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(昨夜のあれは一体なんだったの!)
羽理は今まで雲上の人だと思っていた屋久蓑大葉をグッと身近な存在として自分のすぐそばまで引きずり降ろしてきた風呂後の一件について、一人デスクでむむーんと頭を悩ませていた。
だって、そのせいで――。
「荒木さん。おーい、荒木さーん、聞こえてる!?」
「羽理、倍相課長に呼ばれてるよっ」
机上に無造作に置かれたスマートフォンの真っ暗な画面をぼんやり眺めていたら、ちょんちょんとすぐ横に座る法忍仁子に肩をつつかれた。
「ふぇっ!?」
いきなり推しの名前を告げられた羽理はビクッと身体を震わせて変な声を出して、仁子にキョトンとされてしまう。
「大丈夫? 荒木さんがぼんやりしてるなんて珍しいね」
慌てて課長の元へ駆けつけたら、倍相岳斗は羽理を叱ってきたりせず、逆に心配してくれた。
というのも羽理、プライベートではぶっ飛んだところばかりが目立つけれど、仕事には毎日真摯に取り組む真面目社員。
ゆるふわなミディアムロングのミルクティーベージュ色の髪の毛は、オフィスにいる今は作業の邪魔にならないように両サイドを編み込んで、後ろでキュッとひとつにまとめてあるし、服装も今日は控えめな色調のサーモンピンクのパフスリーブブラウスにくすんだ黃みの赤のくるぶし丈のテーパードパンツ姿という、女性らしいけれど機能性も兼ね備えたオフィスカジュアル。
暑い夏でも露出度は控えめ。割と清楚に見えるものをコンセプトに毎日コーディネートを決めるよう心掛けているのだ。
家では髪も基本ゆるっとサイドアップにしていることが多いし、服装も頓着しない羽理だけれど、仕事となると話は別。
キチッとした外観を意識することで、気持ちを切り替えていた。
当然そんな羽理は、『すみません。昨夜プライベートでちょっとしたハプニングがあって寝不足なんです』なんて言い訳はしない。
「ご心配おかけして申し訳ありません。――大丈夫です」
キリリとして姿勢を正せば、倍相課長もそれ以上追及してこなかった――、のだけれど。
「先日屋久蓑部長が出張に行かれた際のこれなんだけど」
不意に屋久蓑部長の名を出されて、スマートフォンの連絡先に昨夜新たに追加されたばかりの〝屋久蓑大葉〟との有り得ないやり取りを思い出してしまった羽理は、思わず「ひゃっ、裸男っ!」と意味深な発言をして、倍相課長に「えっ? 裸男?」と問い返される。
「あ、あのっ、なっ、何でもありませんっ。きっ、気のせいですっ」
倍相課長から何が気のせいなの?と再度問い掛けられたらどうしようと思っていた矢先。
「――倍相くん、話し中のところちょっと悪いんだけど、出張のことについて、彼女に直接説明したいことがあるんだ。――いいかな?」
すぐ横からいきなり声を掛けられた。
その、昨夜さんざん聞かされたよく通る低めな声音に、羽理は声の主を恐る恐る見上げて。
「やっ、屋久蓑部長っ!」
今まで会社では全く接点のなかった上司様の突然の降臨に、大きく瞳を見開いた。
***
「はぁー。分からねぇわけだわ」
「え?」
「いや、お前、化けすぎだろ!」
同じフロア内。
最奥にある部長室へ入って扉を閉ざすなり、屋久蓑部長に「詐欺だ!」と盛大に溜め息をつかれた羽理は、「いきなり失礼な人ですね!?」と反論せずにはいられない。
「失礼? 俺のことを倍相課長の前で裸男呼ばわりした奴に言われたくねぇわ」
だけど、すぐにそう反論されてしまってはグッと言葉に詰まるしかなかった。
「ホントお前、家にいる時とギャップあり過ぎんだろ」
でも、そんな風にもう一度こちらを見詰められてしみじみ言われたら、羽理だってさすがに黙っていられない。
「そ、それはっ。あの時はお風呂上りでしたし、すっぴんでも仕方ないじゃないですか!」
裸にばかり気を取られていて失念していたけれど、考えてみればこのハンサムな部長様にはメイクなしの顔まで見られてしまっていたのだと今更のように気が付いた羽理だ。
「あ? すっぴん? 言われてみりゃ確かにそうだったか。――けどお前、今だってそんなに化粧、濃くねぇだろ」
言われて、ずずいっと顔を近付けられた羽理は、「ひっ」と小さく悲鳴を上げて後ずさった。
そんな羽理を見て、屋久蓑部長がニヤリと笑って続けるのだ。
「まぁー確かによく見りゃぁ今日はメイクしてんな?とは思うがな、安心しろ、荒木。化粧なしでもお前、十分可愛かったぞ?」
さらりと。本当にさらりとイケメン上司さまに〝可愛かった〟などと割と至近距離で褒められた羽理は、にわかに照れ臭くなって。
「おっ、おだてても何も出ませんからね!?」
つい照れ隠しに憎まれ口をたたいてしまう。
「は? 元よりお前に何か出してもらおうだなんて思ってねぇよ。……で、さっきから俺が言ってる違いすぎるってのは服装の話、な?」
「服、装……?」
「……ああ、家じゃお前、猫尽くしだっただろ」
ククッと思い出し笑いをされた羽理は、あの時の服装を思い出してハッとして。
「そう言えば私、屋久蓑部長にひとつご報告があるんでしたっ!」
ポンッと手を打って、「うちの家、妖精さんがいるみたいなんですよ!」と口早にまくし立てたら、屋久蓑部長に「は?」と怪訝な顔をされてしまった。
まぁ羽理自身、半信半疑なのだから仕方がない。
羽理は小さく深呼吸をすると、何故そう思ったのかを語り始める。
「私、Tシャツの上に三毛柄のバスローブを羽織ってたじゃないですか。あれ、実は下ろしたてだったんですけどね……」
部長を家まで送った後、家に帰ってみたら脱衣所のゴミ箱に、切り取られたタグが捨てられていたのだと一息にまくしたてた。
「私、慌ててたからあの時、商品タグを付けたまま着てたみたいなんです。けど不思議と痛くなかったからタグがあることにすら気付いてなかったんですけど……。そのまま洗濯かごに放り込んじゃってたから妖精さんが見かねたんですかね? 留守してる間に切り離してゴミ箱へ捨ててくれてたんです!」
歯磨きしようと洗面所へ行って、そのことに気付いた羽理はいたく驚いたのだと興奮気味に語った。
「だからですねっ、部長がうちにワープしてらしたのも……もしかしたらその妖精さんのイタズラかも知れません!」
***
そこまで口を挟む余地もないくらい一気にまくし立てられた大葉は、キラキラと瞳を輝かせて不思議現象の原因が分かったと言わんばかりの荒木羽理に、マジか……と思わずにはいられない。
「――なぁ、お前が俺の着るモン買いに行ってくれてた間、俺がお前ん家でひとり留守番してたの、忘れてねぇか?」
「え?」
「だからっ。そのタグ切り離したのは俺だよ」
「……嘘ッ!」
「嘘じゃねぇわ。普通見たこともねぇ妖精へ行く前にそっちの可能性考えんだろ」
「た、確かにその通りですけど。――あ。けど……えっ!? ってことは……。ちょっと待ってくださいっ。部長って実は妖精さんだったんですか?」
「はっ? 何でそうなる! どう見ても俺は普通の人間だろーが。――荒木、お前一回そのメルヘン世界から脳みそ切り離せ」
告げられた言葉が信じられないと言わんばかりに瞳を見開く荒木に、大葉は苦笑せざるを得なくて。
(そう言えばコイツ、俺のこと魔法使いにしようとしたこともあったな)
童貞呼ばわりとともに、そんなことを言われたことまで思い出してしまう。
「でも……部長が妖精さんじゃないってことは……えっと……つまり……普通の人間の部長がっ! 私が服にタグを付けたままだったことに気付いてこっそり外して下さってたってことですか……?」
ややしてポツンと落とされた言葉に、大葉は(メルヘン女め、やっとまともな思考回路になったか)と胸を撫でおろして。
「ああ、そういうこった。なぁ、荒木。俺があんとき首んトコ、チクチクしないか?って聞いたの、覚えてねぇか?」
そのまま吐息交じりにそう問いかけたら、そのやり取りに思い至ったらしい荒木に、ぷぅっと頬を膨らまされてしまった。