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「兄上!」
学生服姿の晴臣が離れへと走り込んできて、出勤しようとする将臣を捕まえた。
「晴臣。これから学校か」
「ああ! 今日の帰りさ、例の簪を買いに行こうよ!」
将臣は慌てて、凪のいる離れを振り返った。
「……もう少し小声で頼む」
「俺がセンスいいのを選んであげるからさ」
片目をきゅっと瞑ってみせる晴臣。
「……晴臣が、か?」
将臣は怪しげに目を細める。
「簪って求婚の印なんだろ? 兄上、凪さんの好みなんて選べんの?」
耳元で囁かれ、将臣は口をへの字にして複雑な表情になった。
それを見た晴臣はニンマリと笑った。
「じゃ、決まり! 帰り、店の前で待ち合わせな!」
「……わかった。気をつけて行けよ」
将臣が柔らかい声で言う。
「うんっ。約束だぞ!」
晴臣は家の門ではなく、なぜか離れの裏庭に向かって走り出した。
「おい、学校だろう!?」
「ちょっとした用事、思い出した!」
晴臣はその足で、離れの裏庭へと向かった。
離れの軒先では、凪が竹籠で薬草を乾燥させる作業をしていた。
「凪さん!」
凪は手を止め、振り返る。
「今日、一緒に買い物に行こう! 荷物持ちしてあげるから」
「ええ。ありがとう。ではお願いしますね」
「学校帰りに、店の前で待ち合わせな!」
「はいはい」
子どもをあやすように楽しそうに笑う凪。
(……余裕だな)
晴臣の心が、意地悪な期待にやけに弾んだ。
「じゃ、学校行ってくる!」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
凪は無邪気に手を振って見送った。
通学の途中、晴臣は水筒を出そうと鞄を探り、凪からもらった結菓子を見つけた。
「こんなところに入れてたんだ……」
指でつまみ、目を細める。
(一口食べて、不味かったら捨ててやろう)
包紙を剥がし、怖々一口かじってみた。
サクッと軽い音を立てて崩れ、中の餡がさらりと舌の上で溶けていく。
小豆の優しい甘みと、ニッキの香ばしい香りが、一瞬で口いっぱいに広がった。
晴臣は思わず足を止めた。
(うわぁ……うまっ……)
ふっと心の奥の重苦しさが、軽くなっていく。
鼻から抜けるニッキの香りに誘われ、気づけば夢中で全部食べていた。
晴臣はくしゃくしゃになった包紙を固く握りしめたまま、顔を上げられずにいた。
「凪さん……こういう薬も、作れるんだ……」
不思議と指先が温かくなっていった。
晴臣は握りしめた手から、じわじわと力が抜けていくのが分かった。