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「ひよりぃぃ!! 大丈夫か!? 兄ちゃんが来たからもう安心だぞ!! コイツになにかされたのかぁ!?」
ベッドの上で点滴を受けている白石さんに、お兄さんは暑苦しく迫った。さっきのドスを聞かせた声はどこへやら、デレデレの猫なで声だ。
「……お兄ちゃん? 声大きすぎ。頭に響くから静かにして……」
白石さんは虚ろな目を向けた。まだ意識がふわふわしているようだ。 僕が心配して覗き込むと、彼女の潤んだ瞳と目が合った。
「あ、陽一さん……」
「白石さん、大丈夫?」
「……私、胸が……ムカムカして、苦しいの……」
「えっ!?」
彼女は頬を赤らめ、僕の手を弱々しく握り返してきた。
「もしかしてこれ……『恋の病』、なのかな……?」
脳がバグった彼女はロマンチックな勘違いの中にいるようだった。 その時、ガラッと扉を開けて入ってきた医師が、カルテを見ながら無慈悲に告げた。
「ウイルス性の急性胃腸炎ですね」
シン、と病室が静まり返る。
「そのムカムカはウイルスの仕業です。牡蛎が原因とは思われますが断定はできません。脱水もひどいので一晩入院になります」
そう告げて、忙しそうな医師はすぐに去っていった。白石さんの顔が、真っ赤になった。
「あ、そういえば私、服……」
違和感に気づく。身体を締め付けていたガーターベルトがない。着ているのは病院の患者衣だった。忘れていた恥辱の記憶が蘇った──。
「だめぇ……見ちゃダメぇ……すごいパンツ履いてるのぉ……。ガーターも……外すの大変だからぁ……自分で」
「はいはい、点滴するから脱ぐよー。足上げてー。お着替え終了ー」
……そうだ。呆れ顔の看護師さんに、事務的な手つきで回収されたんだった。
「……ッ!」
私は恐る恐る、陽一さんの手元に視線を向けた。 彼のカバンから、病院のロゴが入った紙袋が覗いていた。 陽一さんはカバンを、まるで壊れ物を扱うかのように、大事そうに、膝の上で抱いていた。
(あああああ……ッ!!)
私の脳内で絶叫が響く。きっとあの中に入っているんだ。ガータベルトとストッキングが。私の情熱の残骸が、全部あの中に……!
顔が引きつる私を見て、陽一さんが心配そうに背中をさすってくれた。
「だ、大丈夫? 無理しないで」
彼は真剣な眼差しだった。
「服とか荷物は、僕が『責任を持って』預かってるから。絶対に、誰にも見せないからね」
(言わないでぇぇぇ!!)
その誠実さが!その「責任」という言葉の重みが! 今はただただ、鋭利な刃物となって私の心をえぐるの!羞恥心と申し訳なさ、そして現実の残酷さが胃袋を直撃した。
「……ウッ」
「し、白石さん!?」
「ひ、ひより大丈夫か?!」
「だ、だいじょうぶ……。私には陽一さんがいるから。とりあえずお兄ちゃんがいると休めないから、帰って」
その言葉は、鋭いナイフのように兄の巨体を貫いたようだった。
「え……? ひより……? お、俺は……お前のために……」
大型犬が雨に濡れたような、シュンとした顔になる強面の男。
「……そ、そうか。……じゃあ、俺は……帰るわ……」
とぼとぼと病室を出ていく兄を見送る。私のことになると、この兄は意外と打たれ弱いのだ。
帰り際、白石さんのお兄さんは彼女が見ていない隙をついて、僕の胸ポケットに何かをねじ込んできた。そして、低い小声で告げた。
「……今日はひよりに免じて引いてやる。後日、あいつにバレないようにここに来い。……来なかったらどうなるかわかるよな?」
兄が去った後、僕はおそるおそる名刺を見た。『組』の代紋が入っているかと思いきや——
『Personal Gym DAICHI 代表トレーナー 白石大地』(ボディビル大会 優勝経験あり)
「……ジムの、トレーナー……?」
僕はへなへなと座り込んだ。ヤクザじゃなかった。命は助かった。
けれど、これから僕はどうなってしまうんだろうか。
カバンの中には彼女のガーターベルト。手の中には魔王(マッスル兄貴)からの招待状。 僕の受難は、まだ始まったばかりのようだった。