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#戦乙女
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「退勤させていただきます!!」
私が叫んで右足に力を込めた瞬間、足元の光る四角い枠が、ギチッと嫌な音を立てた。
「……動けない!?」
『……サクちゃん、固まった……これじゃ爆ぜられない……』
「それはよかった!!」
右足が抜けない。
床に瞬間接着剤でも塗られたみたいに、ぴくりとも動かない。
エクセル=テンプレートは、冷たい眼鏡の奥から私を見下ろしていた。
その顔には、一滴の感情も乗っていない。
「無駄です。セル内に固定された対象の移動権限は、読み取り専用です」
「読み取り専用!? 人をファイル扱いするな!!」
「現在、あなたの行動権限は最小化されています」
「権限!? 何この能力!? 魔法!? 社内システム!?」
「管理魔法です」
「なんか一番嫌な魔法!!」
私が全力で拒絶しているのに、エクセルは淡々とバインダーをめくった。
『……怖い……』
リツが足元で小さく震えた。
私も震えた。
前世の記憶が、勝手に社内ネットワークへ接続してくる。
張り詰めた会議室。
冷めた紙コップのコーヒー。
誰も見返さない議事録。
謎に増える共有フォルダ。
やめろ。
死後にまでオフィスの湿度を持ち込むな。
「無駄話は終わりです。おとなしく捕まっていただきます」
「いやです、捕まりません」
反射で答えてしまった。
口角だけが上がったのが分かる。
目は笑っていない。
嫌な顔だ。自分でも分かる。
私が首を横に振ると、エクセルが無言で一歩踏み出した。
パリッとしたスーツの裾が揺れる。
手に持ったペンが、バインダーの上で冷たく光った。
「逃がしません。展示品は展示室に戻していただきます」
「逃げません、殴ります」
また反射で答えてしまった。
無意識に拳を握っていた。
エクセルの動きが、ぴたりと止まった。
「……抵抗とみなします。対象をデリート」
……まずい。
このまま正面から行ったら、殴る前に消される。
その瞬間、私の脳内に、ムダ様のありがたい言葉が響いた。
『謝罪とは、敗北ではない。
敵の懐に入るための手段だ。
だから頭を下げるんだろ?』
なるほど。さすがムダ様だ。
謝って近づく。
近づいたら、そのまま轢く。
完璧な作戦だ。
誠意と筋肉が両立している。
「ち、違うの! 通してください! 謝りますから!!」
「……は?」
『……急な態度変更!?』
エクセルとリツが、同時に止まった。
よし。混乱している。謝罪は効いている。
「リツ!! ここは誠意の見せどころ!!」
『……え?』
私は固定された右足を軸に、勢いよく前へ倒れ込んだ。
ドンッ!!
両手と両膝を、光るセルの中の床に激しく叩きつける。
「……何をする気ですか。……土下座?」
『……それ、土下座……?』
エクセルとリツが、ほぼ同時に言った。
「反省モード全開!!」
私は地面に向かって叫んだ。
エクセルのペンが止まった。
無表情な顔に、初めて「処理不能」の色が浮かぶ。
『……サクちゃん……? わかった……みじめになる前に、一緒に爆ぜようね……』
「リツ!! 爆ぜない!! この姿勢のまま前に走って!!」
『……土下座で……?』
「そう!! 誠意のまま突っ込む!!」
『……倫理が……滑り出した……』
「いける!?」
『……分からない……でも靴は……走るものだから……』
足元のリツが激しく光り始めた。
青白い光が、一気に危険な赤へ変わる。
それと同時に、私の胸の奥で、別の熱が爆ぜた。
【スキル:《怪力 × 鉱物化》──大事な会議で噛んで記録されたモード】発動!!
その瞬間、私の脳内で、封印していた記憶が開いた。
取引先との会議。
相手は偉い人。
こちらも偉い人。
全員が真面目な顔をしている。
私は深く頭を下げた。
「しゃくらと申しまちゅ。ほ、本日は、よろしくお願いしましゅ」
噛んだ。噛みまくった。
しゃくらって誰だ。
しかも、かわいい方向に噛んだ。
(違う!! 違うの!! 私はそんなキャラで御社と向き合ってない!!)
「……し、しつれいちました」
(また!?)
「いや、ちが!……もうしわけありましぇん!」
(いやぁああああああ!!)
「……本日はよろしくお願いします。しゃくらさん」
取引先の偉い人が、心配そうに私を見つめてきた。
優しさにも刃物があることを知った。
──この時、私のキャリアは死んだ。
だが、事故はそこで終わらなかった。
会議後。
私は震える指で、上司へチャットを打った。
『了解でちゅ』
──送った。
上司に送った。送ってしまった。
社会人の皮を着た何かが、上司に「でちゅ」と送った。
しかも最悪なことに、そこは、全社員が入っている『全体周知用グループチャット』だった。
あの日の沈黙。
直後に上司から返ってきた『承知しまちた。お疲れ様でちゅ』という、一切の感情を排した大人の気遣い。もしくは煽り。
──地獄だった。
さらに最悪なことに、全部議事録に残った。
『冒頭、しゃくら氏より「お願いしましゅ」と発言』
『続けて、「失礼ちました」「申し訳ありましぇん」と発言』
『会議後、社内連絡にて「了解でちゅ」と回答』
『しゃくら氏は終始天井の蜘蛛を見つめていた』
誰だ。誰がそんな精密に記録した。
悪意あんだろこれ。
そこは要約しろ。
議事録の神経が細かすぎる。
その全部が、今。
土下座中の私の全身に流れ込んでくる。
《天の声:
取引先に「しゃくらと申しまちゅ」。
続けて「お願いしましゅ」。
訂正で「失礼ちました」と「申し訳ありましぇん」。
全体チャットに「了解でちゅ」。
そして議事録には、全部残った。
つまり黒歴史だ。
社会的羞恥が逃げ場を失い、筋肉へ変換されるモード。
恥は熱に、熱は力に、力は謝罪姿勢に宿る。
なお、サクラの力はだいたい5,000%上がる。》
「違うし。あれは言語中枢の労災だし」
『……サクちゃん……土下座が赤い……』
「赤面が全身に回ってるのよ!!」
『……怖い……過去イチ自爆したい……』
「私が一番怖いわ!!」
鉱物化した両手と両膝に、羞恥の熱が流れ込む。
床に押しつけた手のひらが、ぎち、と石を噛んだ。
足元では、リツの靴底が赤く燃えている。
怪力と鉱物化。
リツの走力。
そして、消したい過去。
全部が、光るセルの中で膨れ上がった。
(熱い!? 足の裏が焼ける!? 心も焼ける!?)
セルが悲鳴を上げた。
光る罫線が、内側からミシミシと歪む。
「読み取り専用でも、黒歴史で上書きさせていただきます!!」
私は土下座の体勢のまま、エクセルに顔を向けた。
「意味不明な宣言をしないでください」
エクセルが眼鏡をクイっと上げた。
その奥の瞳が、わずかに見開かれる。
理解不能なシステムエラーに直面したような顔だ。
「私も分かってない!!」
私はヤケクソ気味に叫んだ。
──次の瞬間。
『……サクちゃん……爆ぜるよ……』
「オッケー!! 行こうか──」
リツが呟くと同時に──パリンッ!!
光るセルが、無理やり破られた。
「セルが割れた!?」
エクセルの声が、初めて少しだけ揺れた。
そして。
ドガァン!!
リツの爆発的な加速と、怪力の踏み込みが重なった。
私の体が、土下座の姿勢のまま前方へ打ち出される。
土下座滑走、開始。
鉱物化した手のひらと膝が、石の床を猛スピードで削り飛ばした。
ギャリィィィィィンッ!!
火花が弾け、凄まじい摩擦音が廊下を切り裂く。
勘違いしないで欲しい。
私は──謝罪している。
(つづく)
──【グレート・ムダ様語録:謝罪の法則】──
『謝罪とは、敗北ではない。
敵の懐に入るための手段だ。
だから頭を下げるんだろ?』
解説:
謝罪とは、負けを認める行為ではない。
相手の警戒心の下に潜り込むための姿勢である。
頭を下げれば、敵は油断する。
距離は縮まる。顎も近い。
あとは筋肉で解決すればいい。
誠意とは、言葉ではない。
近づく力だ。
深く頭を下げろ。
そして、そのまま加速しろ。
なお、普通はそこで許しを請う。
ムダ様はそこで助走をつける。