パッと私から身体を離すと、子供のようにパアッと嬉しそうに笑った。
私は背伸びをしてキスをする。
「すぐに焼くから、着替えて来て?」
けれど、雄大さんは私を見下ろしたまま、動かない。不思議そうな顔をして。
「どうしたの?」
「やっぱり、すぐにでも婚姻届を出そうか」
「え?」
「今、セックスしたら子供出来る気がする」
「はぁ?」
やたらと真顔でおかしなことを言うから、私は自分でも驚くような間抜けな声を出してしまった。
「いや、マジで。今日はヤバイ」
「疲れすぎておかしくなったの? むしろ、今日は大人しく寝たら?」
「無理だろ! 溜まり過ぎて爆発寸前」と言って、私の胸に手を伸ばす。
私はその手を軽く払いのけた。
「私はお腹が空き過ぎて餓死寸前です!」
雄大さんは渋々寝室に行き、私はキッチンに行った。
こんな甘い新婚夫婦のような会話が、くすぐったい。
本当に、今すぐに届を出してしまえたら——。
そんなことを考えてしまう。
違う。
願ってしまう————。
「洗濯機回してるから、忘れてたら言って」
ちょうど餃子がいい具合に焼けた時、雄大さんがキッチンに入って来た。冷蔵庫からビールを二本出す。
「お土産、リビングに置いてあるから」
「ありがとう」
食事中、雄大さんは出張中の話をしてくれた。熊本では大雨だったこと、一転して愛知では快晴で暑かったこと。京都であったハプニング。
「京美人と浮気しなかった?」
「そんな暇があったら、こんなに疲れてねーよ」
笑い合いながら、ふと思った。
京美人以外とは浮気しなかった——?
黛に渡された写真を思い出す。
二人で食事をして、肩を並べて部屋に入って、何をしたの——?
「馨?」
呼ばれて、ハッとした。雄大さんが心配そうに私を見ている。
「どうした?」
「あ……」
「まさか、本気で浮気の心配してたのか?」
「違う、違う! 今日の餃子、ごま油を入れ過ぎたかなと思って」
我ながら苦しい言い訳。
「そうか? 美味いぞ?」
「それならいいの」
聞いてしまえたらどんなに楽か。
どうして、京都で春日野さんに会っていたの……?
雄大さんの顔を見るまで、それほど気にしていないつもりだった。
けれど、あくまでも『つもり』で、本当は気になって仕方がなかった。
「馨の方はどうだった?」
「……何が?」
「出張。北海道は寒かったか?」
写真のことで頭がいっぱいで、つい一週間前の出張が一年も前のことのように思える。
「ううん。天気が良くて暖かかったよ。とは言っても、薄手のコートは手放せなかったけど」
「持って行って正解だったろ?」
この時期の北海道はいくら天気が良くても、羽織るモノが必要だと教えてくれたのは、雄大さん。
「今度は一緒に行こうな」
「え?」
「北海道」
雄大さんが、私が作った餃子を美味しそうに頬張る。
「札幌と小樽には行ったんだろう? なら、次は函館かな。あ、お前スキーかスノボしたことあるか?」
「何回か……」
「じゃあ、冬の北海道でスキーもいいな」
「そう……だね」
『馨ちゃんは何を諦められるの? 何が諦められないの?』
昨夜から、頭から離れない澪さんの言葉。
雄大さんを諦める……?
『部長のそばにいる今の馨、好きよ』
誰よりも私を心配してくれている真由の言葉。
私も、雄大さんと一緒にいる時の自分が好き。
『二人で別々に深刻に考えてたって、息が詰まるでしょ? なら、一緒に深刻に考えたら?』
確かに、こうして一人で悩むのは息が詰まる。
『限界まで足掻いて、ダメなら駆け落ちすれば』
それもいいのかもしれない。
「そういえば、札幌でラーメン食って来たか?」
「え? ああ。うん」
「美味かったか?」
「うん」
「そっか」
『ラーメン、好きか?』
数か月前、初めて二人で食事をした時、聞かれたことを思い出した。
『今度、食いに行こうぜ』
今、思えばおかしな始まり方だった。
定食屋でラーメンの話をした後に、キスされた。
無意識に、顔がにやける。
「何だよ、いきなり笑いだして」
食事を終えた雄大さんが、食器を重ねながら気味悪そうに私を見た。
「雄大さんに『ラーメン好きか』って聞かれた時のことを思いだしちゃって」
「……ああ……」と、雄大さんがビールを飲み干す。
「忘れろ」
「なんで?」
「あんなふざけた口説き方、思い出したくもない」
不機嫌そうに食器をシンクに運ぶ。
「ふざけて口説いたんだ?」と言いながら、私も食器を片付ける。
「違う。もっと格好良く口説きたかったってことだ」
格好悪かった自覚はあるんだ……。
「けど、お前は他の女とは違ったから……って! いいんだよ、そんなことは」
珍しく、雄大さんが動揺している。
私の中の悪戯心が疼く。
「どう違ったの?」
覗き込むように彼の顔を見上げると、目を逸らされた。
「それはもういいから」
私はわざと拗ねた顔をして、スポンジに洗剤を垂らした。
「言ってましたもんね。『俺の前で音立てて食う女は初めてだ』って。どーせ、他の女とはリッチなフレンチとか行ったんでしょう?」
「リッチなフレンチに行きたかったのか?」と、今度は雄大さんが私の顔を覗き込む。
私は彼にされたように、目を逸らした。
「行きたくないですよ。ドレスコードとかテーブルマナーとか面倒ですもん」
「元彼は連れて行ってくれなかったのか?」
急に昊輝の話題になって、危うく茶碗を落としそうになった。
「どうしてそこで昊輝が出てくるんですか」
「いや? なんとなく」
自分で聞いておきながら不機嫌な顔で、雄大さんは布きんでテーブルを拭く。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!