テラーノベル
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夜、家に帰って、コートを脱ぐ前に電話をかけた。
三回で、恵子が出た。
「はい」
「紗英です。夜分にすみません」
「何。悠人に何かあったの」
「いいえ。十二日のことで」
電話の向こうで、テレビの音が小さくなった。
「十二日、ご予定はありますか」
「……あるわよ」
恵子は、少し間を置いてから言った。
「悠人の会社の人から、パーティーの招待が来てるのよ。『新しい人生のスタートを祝う会』だって。幹事は、桐谷さんっていう、知らない人。あの子、大阪じゃないの。記念日に出張だって」
「ええ」
「それなのに、その日に会社の人が東京でパーティー。おかしいでしょう。私、行くかどうか迷ってたのよ。あの子に聞いても、『母さんは来なくていい』って言うし」
悠人は、知っている。母が招かれていることを。知っていて、来るなと言った。
「お義母さん」
私は、コートを着たまま、玄関に立っていた。結婚写真は、伏せたままだった。
「来てください」
「……え」
「十二日、ミモザガーデンに来てください。私も、仕事でそこにいます」
「あんたの式場で、やるの? 会社のパーティーを」
「はい。私が、担当です」
「桐谷さんって、誰なの。あの子の知り合い?」
「依頼者です。それ以上は、守秘義務でお答えできません」
「守秘義務って、私は母親よ」
「はい。だから、席をお作りします」
恵子は、黙った。長い沈黙だった。テレビの音が、また少し大きくなった。
「席を、悠人さんの隣にします」
「隣」
「主賓の席の、隣です。お義母さんの席は、そこしかありません」
「……あんた」
恵子の声が、低くなった。
「何を企んでるの」
私は、答えなかった。答えると、嘘になるか、本当になる。どちらも、電話で言うことではなかった。
「お義母さんが来てくだされば、十二日の式は、完璧になります。それだけです」
「……」
電話が切れた。
私はコートを脱いで、手帳に書いた。十二月二日、二十一時十分。恵子、招待を受けている。悠人は「来なくていい」と言った。
書いてから、恵子の言葉を、数えなかった。
◇
翌朝、企画室の板に、ピンを全部刺した。
主賓席。スクリーンの正面。入口から十二歩。
その右に、会社の十人。大森が一番近く。その隣に柴田。同期が三人、後輩が四人。全員、白いものを一つ。
左の二つの円卓に、ひなのの友人二十人。かれんが、ひなのが立つ位置の一番近く。
壁際に、報道の三人と、本部の広報が二人。
一番後ろに、一ノ瀬。
そして、主賓席の隣。
私は、最後の一本を取った。赤い頭のピン。
刺した。
『高梨恵子様』
「これで、全部ですか」
美咲が、扉を閉めて言った。
「全部」
「お母様、ここですか。本人の隣」
「依頼者の希望で招かれた人だから。主賓の家族は、主賓の隣に座る。式の決まり」
美咲は、板の前に立って、ピンを一本ずつ、目で追った。主賓席。その隣の母。右の会社。左の友人。壁際の報道。一番後ろのオーナー。
「これ、刺す位置、全部意味あるんですよね」
「ある」
「主賓から、会社の人の顔が見える。お友達の顔も見える。お母さんは、隣だから、顔が見えない。見えないけど、声は聞こえる」
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
赤井 里会
1,613
ゆうき
73
「そう」
「オーナーは、一番後ろだから、主賓からは見えない。でも、主賓の顔は、オーナーから一番よく見える」
「そう」
美咲は、板から目を離さなかった。
「チーフ。これ、ただの席次表じゃないですよね」
「席次表は、プランナーの一番の武器なの」
私は言った。
「十年、何百枚も刺してきた。別れた両親を離す。耳の遠い祖母をスピーカーから離す。新郎の友人の中の、新婦の元恋人を、新婦から一番遠くに置く。誰も、席次表で何かが起きたとは思わない。起きたことは全部、その人たちが自分でしたことになる」
「……すみません」
「何が」
「ただの飾り付けだと思ってたことが、です。この仕事」
美咲は、板の前から離れなかった。離れないまま、「映像のタイミング、席から逆算して組み直します」と言った。
「スクリーンが一番よく見えるのは、主賓席」
「はい」
「次に、その隣」
「……はい」
美咲は、恵子のピンを、指で一度だけ触った。触って、すぐに手を引いた。
◇
夕方、悠人から電話が来た。
「ピッチ、最終プレゼンの日が決まった。十日」
「そう」
「木曜。向こうの本部で、三社が順にやって、その場で決まるらしい。一ノ瀬さんも出るってさ」
悠人の声は、上がっていた。嘘のときの上がり方ではなく、楽しいときの上がり方だった。
「勝ったら、十二日は……」
言葉が、止まった。
三秒。四秒。
電話の向こうで、悠人が何を考えたのかは、分からない。十二日に何があるのか。十二日に、誰に何を言ってあるのか。母に、妻に、会社に、ひなのに。
「いや」
悠人は言った。
「出張だ。大阪」
語尾が上がった。
「いってらっしゃい」
私は言った。三度目だった。
「……ああ。それと、母さんから何か聞いたか」
「何を」
「いや。何でもない。母さんは、来なくていいって言っといたから」
「そう」
「じゃあ」
電話が切れた。四百二十一、と数えた。
数えてから、『いってらっしゃい。気をつけて』とだけ打って、送った。既読は、つかなかった。
◇
二十三時に、スマホが一度だけ震えた。
恵子からだった。
文面は、短かった。
『行きます』
コメント
1件
読み終えました。席次表って、ただの座席の配置じゃないんだなって思い知りました。主賓の隣に母親の席を置く「赤いピン」の重み。美咲さんが気づいた「映像のタイミングを席から逆算する」って台詞もゾクッとしました。恵子からの「行きます」の三文字だけで、ここまで緊張感が走るの、すごいです。12日の式、何が起きるんだろう……伏線がどう繋がるのか、もうドキドキしながら次の話を待ってます!