ーー舞踏会から半月。
「レンブラント、お前正気なのか」
非難混じりのヘンリックの問いに、レンブラントは首を傾げて見せた。
「何がだい?」
「だからヴェローニカと婚約って、普通にあり得ないだろう⁉︎ ティアナ嬢はどうするんだよ⁉︎」
「ティアナとは既に婚約破棄しているから、何の問題もない筈だよ」
「だから! そういう事じゃないだろうが!」
レンブラントはため息を吐き、苛々としているヘンリックとその隣で訝し気にこちらを見ているテオフィルに丁寧に説明をする。自分が如何にヴェローニカを愛しているか、真実の愛に目覚めたのだと。
「僕はなんて愚か者だったのかと後悔しているんだ。ずっと側に運命の女性が居たにも関わらず気付いていなかったんだ」
唖然とする二人にレンブラントは爽やかに笑い、一人その場を後にした。
◆◆◆
姿見の前で変な所がないかと最終確認をする。
(まあ、元々可愛い私に変な所などある筈なんてありませんけど。念の為ですわ)
ヴェローニカは、今日はレンブラントとお茶の約束をしていた。
実は昨夜、彼から正式に婚約の申し出を受けたのだ。ようやくだ。彼と結ばれる日が来た。だがこれは当然の結果だ。ヴェローニカにはずっと昔から分かっていた。自分とレンブラントは運命の相手であり、何時か結ばれる筈だと確信していた。途中様々な障害はあったが、だが今思えばそれ等は全て二人が幸せになる為の試練だったのだ。謂わば愛の試練というやつだ。
「それにしてもあの時のティアナ・アルナルディの顔といったら滑稽でなりませんわ」
舞踏会の夜の事を何度思い出しても可笑しくて仕方がない。ティアナの絶望した顔を思い出す度、高揚感がおさまらない。なんて気持ちが良いのだろう。思わず口に出して笑ってしまう。
「失礼致します。レンブラント様がお見えになりました」
円卓のテーブルに向かい合ってではなく、ヴェローニカはレンブラントにピッタリとくっ付いて横に座った。以前なら恥ずかしがり屋の彼から離れる様に言われていたと思うが、今は寧ろ抱き寄せてくれる。
「レンブラント様、はい、あ〜ん」
砂糖菓子を手ずからレンブラントに食べさせてあげると、彼は嬉しそうに笑った。気を良くしたヴェローニカは次々に彼に食べさせてあげた。
「ははっ、ヴェローニカ、流石にそんなに食べれないよ。ほら、今度は僕が食べさせてあげるから」
夢に見た彼との甘い時間にヴェローニカは酔いしれていた。
まさかこんなにも上手くいくなんて思わなかった。
(うふふ、フローラ様のお陰だわ)
ずっと屋敷に閉じ込めらていたヴェローニカの元に、ある日フローラが訪ねて来た。そしてあの小瓶をくれたのだ。
『レンブラント・ロートレックに飲ませると良いわ。そうすれば彼は貴女の虜になって意のままにする事が出来るの』
効力は数日程で定期的に飲ませる必要があるのが面倒ではあるが、たったそれだけで彼が自分を愛してくれるなら大した手間ではない。
「ヴェローニカ、お茶が冷めてしまったみたいだ。新しい物を頼めるかい?」
「えぇ、勿論ですわ」
◆◆◆
人払いをしているので無論近くに使用人はいない。ヴェローニカは席を立ち部屋を出て行った。それを見届けたレンブラントは無表情で席を立つと自分のカップを掴み、窓を少し開けて中身を捨てた。そしてカップを何事もなかった様に元に戻した。
「お待たせ致しました」
「あぁ、ヴェローニカ、ありがとう」
レンブラントは二杯目の淹れたてのお茶を優雅に啜りながら、ヴェローニカの髪を撫でた。すると彼女は頬を染め更に擦り寄って来た。
ーー吐き気がする。
甘ったるい声も媚びる様な目も、その全てに気分が悪くなる。その中でも一番最悪なのは身体を擦り寄せてくる事だ。衝動的に突き飛ばしたくなる。それだけ不快でならない。
「そう言えばヴェローニカは、フローラ嬢の侍女になったんだったね」
「えぇ、そうなんですの。聖女様の侍女にして頂けるなんて光悦な事ですわ」
二ヶ月程前、レンブラントは仕事を理由にクラウディウスをフローラから無理矢理引き離した。彼の様子がおかしくなったのは、どう考えてもフローラに原因があるとしか思えなかったからだ。それを確かめる為にもヘンリックやテオフィルに協力して貰い強引ではあったが執務室からクラウディウスを数日に渡り出られない様にした。するとかなり焦った様子のフローラは、どうにかしてクラウディウスに会おうとして来た。せめてお茶だけでもと嘆願され敢えて了承をして動向を探った。
レンブラントとクラウディウス、そしてフローラの三人だけでテーブルを囲みお茶にする事になり、途中レンブラントだけが席を立ち隙を作る。その瞬間フローラは確かにクラウディウスのカップに何かを入れた。その場では素知らぬフリをしたレンブラントは、二人が退室した後クラウディウスのカップを回収した。僅かに残されたお茶とカップを鑑識に調べさせたが、お茶以外の成分は検出されなかった。ただレンブラントの見解ではあれは媚薬の類だと考えている。だが証拠はない。それに媚薬とは性的興奮を与えるものであり、お伽話などに出てくる様に相手を意のままに操り虜にするなど出来る訳がない。普通に考えれば、だが。フローラは聖女だ。あの奇跡と言われている力を使えば不可能を可能に出来るかも知れない。
そして舞踏会の一ヶ月程前、ヴェローニカをフローラ付きの侍女にするとクラウディウスから聞かされた。レンブラントが耳を疑う中、更にクラウディウスからヴェローニカに会ってやって欲しいと言われた。本心では断りたいに決まっているが、レンブラントはその申し出を受ける事にした。何故なら必ず何かあると踏んだからだ。クラウディウスがヴェローニカとレンブラントの仲を取り持つなど考え辛い。裏でフローラが糸を引いていると考えるのが妥当だろう。
ヴェローニカとの対面の日、案の定ヴェローニカはレンブラントの隙を見てカップに薬らしきものを入れていた。それを敢えて飲んだフリをした。レンブラントはヴェローニカ延いてはフローラの思惑に乗る事にしたのだ。
ーーこの時、ようやく覚悟を決めた。ずっと考えていた。
ーー僕はクラウディウスを裏切れない。
例え彼が間違った道を行こうとも、彼は大切な友人でありレンブラントの主君だ。だがこのままいけば彼やレンブラント達に未来はない。最悪な事態を想定した時に、真っ先に頭に浮かんだのはティアナの事だった。どんな事をしてでも彼女だけは護りたい。
ーーでも僕は、彼女を手放す勇気がなかった……。
決断するまでに随分と時間を要してしまった。
あの日、大勢の人々の前で婚約破棄した自分は客観的に見て酷い人間だろう。彼女に恥をかかせたのだから当然だ。きっと彼女は深く傷付いたに違いない。だがそれでいい。あの演出は必要不可欠なものだった。舞踏会という公然の場で婚約破棄をする事によりティアナ・アルナルディは王太子派とはもう無縁の存在になったと周囲に知らしめる為だ。更には言えばレンブラントとヴェローニカとの関係を公言した事により、ティアナは無縁どころか敵対する間柄になったと認識され同情も生まれる。
ヴェローニカと婚約したのは演出をする為だけでなく利用する為でもある。フローラの侍女という立場であり例の媚薬を提供する間柄ならば油断を誘い色々と情報も引き出し易いだろう。相手は聖女という未知の存在であり兎に角情報が乏しい。相手を知らなければ対策も闘う事も出来ない。クラウディウスと心中する覚悟は決めたが、最後の最後まで足掻いてやる。どうせなら聖女諸共心中するのも悪くない。
「ヴェローニカ、君に頼みがあるんだ」
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