僕の家庭では父さんの言葉は絶対だった。
『瑛人、たくさん勉強して将来は必ず優位に立てる立場につきなさい』
『頭脳があれば、人は人の上に立つことが出来る』
口癖のように言われるそれに僕はいつも頷いた。
僕が優秀になれば父は褒めてくれる。
だからいつもトップを取る。
そのお陰か僕はいつも成績優秀というレッテルを貼られた。
悪い気はしない。
父さんの言う通り、頭がよければついてくる人たちもたくさんいた。
『瑛人、たまには友達と遊びに行ったりしたら?』
一方母さんは父とは真逆の人でいつも優しく温かさを持った人であった。
『勉強だって無理にすることないのよ、人に優しく出来ればそれでいいの』
母さんは父さんに隠れていつもそんなことを言った。
だけど、それが父さんにバレると何を言っているんだと、母さんを強く叱った。
これじゃあダメなんだ。
もっと頭がよくならなければ。
頭がよくなれば、みんな平和でいられるんだ。
そう思って、僕は一生懸命勉強した。
学校の勉強だけじゃない。
2年も先に進んだ勉強をして、大学に入る頃には父さんの同じ道である科学者を目指すようになっていた。
父さんはいつも言っていた。
『もう少しで画期的なシステムが完成すると』
僕はその時、父さんが何を作っていたのか分からなかったけど、今身をもって分かった。
『もしこれが完成した時は瑛人にも参加してもらう。まぁ、瑛人なら負けることはないと思うがな』
この言葉を最後に父は研究に明け暮れ、ほとんど家に帰らなかった。
『ごほ……っ、ごほ……ごめんて瑛人、迷惑かけて……』
母さんが病気で倒れた時も、病院で入院していても父は戻ってくることはなく、お見舞いに来たことは一度も無かった。
いつも寂しそうに病院のドアを見つめている母さん。
『今は忙しいからしょうがないよ』なんて言葉を言っていたけど、本当は会いたいんだって僕は気がついた。
『母さん、父さんはもう少しで戻って来るはずだから』
『ありがとうね、瑛人。瑛人がいてくれるだけで幸せだよ……っごほ、ごほ……』
母さんの病気はがんで、抗がん剤の治療をしても、副作用がひどくどんどん衰弱していった。
母さんは治るんだろうか?
退院してまた家に戻れるのだろうか?
そんなことを思っていたある時、俺は医師に母さんの余命が後3カ月であることを知らされた。
『これからは治療ではなく、痛み止めを飲んでもらって残りの人生を後悔のないように生きた方がいいでしょう』
『そんな……っ』
悲しくて、心にぽっかりと穴が空いた。
この気持ちをどこにぶつけたらいいのか分からぬまま、必死に心の奥にしまいこみ、俺は母さんの前で笑顔を作った。
ひとりぼっち、感情を吐き出せる人は誰もいない。
勉強が出来たってついてくるのは、そこにあやかろうと思っている人たちだけだ。
こうして親身に話しを出来る人が出来るわけもなく、やがて限界はやって来た。
ついにひとりでは抱え込めなくなり、俺は父さんに相談しに行った。
父さんの研究室に足を運ぶ。
見たこともない大きな機械の周りで白衣を着ている人がたくさん慌ただしく動いていた。
『あの……俺、村田義彦の息子です。父さんはどこに……』
『ああ、今呼んでくるよ』
厄介がられながらも、研究員のひとりが父さんを呼びに行ってくれると、父さんは10分くらいでこっちにやって来た。
『どうした瑛人』
『あの、母さんが危篤だって……連絡したんだけど、なかなか返事が返って来ないから……』
父さんは無表情で俺を見下ろしていた。
『母さんも会いたがってるんだ。だから早く行ってあげて欲しくて……』
俺がそこまで言った時、父さんは俺を睨みつけて言った。
『何を言ってるんだ、瑛人』
『え……』
『父さんが今、どれだけ重要なことをしているのか分かっているのか?忙しいというのに、呼び出して来たかと思ったら、そんなくだらない事を言い出して……』
『下らないって母さんのことじゃないか!なんでそんなこと……ずっと父さんのこと、待ってるのに』
『あの女の力が借りたくて俺たちは結婚したんだ。そこに愛などない。それは向こうも気づいているはずだが……』
『なっ……』
『瑛人、お前も将来有望な遺伝子だ。こんなことで狼狽えていないで、もっと賢い選択を出来るようになりなさい。ほら、さっさと帰った』
父さんは俺を手で追い払うと、さっさと自分の研究室に戻っていった。
『父、さん……っ、なんで……』
もうどうすることも出来なくて、その日は病院に戻ると母の側で泣いてしまった。
母は俺が泣いているのを見て何度もごめんねと謝った。
『迷惑かけてるよね』
『病気の母さんなんていなければ良かったかな』
そんなことを言わせてしまって後悔をしていた次の日。
母さんは急に病気が悪化し死んでしまった。
『母……さん……っ』
俺はなんとなく、自分のせいだったんじゃないだろうかと思った。
母さんは俺が泣いていた理由を分かっていた。
だからきっと……。
俺が殺したようなものなんだ。
その時俺は思った。
いっそのこと、父さんのような人間になれば良かったのだと。
そうすれば、父の言葉を聞いて涙を流すことも無かった。
弱さを見せることもなかった。
そしたら母さんもまだ生きていてくれたのに……。
『俺が悪いんだ……』
その日から俺は変わった。
心というものを押しつぶして、いかに優秀になれるように勉強に励んだ。
『瑛人はどんどん成績が上がっていくな。父さん嬉しいよ』
父が僕を愛おしいと感じたことがないことは知っていた。
父が興味を持つのは僕ではなく、勉強が出来る僕だけだったからだ。
自分の遺伝子をついだ息子はそうではなくちゃいけないからだった。
冷たく育った僕の家庭。
母さんが死んでからは僕は誰からも愛を感じることは無かった。
一人で生きて、ひたすら賢く生きろと言われてきた。
父さんの名に恥じぬよう。
愛を忘れ、ただひたすら、感情を持たずに生きてきた。
そして、父さんが提案した命をかけたディスカッション。
まさか“愛について”というお題になるなんて……皮肉なものだ。
ランダムで決めて置いてこのお題。僕が最も不得意とするテーマ。
「愛の感情を忘れた俺が勝てるわけなんて無かったんだ……」
自分はもう忘れてしまった。
今までずっと研究に没頭していた父。
本来なら、このシステムごと恨むはずだった。
それなのに俺はこのシステムに参加して父の駒として生きて来た。
当然の結果だっただろう。
もう分かってる。僕の父は甘えた考えをしない。
それは僕が村田義彦の息子でも。
彼は俺に死という罰を下すだろう。
あがいたりはしない。
でも父さん……僕は本当はこんな人間にはなりたくなかったよ。
朝井良樹、彼のような人間はきっと温かな家庭の中に生きて来たのだろう。
彼は自分には力がないと思ってる。
だけどそうじゃない。
みんなに愛される人間は……僕にはない特殊な能力を持っている。
羨ましいよ……、
こんな風に生まれて来たかったな……。
僕は静かに目をつぶった。
ビリビリと音を立てて電流が僕の身体を這う中、僕は静かに意識を手放した。
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