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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
791
#サレ妻
都築七美
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庭に出た。
ロビーで話すことではなかった。美咲がいて、控え室には明日の式の新郎新婦の荷物があって、ロビーは式場の顔だった。
恵子は、黙ってついてきた。石畳を三十歩。黄色い灯りの下で、恵子のコートの茶色が、別の色に見えた。
三本目の木の下で、恵子は立ち止まった。
「これ」
コートのポケットから、紙を出した。招待状だった。私が整えた、白い紙。
『高梨悠人さんの新しい人生のスタートを祝う会』
『幹事:桐谷ひなの』
「新しい人生って、何。あの子、転職するの? それとも、昇進?」
「違います」
「じゃあ何。この桐谷さんって、誰。会社の人じゃないでしょう。会社の人なら、こんな書き方しない」
恵子は、紙を私に突きつけた。私は、受け取らなかった。
「あんた、私に『来てください』って言ったわね。『席は悠人の隣』って。あの子は『来なくていい』って言った。親子で言うことが違う。どっちが嘘ついてるの」
「お義母さん」
私は、ポケットから、自分のスマホを出した。
「順に、お話しします。長くなります」
「いいわよ。寒いけど」
話した。
十一月五日の申込書。『プロポーズする相手』の欄の、青いシャツの写真。希望日が十二月十二日で、備考に『上書きしたい』とあったこと。依頼者が二十四歳で、「彼の奥さんはもう終わってる人」と笑ったこと。十月二十日に、私の休みの日に、悠人がその人とこの式場を見学したこと。「大阪」。マンスリーの住所が、その人の部屋と同じ建物だったこと。十一月十七日、十九時十二分の、建物の前の写真。
共有口座から出た八十万円が、翌日、その人の名義で、この式場に中間金として入ったこと。
恵子は、一度も口を挟まなかった。灯りの下で、口を閉じて、息だけをしていた。
「それから、これを」
私は、スマホの画面を恵子に向けた。
私の家のキッチン。コンロの上の、味噌汁の鍋。その前に立って、歯を見せて笑う、白い服の女の人。
紺色のエプロンをつけている。
恵子が、去年の正月に、「あんたに」と言って渡したエプロンだった。
恵子は、画面を見た。
長いあいだ、見ていた。
灯りが風で揺れて、画面の光だけが揺れなかった。
「……十月十四日」
恵子は、日付を読んだ。
「私が、あんたに電話した日だわ。『エプロン使ってる?』って。あんた、『はい』って言った」
「使っていませんでした。その日は、前日準備で、二十三時まで式場にいました」
「じゃあ、その日、この子が、うちの息子と、あんたの台所で」
「はい」
恵子は、スマホから目を離した。離して、私を見た。
「エプロンは」
「鞄の中に。袋に入れて。洗っていません」
「洗いなさい」
「はい」
「いえ」
恵子は、首を振った。
「洗わないで。そのまま、持っておきなさい」
それから、恵子は、招待状をポケットに戻した。戻して、コートの前を合わせた。
「許してほしいなんて、言わないで」
「言いません」
「私は、あの子の母親だから。あんたに謝ることは、しない。あの子を止めることも、しない。あんたの味方はしない。あの子の味方もしない」
「はい」
「十二日、行きます」
恵子は、石畳のほうへ、一歩動いた。
「あの子の語尾を、聞きに」
「……はい」
「あの子は、嘘をつくとき語尾が上がる。昔から。私しか知らない。あんたも、知ってるみたいだけど」
恵子は、振り返らなかった。
「隣の席でなら、よく聞こえるでしょう」
石畳を三十歩、恵子は一度も振り返らずに歩き、門を出ていった。茶色のコートが、灯りの外で、ただの茶色に戻った。
◇
企画室に戻ると、扉がノックされた。
「入れ」とは、言わなかった。この部屋で「入れ」と言うのは私で、ノックしたのは、ノックすると言った人だった。
「どうぞ」
一ノ瀬が入ってきた。入ってきて、扉を閉めなかった。
「義母に、話したのか」
「ええ」
「庭が、ラウンジから見える」
「存じています」
「なぜ、話した」
私は、机の上の封筒を見た。今夜、エプロンの写真を一枚、恵子に送った。送った分だけ、封筒は軽くならなかった。
「嘘を、一つ減らしたかったので」
「誰の」
「私の。お義母さんに『大阪なんです』と言った嘘を。あれは夫の嘘を言っただけですが、言ったのは私なので」
一ノ瀬は、しばらく黙った。
「……私の両親は」
一ノ瀬は、扉の枠に手をかけて言った。
「三十年、人前で完璧な夫婦だった」
それだけだった。
一ノ瀬は、扉を閉めて、出ていった。足音が、階段を上がった。
私は、聞いた言葉を、封筒には入れなかった。入れる場所が、まだなかった。
◇
家に帰ったのは、二十二時過ぎだった。
鞄を置いて、コートを脱いで、何も食べずに、スマホを開いた。開くのは、癖になっていた。
『hinano_12』。
『あと6日♡』
写真は、暗い部屋だった。ベッドの白いシーツ。その上で、人が眠っている。顔は写っていない。肩と、首の後ろと、枕元だけ。
肩の形で、分かった。五年、隣で見てきた肩だった。
枕元に、スマホが置いてある。画面が、点いていた。
通知が一つ、出ていた。
『紗英:いってらっしゃい』
三日前、電話で言ったあと、私はメッセージでも送った。『いってらっしゃい。気をつけて』。悠人は、既読にしなかった。既読にしないまま、枕元に置いて、眠った。
ひなのは、それを撮った。撮って、投稿した。
文面を読んだ。
『奥さんからの『いってらっしゃい』、泣ける笑』
コメント
1件
うわあ…第22話、すごく重くて、でもどこか温かさも感じるお話でしたね。特に恵子さんの「洗わないで。そのまま、持っておきなさい」って台詞が胸に刺さりました。母親としての立場と、一人の女性としての矜持みたいなものがひしひしと伝わってきて。最後のひなのの投稿も、あの「泣ける笑」の一文字で彼女の性格が全部出てる気がしてぞっとしました。主人公の静かな強さ、素敵です🌷