コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
その日の夕方、仕事用の携帯が鳴った。
「はい。鈴木です」
『ああ、俺だ』
はあ、俺ねえ。
名乗らなくっても、相手はわかった。
私の3歳年上の兄。そして、この会社の専務でもある鈴木孝太郎だ。
うーん、今すぐ電話を切りたい。
『聞いてるのか?』
「はい」
聞きたくはないですが。
『ちょっと来い』
「今ですか?」
『そうだ』
「でも・・・」
今、山通から帰ってきたばかりで、事務処理だって残ったままなのに。
『すぐに来い。5分以内だ』
プツン。
電話は一方的に切れた。
はあー、どうしたものかしら。
大体の用件はわかっているし。夜自宅に帰れば嫌でも顔を合わせるわけで、わざわざ呼び出す意味がわからない。でもなあ、行かなければまた電話してくるわよね。今度はきっと内線で堂々とかけてくるはず。そんなことをされれば、身分を隠して働いている私としては困ってしまう。
仕方がない。
「ごめん、ちょっと外すね。何かあったら電話して」
可憐ちゃんにだけ声を掛けて、私はそっと席を離れた。
***
そして、向かったのは最上階。
社長室や専務室が並ぶ場所。
昨日もここに来た気がするけれど。
「あら、一華ちゃん」
父さんに会わないようにとコソコソ歩いていると、専務秘書の麗子さんが気付いて声を掛けてくれた。
「こんにちわ」
ふてくされ気味に挨拶をする。
「ご機嫌斜めね」
「まあ」
怒られに来たのがわかっていて、笑顔になんてなれない。
「専務も社長も一華ちゃんの事が心配なのよ」
「・・・」
わかっています。
「フフフ」
おかしそうに笑われた。
「何ですか?」
「いえ・・・専務と同じ顔してるから」
「そりゃあ兄妹ですから」
似ていて当然じゃない。
「そうじゃなくてね、専務も朝からずっと機嫌が悪いのよ。怒った顔が一華ちゃんと一緒」
「・・・すみません」
兄さんの不機嫌の原因はきっと私。
そのせいで、麗子さんの仕事がやりにくくなったんなら申し訳なくて、謝ってしまった。
「いいのよ。それは私の仕事だから。どうぞ、お待ちですよ」
綺麗な笑顔。
促されるまま私は専務室をノックした。
***
トントン。
「一華です」
「入れ」
はあー、溜息しか出ない。
「座れ」
冷たい口調で命令する声。
私の兄、鈴木孝太郎は31歳。現社長の息子で、顔も良くて仕事もできる切れ者。
キチッと決めた外見は見るからに王子様だし、身につける物一つ一つまで高級で御曹司感が半端ない。
「昨日はどこにいた?」
「・・・」
なんとも答えられない。
「連絡も無く外泊とは、いい度胸だな」
「・・・」
「仕事をやめるか?」
「はあ?」
思わず声が出た。
どこの世界に、28の妹にここまで干渉する兄がいるだろうか?
過干渉にもほどがある。
「仕事着らしくない服だな」
「悪い?」
別に迷惑掛けてないでしょと言いかけて言葉を飲み込んだ。
「昨日はどこにいた?」
「・・・」
それでも私は黙っていた。
「調べさせようか?俺は本気だぞ」
いつも以上に鋭い視線で私を見る。
酔っ払って意識をなくし、ホテルで同僚と一夜を共にした。
言えるものなら言ってみたい。
でも、無理でしょう?言えるわけがない。
「営業部長を呼ぼうか?」
すでに電話を持っている。
「ま、待って」
そんなことされたら私の素性がバレてしまう。
けれど、高田のことを話すわけにもいかず・・・困った。
***
「どうぞ」
険悪な空気の中、麗子さんがコーヒーを出してくれた。
「コーヒーなんて出すな」
兄さんは相変わらず怒ったまま。
「そんなに怒ってどうするんですか?」
秘書であり恋人でもある麗子さん。
不機嫌な兄さんに太刀打ちできるのは麗子さんだけ。
本当にありがたい。
「で、どこにいた?」
やっぱり聞くんだ。
「昨日は父さんに腹が立って1人で飲みに出て、遅くなったから友達の家に泊ったんです」
「本当か?」
「うん」
「もー、孝太郎さん。一華ちゃんも子供じゃないんだから」
「子供じゃないから言うんだよ。嫁入り前の娘が無断外泊っておかしいだろうがっ」
「一華ちゃんには一華ちゃんの事情もあるわけで、そんなに頭ごなしに言わなくたって」
「麗子、お前はどっちの味方だ」
ヤダ、私が原因で2人がもめてる。
「2人とも喧嘩をしないで。私が悪かったんだから。本当にごめんなさい」
ちゃんと頭を下げた。
「2度目はないぞ」
「・・・はい」
私は社長の娘としてではなく実力で評価されたくて、素性を隠し必死に頑張っている。
父さんも兄さんも反対だけれど、まだ諦めるわけにはいかない。
「今度こんなことがあれば、仕事をやめさせるからな」
「・・・」
「いいな?」
返事はせずに部屋を出た。
いつまで経っても、兄さんには頭が上がらない。