「なんというか、みっともない所を見せてしまいましたね」
叔母様と別れてから、私はギルバートさんにそんなことを言っていた。
まさか泣いてしまうなんて、思っていなかった。他には彼と喫茶店のマスターしかいなかったとはいえ、あれは中々に恥ずかしいことだったと思う。
「……いえ、そんなことはありませんよ。あれは恥じるべきことなどではありません」
「……そうでしょうか?」
「ええ、そうですとも」
私に対して、ギルバートさんは力強い言葉を返してくれた。
そんな彼に対して、私は笑みを返す。なんというか、その言葉がとても心強かったのだ。
「……本当にありがとうございました。今日はギルバートさんのおかげで、随分と助かりました」
「僕は別に何もしていませんよ」
「いいえ、きっと一人だったらこんなに簡単に夫人とは話せなかったと思います。色々な面において、あなたがいてくれてよかった……」
ギルバートさんの存在は、本当に心強かった。
色々と思う所がある人達に会う故に、私は色々なことを考えていた。もしもギルバートさんがいなければ、私はもっと冷静さを失っていたかもしれない。
終わってからにはなるが、深くそう思った。故に、ギルバートさんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
「……それにしても、母の人生というものはなんだったのでしょうね?」
「え?」
「ああいえ、すみません。ただ、ふと思ってしまって……」
そこで私は、今日一日を振り返ってつい余計なことを言ってしまった。
ただそれは、ずっと思っていたことでもある。母の人生は、思えば苦難の連続だったと。
「……信頼できる姉と不仲になって、最悪な夫の元に嫁いで、姉との仲直りも叶わず、とても苦しかったのだろうと思ってしまって」
一度言葉に出したからか、どんどんと気持ちが溢れてきた。
母の人生を考えると、落ち込んでしまう。お母様はきっと、心休まる時なんてなかっただろう。苦しい毎日の中で、彼女には何か幸せはあったのだろうか。
考えれば考える程、母のことが可哀想に思えてくる。どうして彼女は、そんなに虐げられなければならなかったのだろうか。エルシエット伯爵家なんかに、嫁がなければ、少なくともそうはならなかったというのに。
「お母様にとって、エルシエット伯爵家に嫁いだのは不幸としか言いようがないことだったでしょうね。きっと母にとって、嫁いでからの生活は苦痛しかなかったのでしょうね」
「……それは違います」
「え?」
私の呟きに、ギルバートさんは否定の言葉を返してきた。
それに私は、少しびっくりしてしまう。思っていた以上に、力強い言葉であったからだ。
ギルバートさんは、私の目を真っ直ぐに見てきた。その視線から、私は目を離せなくなる。それ程に彼の視線には力があったのだ。
「アルシャナ様にとって、エルシエット伯爵家での生活は確かに苦しいものだったでしょう。でも、彼女がその全てを苦痛に思ったなんてことはありません。なぜなら、あなたがいたからです」
「私、ですか?」
「ええ、あなたですとも」
ギルバートさんは、私に対して堂々とそう言い切った。
彼の言葉に、私は息を呑む。本当に、私はお母様の救いだったのだろうか。それはずっと、疑問に思っていることだったからだ。
「でもお母様は、私にお父様の面影を感じていました。彼女にとってきっと、私は憎しむべき相手を思い出させるものでもあったと思うんです」
「そんなことはありません。幼少期父とともに会った時、アルシャナ様は僕を見てこう言いました。自分にも同じ年頃の娘がいると……その娘が、自分にとって何よりも大切だと」
「それは……」
ギルバートさんの言葉に、私は固まってしまった。
母の想い、まさかそれを聞かされることになるとは思っていなかったため、言葉が出ない。
「あなたといることが、彼女にとっては何よりの幸せだったのです。それに、アルシャナ様は言っていました。あなたに申し訳ないと」
「申し訳ない?」
「あなたを幸せにできなかったことを、彼女は悔いていたんです。当時の僕にはよくわかりませんでしたが、今ならわかります。アルシャナ様は、本当に心からあなたのこと愛していたのです」
ギルバートさんの言葉に、私は心を揺さぶられていた。
お母様が、私をどのように思っていたのか。それは実際に本人から聞いてきたことではある。
愛していると、彼女は何度私にそう言ってくれただろうか。その想いは、きっと本当に果てしないものだったのだ。私はそれを理解する。
「……なんというか、自分の愚かさを思い知らされました。ギルバートさん、申し訳ありませんでした。それから、ありがとうございます。お陰で目が覚めました」
「わかっていただけたなら何よりです」
「苦しいことも多かったけれど、それでも私も母も、二人でいる時は幸せだったのですよね……」
「ええ、そうですとも。その幸せは、偽りなんかではありません」
そこでギルバートさんは、歩き始めた。私がもう立ち直ったということがわかったからだろう。
そんな彼に、私は言わなければならないことがある。故に私は、ゆっくりと息を吸い込んだ後、彼に呼びかける。
「ギルバートさん」
「なんですか? アルシエラさん?」
「そっちは帰り道と逆方向ですよ」
「……え?」
私の言葉に、ギルバートさんは振り向いて目を丸めていた。
非常に残念なことではあるが、彼が向かっていたのは先程私達が歩いてきた道だ。そっちに行くと、帰ることはできないのである。
「参ったな……これでは、どうも閉まりませんね」
「そんなことないですよ。ギルバートさんは、かっこよかったですよ?」
「やめてください。恥ずかしいです……」
私の言葉に、ギルバートさんは頬を赤らめていた。
もしかしたら彼は、私がからかったとでも思ったのかもしれない。
しかし今の言葉は紛れもなく本心だ。本当に彼は、かっこよかった。そんなことを考えながら、私は帰路につくのだった。
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