってお金持ち? 有名人か持って言うのは何となく、その容姿から分からないでもないんだけど、はっきりとした答えまで教えてくれないから、余計に分からなくなってきた。ゆず君への興味と、好奇心が湧いてくるが、それは、俺の身体が反応しないくらいに抑え込んでおいた。
ゆず君が、案内してくれた家は、確かに高級そうなマンション。
セキュリティーはしっかりしているようで、オートロック式だし、エントランスもザ・金持ちが住まう所! 何て雰囲気が出ている。
教職では、絶対に住めないような、そんな所。かといって、別に夢の路線変更はしないし、今で十分幸せなんだけど。まあ、一軒家にあや君と二人きりって時点で、かなり俺のところも金持ちなんだけどさ……
エレベーターの前で、ゆず君がこちらを振返る。ボタンを慣れた手つきで触りながら、その宵色の瞳が俺を捉えた。
「これから、僕の部屋いきますけど、朝音さんびっくりしないでくださいね?」
「う、うん」
ゆず君が一旦立ち止まって、前置きをする。その顔は、俺が慣れていないのを見透かしているようで、宵色の瞳は細く鋭くなっている。
もう、ここから分かる。絶対凄いんだ。と、俺は唾をゴクリと飲み込み、ポーンとやってきたエレベーターに乗り込んだ。
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