コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「さらに西へ向かうなら、花咲かせ婆の花畑も見ていくといい。あそこは見る価値があるぜ」
そんな話を聞いたのはキスヴァス共和国でも西の方にある街の冒険者ギルドだった。
寄らない理由もないし、少し見に行ってみてもいいだろう。詳しい場所を聞こうとしたが、彼はただ一言こう言った。
――行けば分かる、と。
たしかにその言葉通りだった。
「すっご……」
私の眼前には広大な花畑が広がっていたのだ。
どこまで続いているのかすら分からないほどの花畑だ。地平線の先まで続いているのではないかと思ってしまう。
見えるのは花とこの道を行き来する人、馬車、そして色鮮やかな花のみ。
「綺麗ね……」
「うん、なんだか圧倒されるね……」
はしゃいでいるダンゴ以外のみんなもこの光景には圧倒されているようだ。今なら行けば分かると言った彼の気持ちが十分に理解できた。
色とりどりの花。種類も単一ではなく、様々な種類の花が植えられているようだ。
これを人の手でやろうと思えばどれだけの時間が掛かるのか想像もつかない。
――花咲かせ婆、か。
「お姉さま~ここ~魔泉ですよ~?」
「え? あ、ほんとだ」
注意深く観察すると、地中から魔素が少しずつ溢れ出しているのが感じられた。
でも、魔泉なのに魔物が1匹も姿を見せない。どうやらノドカの索敵魔法でも人と馬車、普通の虫以外は感知できないらしい。
いったいどういうことなんだろうと考えていると横からスッと手が出てきて、何かを指さした。
「……ますたー、家」
アンヤが指さした方向を見ると、遠くの方に一軒の家が花畑の中心にポツンと立っているのが見えた。
状況から考えるとあれが花咲かせ婆が住んでいる家なのだろうか。
「主様、行ってみようよ!」
「あ、待ってください、ダンゴ!」
この花畑が気に入ったのか、ダンゴは足を踏み入れていってしまった。そしてその後をコウカが追いかける。
私たちもさらにその後を追う形で、2人に付いていった。
実際に中に入ってみて改めて思ったが、ここはどこか幻想的な空間だ。
この感じはまるで……そう。まるで神界に行った時のことを思い出す。
この空間では季節など関係なく、どんな花も綺麗に咲いているように見えた。
「ここに~飛び込んで寝たら~気持ちが~よさそう~」
それは流石に怒られそうだな、なんてことを考える。
どの花もこんなに綺麗に咲いているのだから、足の踏み場には注意しなければならない。
今さらだけど、花畑を突っ切るのは軽率だったかもしれない。
「全然分かんないのがモヤモヤする……今度はお花の図鑑でも読んでみようかな?」
ジッと花を観察しながら歩いていたシズクが肩を落としている。どうやら彼女でも花に関する知識は持っていないようだった。
「少しなら教えてあげられるよ?」
「あ、ほんと……? ……なら、お願いしちゃおうかな?」
前の世界で見た花もたくさんある。
詳しい知識を持っているわけではないが、一般的な花の名前くらいは分かるだろう。
時々立ち止まり、私の知っている花の名前をみんなに教えてあげる。
花言葉なんかは有名どころ以外ほとんど知らないので教えられないが、花の名前やちょっとした知識だけでも話のネタくらいにはなる。
少し意外だったのは、シズクと同じくらいダンゴもしっかりと話を聞いてくれていたことだろうか。
それにしてもこうして話ができたことを考えると、この花畑の中を通ってきてよかったかもしれないと我ながら自分の現金さに呆れていた時だった。
「お嬢さんたち、この花畑を気に入ってくれたのかい?」
花について解説するのに夢中になっていると突然後ろから声を掛けられる。
振り返ると、そこにいたのは三角帽子にローブとまるで物語に出てくるような魔女の格好をしたお婆さんだった。
「はい。とっても素敵な場所だと思います」
「そうかいそうかい」
お婆さんはニッコリと笑い、ゆっくりと頷いている。
ふむ、もしやこの人が――。
「花咲かせ婆さんですか?」
「ええ、その通り。儂は花咲かせ婆と呼ばれとる者ね」
どうやらこの人がこの花畑の管理者のような人である花咲かせ婆らしい。
魔女の格好を除けば、温和な笑顔が印象的な感じのいいただのお婆さんである。
「それにしても驚いた。人間と人間ならざる者たちの団体さんとはねぇ」
「えっ、どうして……」
この人はしっかりとコウカたちが人間ではないことに気が付いている。
スライムマスターの噂を除いて、今までコウカたちが人間ではないと見た瞬間に気付いたものはいなかった。
それがどうして彼女には分かったというのだろうか。
「それはねぇ、ここに咲いている花たちが教えてくれたんだよ」
「お婆さん、花とお話できるの!?」
ダンゴが目をキラキラさせ、お婆さんに詰め寄った。
そんな彼女にお婆さんはニッコリと笑いかけ、頭を撫でながら口を開いた。
「小さい時から花が好きでね。花を愛でながら、ずっと魔法を使っていたらいつの間にか花の言葉が分かるようになったんだよ」
なるほど、植物魔法だ。
ダンゴはほとんど使えないらしいが、地属性の派生属性だったはずだ。
あまり便利な魔法ではないとは聞くが、極めると彼女のように植物と話せるようにもなるらしかった。
「立ち話もなんだし、少し我が家に寄っていくかい?」
そうして、私たちは花咲かせ婆の家にお邪魔することになった。とはいえ、人が1人で暮らしているだけの家だ。それほど変わったものなどはなかった。
みんなで長方形のテーブルを囲み、お婆さんが淹れてくれたお茶を飲む。
――これ、ジャスミン茶だ。
「すごい香りね」
みんながちびちびとお茶を啜っている。
そうしてある程度楽しむと私はお婆さんへと問い掛けた。
「ここの花畑、全部お婆さんが植えたんですか?」
「いいえ、儂1人じゃ到底無理だっただろうねぇ」
1人で全て植えたわけではないらしい。でも……。
窓の外に見える花畑に目を遣る。
こんな広大な花畑を作るなんてどれだけの時間が掛かったというのだろうか。
「なるほど、でもすごく大変だったんじゃないんですか?」
「ええ、大変だったとも。あの頃は……」
お婆さんが遠い目をする。
聞いてはいけないことだったのだろうかと怖くなるが、どうやらそうではないらしい。
彼女はお茶を1口飲み、ホッと息を吐くと再び口を開いた。
「少し、年寄りの昔話を聞いてくれるかい?」
◇◇◇
今は花咲かせ婆の花畑と呼ばれる平原。だが、そう呼ばれるようになったのは今からおよそ20年前だ。
それ以前のこの場所はキスヴァス共和国とサムズ共和国を繋ぐ貴重な経路であるにもかかわらず、魔物による被害が後を絶たなかった。
その当時、ここは“魔厳地帯”と呼ばれていた。
広大過ぎる魔泉。それがこの平原の正体だ。
討伐しても討伐しても魔物の数を減らすことはできず、大昔からそんな状況が続く。
定期的にどうにか安全に通行するための取り組みを考えられていたが、どれも上手くいかなかったと記録に残されていた。
オリビアは花屋を営む平凡な家庭に生まれた少女だった。花が好きなことと魔力が平均よりも少し多いこと以外は取り留めのない少女であったといえる。
そんな彼女が15歳の時に国の兵士として勤めていた青年と恋に落ちた。
2人は3年掛けて愛を育んでいたが当時、魔厳地帯での被害状況が悪化。
国として対策を立てることになったために兵士がこの地帯に派遣され、馬車の護衛などを請け負うことになる。
青年も派遣されることになり、オリビアも彼に付いていった。
街で彼の帰りを待つことしかできないが、それでも彼を支えたいと思っての行動だった。
日に日に少しずつ表情が暗くなり、傷を増やす青年をオリビアは献身的にフォローしていた。
だがある日遂に耐えきれなくなって自分もどうにかして彼を守りたいと考えた。
しかしオリビアは戦闘の経験などもなく、才能があると言われた植物魔法は平原での戦闘では全くと言ってもいいほどに役には立たなかった。
それでも彼女は考え続け、あることを思いついた。
彼女は青年に言った。花を植えましょう、と。花に魔素を吸わせ成長させれば魔物の数を減らせるはずだと。
彼はそれを不可能だと言った。何故なら花一輪一輪の魔素吸収量などたかが知れているし、戦場となる魔厳地帯では咲いた花もすぐに散らされる。
しかし、彼女は諦めなかった。
いくら時間が掛かってもやり遂げる、自分の力を役立てたい、あなたが私を守るように私にもあなたを守らせてほしいと。
遂には彼女の熱意に負け、彼は護衛を付けることと安全な場所でならという条件で許可を出した。
それから魔厳地帯に入ってすぐの場所で毎日、植物魔法を使って花を咲かせる女性の姿が見られた。
護衛役として連れてこられていた兵士や冒険者たちも最初は変なものを見る目で彼女を見ていたが、次第に面白がるようになり、その活動を応援するようにまでなった。
最初のうちは順調だったが、魔物の数が増えるにつれて植えた花が散らされる場所も現れる。
それでも諦めずに雨の日も風の日もそんな活動を続けていた彼女だったが、ある日悲劇に見舞われた。
嵐の日、急用だからと先を急いだ馬車の護衛に当たっていたオリビアの恋人であった青年が戦死したというのだ。
彼は最後まで馬車を守り抜いたと語られたが、彼女にとっては何の慰めにもならなかった。
失意のまま、この活動もやめてしまおうと何日も思い悩んでいたが、そうしてしまえば彼の死も無駄になってしまうのではないかと考えた彼女は活動を続けることを決意した。
活動はそれからさらに数年続いた。
戻ってこいという両親の誘いも断り、彼女は花を咲かせ続ける。
数年経ち、国が取り組みをやめ、兵士が引き揚げていったとしても彼女は花を咲かせる。
それが多くの人を救い、恋人との絆を守ることができると信じていたから。
1日かけて咲かせた花が全て散らされていたこともあったが、時々依頼も受けていないのに気まぐれに助けてくれる冒険者の手を借りたりもしながら、少しずつ広げていった。
活動が実を結び始めると様々な人が協力してくれるようになり、国も大々的に支援してくれるようになった。
そして花を咲かせ続けてから40年、魔厳地帯と呼ばれた場所は広大な花畑となったのであった。
◇
「花咲かせ婆の花畑とは呼ばれてはいるけど、この花畑はみんなの想いが生んだものなんだよ」
たしかにそうかもしれないが、始まりは彼女の恋人を守りたいという純粋な気持ちからだろう。
そんな彼女の想いが人々を動かしたのだ。
「長々と昔話に付き合わせてしまって、ごめんなさいね」
彼女はお茶を飲むと息を吐いた。
あんな話を聞いた後だし、少ししんみりとした空気になってしまう。
そんな空気を振り払うように立ち上がったのがダンゴだ。
「ねぇお婆さん。ボク、花畑を見に行きたいな」
ダンゴの顔を見上げ、目を瞬かせていたお婆さんが嬉しそうに笑った。
「同じ花に見えても、少しずつ違うものなんだよ。話し方にも個性があって面白くてねぇ」
外に出た私たちは、気の向くままに花畑を歩き回った。あの話を聞いた後に見るとまた違った見え方がある。
ただ危険な場所から人を守るために作られた花畑はさらに形を変え、人を楽しませる花畑となっているのだ。
「何か見たい花はあるかい?」
見たい花と言っても私はこれといってないし、みんなはあまり花の種類に詳しくはないだろう。
だが、1人だけ違ったようだ。
「あ、それなら向日葵が見てみたいです」
コウカは向日葵を模った髪飾りに触れ、そう言った。私があれをあげたときに言った花の名前を覚えていてくれたのだろう。
――でも、向日葵はこの花畑にあるのかな。
パッと見た感じは見当たらなかったが、お婆さんはにこやかに頷いた。
そしてしばらく歩くことになったが、私たちは一面に向日葵が植えられている向日葵畑へとやってきた。
「この向日葵畑は数年前に出来たものなんだよ」
つまり、完全に人を楽しませるために生み出された場所だということだ。
この場所を見たコウカは向日葵に引き寄せられるように足を踏み出していた。
近付いていった彼女が何を考えているのかは分からなかったが、彼女は向日葵に何かを話しかけているようだった。
面白そうだし、私も少し花に話しかけてみようか。
お婆さんのように花と話をすることはできないが、聞いてもらうことはできるのだから。
◇◇◇
「ねえ、どうすればボクはみんなを守れるようになるかな? ……やっぱ聞こえないなぁ」
姉妹たちからひとり離れたダンゴが話しかけているのは花たちだった。しかし、植物属性の適性が低い彼女では花たちと会話することは叶わない。
守りたいと思っている相手に直接聞くのは何だか格好悪い気がして、聞くことができないダンゴの悩みだ。
だが花になら気軽に打ち明けることができた。
「悩み事かい?」
そんな時、花咲かせ婆がダンゴの後ろから声を掛けた。
ダンゴは体を捻って後ろを向き、その老婆を見上げた。
「あ、お婆さん。ボクも花と話がしたいなぁってさ」
「花たちもお嬢ちゃんと話がしたいと言っているみたいだねぇ。お嬢ちゃんは地属性を持っているんだろう? それなら、いつか儂のように花と話ができるようになるかもしれないねぇ」
そう言って、花咲かせ婆はダンゴの頭を撫でる。
ダンゴが打ち明けた悩みも真実ではあったが、心の奥底にはまた別の悩みが燻っていた。それを人に打ち明けないのは彼女には彼女のプライドがあるからだった。
だが彼女は忘れていた。花咲かせ婆は花と会話ができるということを。
そして、知らなかった。花がダンゴの漏らした悩みを花咲かせ婆に聞かせていたことを。
「でも、それだけではないんだろう?」
「……えへへ、すごいねお婆さん」
勝手に悩み事を流されていたとは知らないダンゴは観念したように笑った。
「……ボク、みんなのことが本当に大好き。だから何があっても守りたいんだ。でも、どうしたら守れるのかが、ボクには分からなくなっちゃった……」
赤の他人であるからこそ、ダンゴは別に話してもいいかと思えた。
あくまで彼女は自分の中の小さな意地を守る。
「どうすれば守れるか、かい……それには決まった方法なんてないのではないかねぇ」
「え?」
「儂だって戦う力があればと願ったこともあった。そうすることで守れる命があったかもしれないからねぇ。でも、今はこうして花を咲かせてきてよかったとも思っているのさ。これも立派な人を守る手段であったと今なら胸を張って言える。人を守る方法は決して1つとは限らないということだよ」
ダンゴは花咲かせ婆の話をただ静かに聞いていた。
「戦いに限っても、守る手段は決して1つではない。一番大切なのは、手段ではなく守りたいものを想う真っ直ぐな気持ち。その想いを見失わず、決して諦めなければ、想いの力は希望という実を結んでくれるものさ」
そこで花咲かせ婆はハッとして、少し照れ臭そうに笑った。
「あまり上手いことを言えないでごめんなさいね」
ダンゴは一度、俯いたかと思うとすぐに顔を上げて笑う。
そして、眼前に広がる色とりどりの花畑を見渡した。
「ううん、ありがとうお婆さん! ……ボク、やっぱりこの花畑が大好きだな」
彼女の目尻には人知れず輝く涙が浮かんでいた。
別れ際、別れを惜しむダンゴに花咲かせ婆は魔法で咲かせた花束を取り出した。
「わぁ、綺麗」
「儂からのほんの気持ちだよ、これからもその真っ直ぐな気持ちを忘れないようにね」
花束は全て黄色と白色の雛菊で埋め尽くされていた。
「よかったね、ダンゴ」
ユウヒが花咲かせ婆から花束を受け取ったダンゴの頭を撫でる。彼女はそれに目を細めて甘受していた。
だがやがて、ダンゴは撫でられている手から逃れるようにユウヒ達の前へ一歩を踏み出して振り返った。
「よーし、主様、姉様たち、そしてアンヤも! 見ててね、ボク、必ず強くなってみせるから!」
その表情は晴れやかな物で、見るものに元気を与えるような笑顔だった。
希望の種は少女の心に宿り、花開く瞬間を待ち望んでいる。