「——貴女の事だから、いつかはこうなるだろうと思っていたわ」
白い一人掛け用のソファーで優雅に座り、そう言ったのは明智の母親である明智|薫《かおる》である。彼女のすぐ隣に立ったまま寄り添うのは父・|八雲《やくも》で、彼の方はニコニコと優しそうな笑顔を浮かべている。ローテーブルを挟んで神楽井と栞が並んでソファーに座っているが、真っ青な顔色になっている神楽井はずっと俯きっぱなしだ。
「色々と順序が逆になってしまい、本当にすみません……」と言い、頭を下げようとした神楽井に対して「いいの、頭は下げないで頂戴」と威圧的な声で薫が制する。
「ウチの娘が強引に押し進めたに決まっているもの」
盛大にため息をつかれ、神楽井の肩がビクッと跳ねた。薫の『母親』とは思えぬ若々しい容姿とカリスマ性のある女王めいた雰囲気とに圧倒されて前が見れない。
「まぁ、そんな感じかなぁ」
栞が母親の発言を軽く受け流す。そして、圧倒されている神楽井にそっと寄り添った。
「ちょっと……いえ、かなり変わった子だから大変かとは思うけど、死ぬまで付き合ってやってね」
今度は同情的な声で薫にそう言われ、神楽井は「もちろんです」と何度も必死に頷いた。
「栞は、暴走し過ぎて浮気されないようにね?——でもまぁ、毎分毎秒惚れなおさせればいいだけの話だけど」
のんびりとした口調で「薫さんが言うと説得力があるなぁ」と言い、八雲が笑う。奥さんにベタ惚れ感が強く、神楽井は『この親にしてこの子ありだな』と強く思った。
(しかし、『母はモデルだ』とは聞いていたが、まさかこのお方だとは……)
若くして、当時は外交官だった明智八雲と結婚。『ずっと一緒に居たいから』と夫をマネージャーに転職させ、即産休に入ったのにすぐモデルとして返り咲き、今も現役として活躍している。そんな波瀾万丈な人生である事でも有名で、芸能関係に疎い神楽井でも知っている程の人物だったせいで緊張し続け、体の震えが止まらない。
「いやいや、道真さんは浮気なんかしないよ」と、父親によく似た笑顔で栞が言う。
「ならいいけど。浮気なんかしようもんなら、去勢一択だものね」
「ホントそれなぁ」
女性陣の会話を聞き、八雲と神楽井が背筋を正した。当然どちらも浮気するつもりは毛頭無いが、その単語を聞くだけでもちょっと怖い。
「それにしても、警察沙汰にならずに済んで本当に安心したわ。電話が鳴るたびに『栞の訃報だったらどうしよう』と、この子が年頃になってからはずっと不安だったんだから」
「そうだねぇ、『誰かいい人はいないのかい?』って何気なく訊いた時に、『ストーカー化するくらいに愛情が重たい人がいいけど、全然いない』とか言われたから流石に心配だったもんねぇ」
安堵する薫に続き八雲がそう言った後、急に二人が黙った。
「貴方、そうなの?」
「君は、|ストーカー《そっち》なのかい⁉︎」
明智夫婦の視線が一気に神楽井に集まり、彼は猛獣に睨まれた小動物並みにビクッと体を震わせた。
「職場が同じってだけで、道真先輩はストーカーじゃないよ」
「何で残念そうなのよ」
肩を落としている栞に対し、薫が即座にツッコミを入れる。
「いやぁ、だってねぇ、美味しい立ち位置なのに、そこまでは暴走してくれなかったから……」
「え?あ、……ごめんね?今からでもやるか?『家庭内ストーカー』って手もあるし」
慌てて謝る神楽井に対し、「そこは謝らなくていいのよ?甘やかし過ぎも良くないからね?まともな側が折れたら終わりって覚えておかないと」と薫が諭した。
「でも、結婚にまで至ったって事は、栞をとても大事にしてくれているって事だよね?」
優しい笑顔で八雲が訊くと、「うん!もちろん!」と幸せそうな顔をして栞は即座に返す。
「一生、大事にします」
神楽井の力強い声を聞き、栞の両親が無言で頷いた。彼の隣に座る栞は大歓喜といった雰囲気で、今にも神楽井に抱きついてしまいそうな気持ちを無理矢理抑え込んでいるのか、一人悶えている。両親の前でなければ確実に、感極まって神楽井の事をそのまま押し倒していただろう。
「……にしても、貴方、結構イケメンね」
急にキラリと瞳を輝かせた薫に向かい、「——ダメェェェェ!」と栞が叫んだ。
「普段は似通った私服しか着ていないからより一層貴重になってしまっているスーツ姿あーんど、きちんとセットしている髪型のせいでいつもよりも更にカッコ良くなっているとはいえ、道真さんは世に出しちゃいけないの!イケメン好きな猛獣共が群がるでしょうが!」
「あら、残念だわぁ。今からでも絶対に売れると思ったのに。……でもまぁ、本人が『やる』と言えば、話は別よねぇ」と言い、ニヤリと薫が笑う。
「薫さんはお金の匂いに敏感だからなぁ」
「ほんわかしてないで、父さんも止めてよ!」
そんな家族のやり取りを前にして、やっと神楽井が笑った。栞の家に来る前、来た直後の緊張感が嘘の様に緩んでいく。有名人の家ではあっても、親子のやり取りは至って普通でちょっと安心した瞬間だった。
【【こぼれ話】結婚『済み』報告・完】
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