――さて、この前屯所での暮らしだがな、彼等は週一は必ずアカネを連れて遊びに来てくれていた。
約束は守り続けてくれたと言う訳だ。
一日ごとに……来る度に成長していく妹の姿を、オレは感慨深く眺めたものだ。
いずれ自分の足で立ち、自分の言葉を発してオレに接する。
そんな時が来るのが待ち遠しいと思うのは、オレでなくとも当然であろう?
だからオレはどんな理不尽にも耐えれた。
夜はむさ苦しい冥王との床を共にし、へつらうクロを弄る日々。
その全てがやはり、掛け替えのない時間だったと――今にして思う。
『だぁだあぁ』
――ある日、屯所内での昼下がりの事。
女神がアカネを連れて、屯所へと遊びに来た時の事だ。
すっかりと『ハイハイ』まで出来るようになったアカネは、優雅にくつろぐオレの尻尾を、その愛狂しく無邪気な動作で掴んできた。
猫は本来、己の尻尾を握られる事に嫌悪感を示す。
貴公等にも経験が有ろう? 何気無く触ったつもりで、逆襲の爪痕を貰った事が。
オレも例に洩れず、その寛容は海より深いとはいえ、『成人』に尻尾を握られた日には即座に“閃爪一閃”だ。
特に学習能力皆無としか思えない、実際そうだがはずれ者の間抜けな悲鳴を聞く度に、遺憾ながらも愉快が抑えきれなかったな。
――つまり“アレ”だ。オレはアカネになすがまま、されるがまま。
尻尾のみならず、両手で抱え込まれるように弄られる事も。
こんな無礼千万、はずれ者はおろか親戚の子供等でさえ、決して許されざる重罪。
但し、女神のみは例外に位置する。
オレを自由にして良いのは彼女だけだ。
その法定は絶対であり、例外は無い。
だが此度、新たなる法定としてアカネがそのリストに加えられたのだ。
つまりオレはアカネに対して、絶対不可侵の不文律。如何なる時も彼女を崇め、尽くし続ける事を余儀無くされた。
だが不満は無い。これはオレ自身が自ら受け入れた道。
『あぅぁ~』
可愛いのだ、愛狂うしいのだ。
擦り寄って来る、こんなにも無邪気な妹の存在を、誰が無下に出来ようか。
そんなの猫本来の姿ではない。
……変わったと思うかねオレを?
気高き猫としてのオレの姿と、懐柔されたようにも見える今の姿。
貴公等はどれが本当のオレと思うかね?
そう――真実は常に二つだ。
どちらも紛うこと無き、本当の姿と云えよう。
猫も人も誰しも、善と悪の相反するその心を持って生まれてくる。
嬉しければ笑うし、憎ければ怒る。
それが生体というものなのだ。そしてそれは決して恥ずべき事ではない。
それを決して忘れてはならぬ――。
『ほし~ほし~』
どれ程の時が流れたか、遂にアカネはオレの名前を呼ぶようになった。
とは言っても、まだまだ単語の反芻の域は出ないがな。
“ほし”
女神が命名したオレの生きた証。
時を隔て新たな世代に呼ばれた時の、この時のオレの心中は如何程のものだったか。
貴公等には理解しようとも、理解出来まいて。
――変わらぬ日々。此所に舞い戻ってから久しい。
“それそろ頃合いか?”
それは彼等も同様、オレを新屯所へと戻す計画を冥王と吟味していたのを、この耳で確と聞いた。
遂にこの時がっ――と、待ちに待った瞬間に鼓動が高鳴るのも当然。
理不尽な日々とも『さらばガイアよ』だからな。
まあ決して悪い場所ではないが、やはり彼女等と常に居たいのは猫の性というもの。
決行は今より七日後の正午。この期間は『七つの大罪』と言う訳だ。
つまりオレの真価が試される七日間。
暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢――全て纏めてこの地で浄化しておこう。
生まれ変わったオレ様ほし様の、新たなる猫生が幕を開ける。
――と、そう思う程にオレは浮かれていたのだった。
それは“前も”見えぬ程にな……。
――あの日は『暴食』、オレの中のベルゼブブを余裕で浄化した、その夕暮れ時の事だった。
銀のスプーンを腹十二分に食して満足満腹、これで次から腹八分で抑える為のな。
最近は必要以上に摂取気味の傾向があり、体重は著しく増加の一方を辿っていたので、これを機会に“一大決心”――と言う訳だ。
重いとアカネがオレを『抱っこ』する時キツいだろうからな。これも法定に沿ったオレらしい配慮と云えよう。
そして食後の運動は欠かせない。
眼前に広がる全ての領域は、オレが統治する“アブソリュート・フィールド”――即ち絶対領域。
全ての大地はオレの脚を着ける為に在る。
――フフフ……。久々の“ほし節”満開だな。
最近は妹の事もあって大きな事は言えなんだが、これが本来の在るべき姿と云えよう。
貴公等もその方が『らしい』と称賛したいであろう?
心配せずともよい。
どれだけ時が移り変わろうとも、オレはオレだ。それは決して変わる事は無い。
――話が逐一脱線するのは慣れて貰おう、というより慣れろ。
太古から『習うより慣れろ』と云うであろう?
それに貴公等も“ほし節”を聞くのを毎回楽しみにしておると、勝手ながら解釈しよう。てか寧ろ当然――。
……そうだ。笑顔を絶やすでない。この先何があってもな……。
これは貴公等の“人生”の為を思って言っておるのだ。
たまにはネガティブになる事もあろう。壁にぶつかり悩む事もあろう。
だが前向きに生きておれば、おのずと道が開かれるというもの。後ろ向きだと何の解決も、成長もなくそのまま試合終了だ。何処かのお偉いさんが言ってたが、オレを以て真実と云えよう。
『何時か本気を出す』
『本当の自分は何時かやってくる』
『何時か認められる』
そんなの戯れ言だ。待ってても来よう筈がない。
何時か本当の自分がやってくると、なあなあ無為で無駄に時間を浪費し、“その時”になって初めて気付くのだ。
自分の人生は何だったんだ――とな。
その頃にはもう既に時遅し。後悔のまま全てに幕を下ろす。
オレはな……貴公等にはそうなって欲しくないのだ。
だから足掻け。今を精一杯生きろ。
……また熱くなってしまったな。閉店の間際というのは、本当に話が尽きぬというもの。
貴公等もそろそろ疲れたろう? オレも疲れた。
――さて、そろそろ夜明けだ。残された時間も、そう多くはない……。