東京特殊技能育成高等学校。特育、または東京特育と呼ばれる高校。その広い敷地に建てられたラボ。俺はそこの扉の前に立っていた。
「……ノックすれば良いのか?」
時刻は19時丁度。俺はコンコンと二回ドアを叩いた。
「来ましたか、老日さん」
直ぐに扉が開き、犀川が出迎える。
「どうぞ、入っちゃってください」
「あぁ」
ラボの中に踏み入ると、一人の女が椅子に座ってこちらを見ているのが視界に入った。長い茶髪の美人な女だ。歳は三十に届かないくらいだろうか。
「紹介します。こちらが老日さんの戸籍を戻してくれる西園寺さんです」
如何にも金持ちそうな名前だな。
「西園寺《さいおんじ》 愛《あい》です。貴方が老日君ですか?」
「はい」
短く答えると、西園寺は目の前にある椅子を仕草で勧めた。
「何やら、異界に囚われていたとか。大変だったのでしょう?」
「えぇ、まぁ」
また短く答えると、西園寺は怪訝そうな目で俺を見た。
「……何と言いますか、愛想の無い方なんですね」
それを本人の目の前で言うのはどうなんだ。というか、俺は敬語が苦手なだけだ。愛想も無い方かも知れないが。
「まぁ、何でもよろしいですが……大体の話は翠果ちゃんから聞いています。異界の話と……何を対価にこの話を取り付けたのか、それを聞かせて頂ければ貴方の戸籍を戻しましょう」
「……えぇ」
俺が短く答えると、西園寺は溜息を吐いた。
「普通に喋って頂いて構いません。多少の無礼は気にしませんので」
「そうか。なら、そうさせてもらう」
良かった。敬語は苦手だからな。
「さて、異界についてだが……正直、記憶が定かではない。ただ、ずっと暗い闇の中に居た気がする」
黒岬の話をパクらせてもらった。実際に存在した状況なら、ボロは出づらいだろう。
「異界に行く瞬間と、帰って来た時の記憶は無いのでしょうか」
「行く瞬間は覚えてないが、高校生の時だったのは覚えている。帰って来た時も定かではないが、恐らく街の中に居た」
ふむふむと西園寺は頷き、そして目を細めて俺を見た。
「老日さん、まさか翠果ちゃんを騙してる訳ではありませんよね?」
「大丈夫です、西園寺さん。既に契約によって真偽確認は済ませてますから」
犀川が即座にフォローすると、西園寺は直ぐに柔らかい表情になった。
「そうなんですか? 流石翠果ちゃん、抜け目がないですね」
「……まぁ、信じてくれたならそれで良いが」
なんでこいつ、翠果にこんな信頼があるんだ? まぁ、騙されてくれたならそれで良い。
「それで、何を対価にして翠果ちゃんにこの話を取り付けたのでしょうか。翠果ちゃんは何も無しにこんな話を取り付ける」
「それに関しては、翠果に聞いた方が早いだろう」
俺より口が上手いこいつなら、俺の身体能力を隠しつつ、良い感じに言い訳してくれるだろう。
「老日さんは腕の良いハンターで、興味深い素材を持っていたので研究させてもらうことを対価としたんです」
「なるほど。確かに珍しい素材が対価ならば翠果ちゃんが食いつくのも頷けますね」
なるほど、確かにそれなら不自然でも無いか。
「それで、老日さん。契約をしたいということでしたが、こちらからも条件があります。今のところ私にとってのメリットはゼロですから」
「まぁ、そうだな」
俺も何かを要求されることは想定していた。
「先ず、最初に譲れない条件ですが……翠果ちゃんに害を為さないこと」
「……別に良いが」
もしかして、こいつの行動指針は翠果なのか? 何にしろ、向こう側の条件に意味は無い。何でも受けてやろう。
「そして、また何か珍しい素材を見つけた時は翠果ちゃんに見せること。渡せとまでは言いませんが、素材に傷がつかない程度には調べさせて貰いましょう」
「……それは、アンタにとってのメリットなのか?」
俺が言うと、西園寺は少しムッとしたような表情を浮かべた。
「普通に喋っていいとは言いましたが、歳上に対してその呼び方は流石に不躾が過ぎるというものでしょう」
「俺は2010年生まれだが、アンタは何年生まれだ?」
俺がそう言うと、西園寺は固まった。
「……それはずるくありませんか?」
「まぁ、善処はする。質問に答えてくれ」
西園寺は溜息を吐き、犀川を見た。
「聞いておりませんか? 私は翠果ちゃんのパトロンです。つまり、翠果ちゃんの研究で結果が出れば私にも得があるということです」
「……パトロンって何だ?」
俺が聞くと、西園寺はまた溜息を吐いた。
「後援者という意味ですが。翠果ちゃんの活動を金銭的に支援しているんですよ」
「悪いな。高校生の途中で異界に囚われたもんで、学が無いんだ。俺に教養は期待しない方が良い」
「……そうですか」
俺が言うと、西園寺は少し同情的な目を向けた。
「まぁ、頭が悪くても力が強ければ生きていけるのが今の世の中だ。大して気にしてはいない」
俺がそう補足すると、西園寺は喋ることなく頷いた。
「さて、条件はそれだけか? だったらさっさと契約しよう」
「えぇ、私からの条件はこのくらいですね」
話が纏まったのを見て犀川が契約用の紙を持ってきたので、今回は素直にそれを使うことにした。まだ、こいつの前では下手に魔術を見せられない。
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