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레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
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「いっ……ててて……。結愛、痛み止めの薬、もう一錠飲んでもいいか……?」
帯広のボロアパート、四畳半。
俺は、薬局で一番高かった医療用の分厚いコルセットで腰をガチガチに固め、三万円のゲーミングチェアの上で浅く呼吸を繰り返していた。
オーディションでの煽り合いの末、勢い余って立ち上がり、再び四十歳の腰椎を破壊してから数日。
いよいよ今夜、VTuber界の口喧嘩格闘エンタメ『V-Breaking』の本戦が幕を開けようとしていた。
『ルシフェル様。用法・用量を逸脱した鎮痛剤の過剰摂取は、重篤な副作用を引き起こすリスクがございます。現状はプラセボ効果を信じ、精神力で痛みをコントロールされることを推奨いたします』
ディスコードの裏回線から、アシスタントの結愛(ゆあ)の、氷点下のように冷たい正論が飛んでくる。
「精神力でどうにかなる痛みじゃねえんだよ! 俺の背骨は今、ガラス細工みたいに脆くなってんだぞ!」
俺が悲鳴を上げていると、目の前のモニターに映し出されたスタプロの公式配信枠で、ド派手なオープニング映像が流れ始めた。
『さあさあさあ! 始まりました! VTuber界の最強の「口」を決める闘技場! V-Breaking本戦!!』
MCを務める神崎プロデューサーの、異常にテンションの高い声が響き渡る。
画面の右上に表示された同時接続者数(同接)は、開始直後だというのに、すでに『十万人』を軽々と突破していた。
スタプロの巨大な資本力と宣伝網、そして若手からベテランまで、血の気盛んなVTuberたちが集結するというお祭り騒ぎに、ネット中が熱狂しているのだ。
「じゅ、じゅうまんにん……。お前ら、どんだけ他人の口喧嘩が見たいんだよ……。性格悪いぞ……」
『闘争本能は人類の普遍的な欲求です。安全圏から他者の諍いを見物するエンターテインメントは、古代ローマの剣闘士試合から現代のインターネットまで、決して廃れることのない巨大市場でございます』
「お前のその冷静な分析、時々本気で怖いんだけど」
俺が冷や汗を拭っていると、配信画面が切り替わり、いよいよ第一試合の対戦カードがデカデカと表示された。
『第一試合! ネットの底辺から這い上がった絶対的納税者、ルシフェル和尚!』
「おい! キャッチコピーがひどくねえか!? なんで俺だけ税金推しなんだよ!」
『対するは! 新世代の論理的思考で界隈を切り裂く、若きインテリ系論破王! シュン!!』
画面の右半分に、銀縁メガネをかけ、スマートなスーツを着こなした細身のイケメンアバターが表示された。
「シュン……? あの狂犬のレオンじゃないのか」
『はい。レオン氏は別のブロックでの出場となっております。今回対戦されるシュン氏は、ビジネス系の知識と論理的なトークを武器にする、急成長中の若手インフルエンサーです』
結愛のデータ分析によると、ただ感情で吠えるだけのヤンキーよりも、厄介な相手らしい。
『ルールは簡単! 1対1の通話タイマン形式! 持ち時間はそれぞれ1分間! 相手を言葉で徹底的に論破し、視聴者アンケートで過半数を獲得した方が勝者となります!』
神崎Pの説明と共に、俺とシュンの通話回線が公式配信に接続された。
『それでは、さっそくバチバチにやり合っていただきましょう! 先攻は、シュン選手! 1分間、スタートです!!』
ゴングの音が、バーチャルの闘技場に鳴り響いた。
「さあ、来い! ガキの理屈なんか、四十歳の年の功で全部跳ね返してやる!」
俺がコルセットの巻かれた腰に手を当て、待ち構えていると。
対戦相手のシュンが、メガネをクイッと押し上げる動作(トラッキング)と共に、薄笑いを浮かべて口を開いた。
『――えー、まずは本日のアジェンダとして、この界隈におけるパラダイムシフトの遅れについて指摘させていただきたいんですが』
「…………は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
アジェンダ? パラダイムシフト?
『ルシフェルさん。あなたのようなレガシーな存在が、いつまでも古い価値観で居座っているから、我々のようなイノベーターのブルーオーシャンが、ノイズだらけのレッドオーシャンに変わってしまうんですよ』
「ちょ、ちょっと待て。お前、何言って……」
『マイルストーンも設定せずに、ただ感情論のエビデンスゼロなトークで喚き散らす。それって、リスナーに対するコミットメントが欠如しているとしか思えないんですよね』
シュンの口から、息継ぎの隙も与えないほどの猛スピードで、横文字のビジネス用語が機関銃のように乱射され始めた。
「こ、コミット……? エビデンス……? お前、日本語で喋れよ!」
『あはは、やはりリテラシーが低いようですね。要するに、あなたは時代遅れのオワコンだと言っているんです』
シュンは、勝ち誇ったような冷たい視線を俺のイケメンアバターに向けてきた。
『スタプロの3Dコラボで少しバズったからといって、自分のコアコンピタンスを見誤らないでいただきたい。あなたのアウトプットは、もはやリスナーに何のベネフィットも提供できていない』
『おおおおお!!』
『シュンくん頭いい!!』
『和尚が完全にポカンとしてるwwww』
『横文字の嵐で草』
『論破王の独壇場だ!!』
『おっさんの脳の処理速度が追いついてないww』
チャット欄の若者たちは、シュンのインテリジェンス溢れる(ように見える)言葉の暴力に熱狂し、彼を支持するコメントで溢れかえっていた。
『これからのVTuberに必要なのは、シナジーを生み出すアライアンスと、徹底したROIの追求です。あなたのような、ただの思いつきで行動する感情的な老害は、この界隈のボトルネックにしかならない。……ASAPで、引退されることをお勧めしますよ』
『ピピーッ!』
『そこまで! シュン選手、見事な1分間のスピーチでした!!』
神崎Pの笛の音と共に、シュンのターンが終了した。
「…………」
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で、完全に口を半開きにして固まっていた。
(……やばい。何言ってるか、半分もわからなかった……っ)
四十年間、底辺の派遣社員やコールセンターを転々としてきた俺の脳内辞書には、港区のIT企業で飛び交うような『横文字ビジネス用語』は、ほとんどインストールされていなかったのだ。
『wwwwwwwww』
『和尚の顔wwww』
『完全にフリーズしてるww』
『知能の差が出たな』
『これはシュンの圧勝だろww』
『さよなら和尚……お前の税金芸、忘れないよ……』
リスナーたちは、俺が言葉の暴力に圧倒され、完全に論破された敗北者であると確信し、すでに葬式の準備を始めていた。
『さあ、ルシフェル選手! 圧倒的なロジックで攻め込まれましたが、反撃なるか!? 後攻、ルシフェル選手のターン! 1分間、スタートです!!』
無情にも、反撃のゴングが鳴らされる。
画面の向こうで、シュンが「さあ、言い訳を聞かせてくださいよ」とばかりに、余裕の笑みを浮かべている。
俺は、モニターを見つめたまま、俯いていた。
痛む腰。
横文字でバカにされた、四十歳の惨めなプライド。
『……ルシフェル様』
結愛の冷たい声が、裏回線から静かに響いた。
『ビジネス用語を並べ立てるだけの詭弁に、屈するおつもりですか? 彼の発言は、市販のビジネス書の見出しをランダムに繋ぎ合わせただけであり、論理的整合性は皆無です。実体を伴う【数字】が一つも含まれておりません』
「……数字」
そうだ。
あいつは、小難しい言葉で飾っているだけで、俺の心に刺さるような【現実の痛み】を何一つ語っていない。
俺が日々戦っているのは、パラダイムシフトでもシナジーでもない。
血を吐くような確定申告と、容赦なく襲い来る消費税と、インボイスという名の国家のシステムだ。
「……ふっ」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
モニターの中の超絶イケメンアバターの目に、底辺を這いつくばってきた男の、ドス黒い炎が宿る。
「おい、シュンとか言ったな」
俺は、極限まで低くした、地獄の底から響くような声で口を開いた。
「お前のその綺麗な横文字……全部、俺の『税金』の前じゃ、何の役にも立たねえんだよ」
反撃のターン。
四十歳のおっさんが、若きインテリ論破王に突きつける、血と汗と涙に塗れた『資本主義の真実』が、今、炸裂しようとしていた。
コメント
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第86話、ついに本戦開始ですね!第一声からシュンの横文字ラッシュに圧倒される和尚、でも結愛の「数字が足りない」って指摘で我に返るシーンが最高でした。パラダイムシフトとか言われても、こっちは確定申告と消費税で血を吐いてるのにね。反撃がここで終わってるから続きが気になりすぎます!