Green
「え?」
俺は思わず、目の前の課長を見つめた。
「いや、俺はできますよ。最近調子もいいですし…」
「だけど、森本くんもわかってるよね。デカは体力勝負だ。今の君には心配なことばかりなんだよ」
刑事課長は、優しい顔で、それでいて鋭い瞳で射抜いてくる。ベテラン刑事の目だ。何人もの罪人と対峙してきたそれが、俺をまっすぐに見ている。
「俺の気持ちも考えてほしい。もし君に何かあれば、直属の上司である俺の責任になるんだよ。無理もしてほしくないし」
優しさは保っているが、それはもうすでに懇願、いや命令に近かった。
「……ありがとうございます」
課長が言わんとしていることは、明言していなくてもわかっていた。俺の、白血病のことだろう。
今からちょうど2か月くらい前に発覚した。
健康診断の血液検査で引っ掛かり、ドキドキしながら精密検査をすると待ち受けていたそんな大病。
1か月ほど入院したあと、退院して捜査一課の仕事に復帰した。もちろん、通院治療をしながら。
自分でも、タイムリミットがいつか来ることはわかっていた。それにしがみついて、刑事でいたかっただけだ。
こうなったら、生涯現役でいよう。そう決めたはずなのに、まさかの職場からNGを言い渡されてしまった。
俺はもうこれまでかと思い、翌日に退職願を出した。
「これでも…良かったよな。うん」
それでも帰り道はやっぱり虚しくて、ひとりでに涙が出てきた。
スーツを着た男が、泣きながら歩いている。そんなやつに声をかけてくる人なんていない。
何も考えられていなかったからか、署の最寄り駅に向かう慣れた道なのにどうやら通りを一本間違えてしまったようだ。
「何やってんだよ俺…」
引き返そうとしたところで、はたと足を止めた。
カフェのような、白くておしゃれな建物がある。こんなとこあったんだ。
「行ってみようかな」
ドア横の小さな看板には、「喫茶ピクシス」と書かれている。どこの国の言葉なんだろうか。
そしてその下には、「終末期の病気の方のための場所」なんてことも。交流サロンの一環みたいなものかもしれない。
「…俺、いいのかな。まいっか」
扉を押し開くと、すぐにカウンターが目に入った。まるでバーのような洒脱な空間だ。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたたった一人の店員は、俺と同世代くらいの男性だった。
「あの…そこの看板見て、俺、まだ終末期じゃないっていうか、その…」
「歓迎いたしますよ」
もじもじしていると、マスターと言うべき落ち着いた風貌のその店員は言った。
「えっ…」
「ここは、痛みや苦しみを抱える人が最後に行き着いて、楽になってもらう喫茶店。あなたは、よくいらしてくれました」
ああ、自分の居場所は職場だけじゃなかった。
こんな場所にもあったんだ。
「さぁさ、お飲み物をお出ししますよ。どうぞお掛けになってください」
目に溜めきれなかった涙が、頬を伝って木のタイル張りの床にぱたりと落ちた。
続く
コメント
4件
錦鯉も南キャンも警察も似合うしんたろー…何故? 今回のお話も表現ぶっ刺さりだぁ🙄