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電話の切れた後、放心状態でいるところへ珍しいメゾネット型の4LDK
マンションの1階に付いているパティオで奈々子に外遊びごっこをさせて
いたのだろう、手洗いさせて抱いたままの奈々子の手を拭きながら夫が
自分のところへ連れてきた。
「奈々子、今度はお母さんと遊ぼうか」
そう娘に言うと、桃に子守をバトンタッチしてきた。
「電話、誰からだった? お義母さん?」
「ううん、友達から……」
被りを振りながら桃は答えた。
娘の子守から解放された夫がゆっくりする為にリビングへと足を向けた
その背中に桃は言葉を投げた。
「ねっ、明日ってどこかへ出かけたりする予定あるのかなぁ?」
とそんな風に。
「あぁそうそう、言わなきゃって思ってたとこ。
午後から友達と会う予定があるんだ。なるべく早く帰るよ」
「そう……」
『早く帰るって、なに。……行くなよ』
と桃は言いたかった。
ここ最近休日に出かけたりすることなんてほとんどなかったのに。
桃は目まぐるしく頭をフル回転させた。
そしてデッサン教室の受付のスタッフに電話を入れた。
「体調が悪いので明日は休ませてください」と。
そして、次には母親に奈々子を明日見てほしいと電話で子守を
頼んだ。
そう、この時桃は、恵子の話していたホテルとやらに乗り込むことに
決めたのである。
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この日の夕飯の食卓では、俊はこれまでよりも明るい表情で奈々子の相手を
しつつ『これ美味しいよ、いつも美味しいの作ってくれてありがとう』
なんてことまで口にした。
「どういたしまして」と桃は返したは返したが、心境は複雑だった。
この人は、果たして……明日恵子に会いに行くつもりなのだろうか。
再度のアバンチュールを楽しむ為に。
まだまだ、私を苦しめる為に?
私と仲直りしたげにしていたこれまでのパフォーマンスは、
いったい何だったというのか?
その日近々爪を切らなきゃと思っていたのだが、桃は爪を切らずに
研ぐことに集中した。
淡井恵子は身長150cm体重41kgの華奢な女だ。
反して桃はというと、162cm49kgとスレンダーだが
見た目よりはるかに運動神経があり、身体能力が優れていた。
◇ ◇ ◇ ◇
そして翌当日、桃は俊が出ていくのを見送った後すぐに実家へと向かった。
母親に家に来てもらえればよかったのだが、足の調子が悪いから
奈々子を連れてきてくれたら子守できると言われ、連れて行くことになる。
それで少しわちゃわちゃしているうちに俊が出ていってから早30分が
過ぎてしまった。
その為、駅前まで出てタクシーを拾いホテルオークラ神戸を目指した。
地下鉄とJRを使うのもタクシーを使うのも時間的に大差はないけれど、
1分でも早く行きたかった。
それに暑い中、歩いて乗り換えをしたりする気にはなれなかったというのも
ある。
なのに、なんということ。休日ということもあり、桃の乗ったタクシーは
渋滞に巻き込まれてしまい、ホテルに到着したのは俊が家を出た時から
1時間半も過ぎてからのことだった。
それでなくても暑い中での移動で、緊張と逸る気持ちから額からは汗が
後から後から吹き出てくる。
それを桃はタオルハンカチで拭き拭きようやくホテルまで辿り着いた。
『はぁ~涼しい~』
と一息ついたけれど、休んでなどいられない。
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急ぎ足で受付へ向かい、恵子から聞かされていた部屋705号室について
尋ねた。
「わたくし、こちらの705号室での宿泊予約している淡井恵子の身内の者
なのですが入院している祖母の容体が急変したので連絡したいのですが……」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
そう言って奥に引っ込んだスタッフがしばらくして出てきた。
「確かに淡井恵子さま今夜宿泊ということでチェックインされてますが、
それがですねぇ~何度ご連絡入れても繋がらなくてご不在のようです」
「そうですか、ありがとうございました」
もし俊と一緒ですでに致している最中なら、電話に出ないわよね。
突撃しても出ないだろうし。
ここまで来てなんということ。
桃は頭を抱えた。
取り敢えずロビーで待機してどうするか落ち着いて考えようと思った。
探してみると、こちらのホテルではロビーの 2階にカフェレストランが
あるみたいで桃は2階に上がっていった。
さてと、汗も引いてきたことだし、ふたりに会ったらどうするのか
ある程度の予想というか計画はたてておかなきゃ、そんなことを思いつつ。
カフェの入り口に着き、透明のドア越しに中を覗いてみると真ん中のスペースが
殊の外広く取られていて、店内の両側が大きな窓になっていて彩光が
たっぷりと入りとても明るい空間になっている。
暗い気持ちと明るい場所がちぐはぐ感、半端ない。
そうよ、ふたりに遭っても明るくいかなきゃ。
蔑み、笑い飛ばしてやればいいのよ。
そんな風に心の持ちようを考えながら視線を奥から手前に這わせていたら
桃の眼前にとんでもな光景が飛び込んできた。