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#三角関係
霞花怜
1,066
#イラスト部屋
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
695
自室へ向かうには、真理子のいる居間を通らなければならない。テレビの明るい光と、聞き慣れた番組の音声が漏れる廊下の手前で、柊吾は思わず足を止めた。
また、あの冷たい目で見られたら。
先ほどの「どちらさま?」という声が、耳の奥で蘇る。母が再び振り返り、そこにいる男を知らない人間として見つめたら。今度こそ、立っていられなくなる気がした。
恐怖で強ばった柊吾の背中へ、瑞樹の手がそっと添えられる。押し進めるのではなく、ここにいると伝えるような、かすかな接触だった。
「大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」
その声に背中を押され、柊吾は覚悟を決めて居間へ足を踏み入れた。
ソファに座っていた真理子が、こちらを振り返る。
「あら? お友達? 珍しいわねえ」
そこにあったのは、先ほど自分を拒絶した不審者を見る目ではなかった。いつもの、穏やかで人懐っこい母の笑顔だった。
けれど、その笑顔を見ても、柊吾の胸は安堵できなかった。
ほんの少し前まで、母は自分を知らない人間として見ていた。その事実だけが、身体の奥に冷たく残っている。
柊吾が何と答えればいいのか分からず立ち尽くしていると、隣にいた瑞樹が一歩前へ出た。
「はじめまして。お邪魔しております。いつも仲良くさせてもらっている者です」
その言葉に、柊吾は息を止めた。
瑞樹は、真理子と顔を合わせたことがある。施設で介護士として接していることも、母はきっと覚えているはずだった。だから、「以前から知っていますよ」と訂正することはできた。
けれど、それは今の真理子にとって、必要なことではない。
忘れてしまったことを指摘されれば、母は自分の記憶の間違いを責められたように感じるかもしれない。知らないはずの相手を知っていると言われれば、目の前の状況そのものが分からなくなり、不安が深くなる。
瑞樹は、真理子の認識を否定しなかった。
間違いを正すのではなく、今の母が見ている世界に合わせたのだ。
「まぁ、そうなの。ゆっくりしていってね」
真理子は嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます。少しだけ、お邪魔しますね」
瑞樹の爽やかな笑顔に、真理子は満足したように頷く。テレビへ視線を戻すまでのわずかな時間に、表情から不安の影が消えていった。
介護の現場で、瑞樹が何度も繰り返してきた対応なのだろう。相手の間違いを正すより、まず安心できる場所を作る。そんな当たり前のことを、柊吾は今まで自分一人で抱え込み、何度も失敗してきた。
「うん……ちょっと、二人で部屋で話したいことがあるから……」
「あら、邪魔しないようにしなくちゃね」
「母さんは何もしなくて大丈夫だから、そのままテレビを見ていて」
柊吾がそう告げると、真理子は穏やかに笑って頷いた。
二人は居間を抜け、奥の自室へ向かった。柊吾がドアを閉める直前、背後から真理子の声が届く。
「柊吾、お友達ができてよかったわねえ」
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
母は今、自分のことを覚えている。けれど、いつまで覚えていてくれるのかは分からない。その不安を抱えたまま、柊吾は静かにドアを閉めた。
狭い室内に向かい合わせで腰を下ろしたものの、間に置かれた小さなローテーブルが以前よりずっと遠い。
薄暗い部屋で対峙した途端、息が詰まるような沈黙。何から切り出せばいいかも分からず、柊吾は膝の上で強く指を絡めるばかり。
さっきまでは母に忘れられたショックで、ただ助けを求めたい一心だった。けれど、いざ目の前に瑞樹がいると、大樹から突きつけられたあの真実が冷たく胸に押し寄せてくる。
問い詰める怖さに喉がカラカラに乾き、溢れ出しそうな言葉を何度も呑み込んでは、意を決して絞り出す。
「……僕が、朝倉奏だと知っていたんですね」
瑞樹の喉が、かすかに動いた。
「はい」
あまりにも迷いのない返事に、柊吾の胸が痛んだ。
「……いつ、から?」
「初めて見た時から、そうではないかと思っていました。声と、目元と……それから、笑った時に少しだけ右肩が下がる癖」
そんなところまで見ていたのか。
柊吾は思わず自分の右肩へ視線を落とした。
ファンからの手紙やコメントで指摘されて、初めて自分にそんな癖があると知った、アイドル時代の思い出。当時は「奏くんの可愛くて好きなところ」として愛してくれた小さな特徴が、今となっては隠したかった過去を暴く目印にしか思えない。
コメント
3件
ようやくそれぞれの秘密を明かせれる場面にきた!!!!✨️✨️ ココから先、どのような関係になるのか気になります!頑張ってください!✨️
うわ、このエピソードめちゃくちゃ胸に来ました……。瑞樹さんの「母の認識を否定しない」対応、本当にその場に合わせるって尊いし、それが柊吾くんにとっても初めての「正さなくていい」という体験になったのが切ないけど温かい。あと、アイドル時代の癖を瑞樹が見抜いてたという伏線めっちゃ好きです。かんなさん、この繊細な心理描写、すごいです。続きが気になる…!