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◻︎猫のハナ


「私のために、せっかくのお休みを使わせてしまって申し訳ありません」

「いいんですよ、乗りかかった船ですよ。それより、気持ちは落ち着きましたか?」

「それが、なんの実感もないんです。遺骨だって、違う誰かのものかもしれない、なんて思ってしまうし。せめて、幽霊にでもなって現れてくれたらいいんですけどね」


ふふっと力なく笑う律子の顔は、この1週間で10歳ほども老け込んでしまったように見えた。


「さ、着きましたよ。あれ!誰かいるみたい」


アパートの部屋の前には、大家さんと思われる人と男性が立ち話をしていた。


「あれは、息子の宗一です。来てもらいました」


簡単に自己紹介をして、部屋に入る。

二階建てアパートの一階の角部屋に、紙に書いた表札があった。


[里中修三]


雨で滲んだのか、薄ぼんやりしたその名前。

荷物を処分するための業者さんは手配していて、もうすぐ到着すると電話があった。


鍵を開けて部屋の中へ入る。

修三が最後に一人で生活していた部屋だと思うと、妻の律子でなくても胸が締め付けられるようだ。


「ほとんど荷物もないね」

「うん、自分である程度処分してたのかな?」


冷蔵庫の中も空っぽ。

キッチンの収納棚にあったものは段ボール箱に入れられていた。

洗濯物はゴミ袋に詰められ、靴も使いかけの日用品も一つにまとめてある。


「テレビもないけど、いつもここで何してたのかな?親父って、なんか趣味みたいなのあったっけ?」


宗一が律子に聞いている。


「何が趣味だったんだろう?ごめんね、お母さんもわからない」

「だよね?そういうところが離婚の原因みたいだし…」


律子がぎゅっと唇を噛み締めているのが見えた。

自分を理解してもらえなかったと修三は言ってた、と美春が言っていたことを思い出した。


「律子さん、ちょっとこれ…」


押し入れを開けて中を見ていた進が、何かを見つけたようだった。

押し入れから出されたそれは、布団圧縮袋に綺麗にたたんでいれられた、スーツ、靴、カバン、シャツ、ネクタイ、それにハンカチだった。


「これ…あの日のものです」

「あの日?もしかして?」

「ええ、定年退職する当日、最後に会社に行った時に着ていたものです」


袋を開けて背広の上着を出した時、ヒラリと何かが落ちた。

四つ折りにされた、コピー用紙だった。


『律子さん。今までありがとうございました。今日まできちんと生きてこられたのは、律子さんのおかげです。

道を踏み外すこともなく、最後までしっかりと会社員人生を送ることができました。

今日まで律子さんの言う通りに生きてきたので、これからは僕は自由に生きたいと思います。

律子さんも、自由に自分のために生きてください。

もう僕のために、アイロンがけや食事の用意もしなくていいのだから。

残り三分の一くらいの人生、だらしなく陽気に好き勝手にします。


本当に今日までありがとうございました。


2014年、10月、31日   里中修三』


日付は、定年退職最後の日、家を出て行った日。



「うわぁーーーーっ!!」

「え?律子さん?」

「お袋、どうしたんだ?」


いきなり大きな声をあげて泣きだした律子。

たたまれていたスーツを抱きしめて、何かに取り憑かれたように泣き叫んでいる。


「ごめんなさい、修三さん。私のせいで、ごめんなさい、もっと早く会えていたら…ううん、会えるはずだったのによけいな意地を張って、予定を延ばしたから間に合わなかった、私のせい、馬鹿な私のせい、私はずっと自分のことしか考えていなかった…」


修三から会いたいと連絡があったとき、家を完璧にして恋人もどきを用意するために、1ヶ月先にしたのだと、律子は言った。


ずっと声を出して泣いている律子。

この後悔は、きっと一生残るんじゃないかと思った。

もう亡くなってしまった人には、気持ちを伝える方法がないのだから。

ぼんやりそんなことを考えていたら、部屋の外であの美春の声がした。


「おいで、ハナ、こっちだよ、ご飯だよ」


律子はまだ泣き続けていたので、代わりに挨拶をするために外に出た。

美春は、部屋の前で茶トラの猫に餌をあげていた。


「こんにちは、先日はお世話になりました」

「こんにちは、今日はシュウちゃんの部屋の片付け?」

「はい」

「そうか、ほら、ハナ、もうここにはシュウちゃんは帰ってこないんだよ」


はむはむと餌を食べている茶トラの猫。


「あの…その猫は、もしかして?」

「そ、シュウちゃんが可愛がってたの、野良猫だったんだけど。こいつも俺と同じで家族がいないからって。ホントはね、ここ、ペット禁止なんだけど、何故かこの子はイタズラすることもなくてね、アパートのみんなに可愛がられていたんだ。でも餌をあげる人がいなくなっちゃったから、どうしようかなって」


「ハナ?ハナというんですか?その猫の名前は」


いつの間にか部屋から出てきた律子。


「そうなんだよ、おかしいでしょ?この子ちゃんとしたオスなのにね」

「お袋、もしかしてハナって、昔うちにいた?」


宗一も部屋から出てきた。


「あら、あんたシュウちゃんの息子?もしかして。面影あるね」


宗一は美春の問いかけには答えず、餌を食べるハナのそばに来た。


「似てるね?あの時の猫に」

「そうね、修三さんは忘れてなかったのね」


また律子の目に涙が溢れてきた。

ハナという名前の猫に何か意味がありそうだと思った私が、申し出る。


「あの…この猫、うちで引き取ってもいいでしょうか?」

「いいよ、誰かに引き取ってもらった方がハナもシュウちゃんも喜ぶよ」

「よかった、じゃあ…」

「いいえ、私が引き取ります、大事にしますから」

「ん?シュウちゃんの奥さんが?あんな綺麗な家に猫は無理だろうに」

「いいんです、とにかく私が引き取ります」


しばらく律子を見ていた美春。


「わかったよ、ハナもシュウちゃんのそばがいいと思うから。でもね、猫は汚すし壊すよ。飼えなくなったからって放り出すことはできないんだよ」

「わかってます、今度はちゃんと最後まで飼います、約束しますから」

「なら、どうぞ。ほらこの餌皿と水皿も持ってって」

「ありがとうございます。ほらハナちゃん、今日からうちの子ですよ」


そっと茶トラ猫、ハナの頭を撫でる律子。

ハナは怒ることもなく、頬をすり寄せてくる。


「よかった、うちに来てくれるみたい」


そっと抱き上げても、嫌がらずゴロゴロと喉を鳴らしている。


「あのさ、奥さん、勘違いしてるといけないから言うんだけど。私とシュウちゃんは何の関係もないからね。ただの女将と常連さんだから」

「…はぁ」

「私は、わりと惚れてたんだけどね、シュウちゃんは奥さん、あんたのことしか考えてなかったよ。離婚しようとしたのも、奥さんと別れることで奥さんの気持ちの負担も減らしてあげたかったらしいよ」

「え?」

「園長にもなるとさ、いろんな重責があって家庭どころではなかったから、可哀想だったと言ってた。それでも俺のこともしっかりやってくれて、その姿を見ているのもキツかったって。俺のことなんてほっといてくれてもよかったのにって。園長を辞めてもさ、なかなかその性格は変わらなくて、俺もキツかったけど奥さんもキツかったと思うって。人間、長年の積み重ねでできた性格ってさぁ、なかなか変えられないんだよねって言ってたよ」


ハナを連れて帰るために、段ボールを用意していた宗一。


「そう、親父はそんなことを言ってたよ。決してお袋のことを嫌いになったとかじゃないんだって。きっと離れた方がお互いのためだからって。どんどん出世していくお袋に、親父はどこか引け目も感じてたみたいだし」

「そんな…私はなんてことをしたんでしょう?勝手に出て行ったと思い込んで、ずっと恨んでました。きっと、愛人がいてそこに転がり込んだんだと。だから離婚届も出さなかった、私の意地だった」

「よかったんじゃない?その意地っぱりのおかげでさ、シュウちゃんは家に帰れたんだから。ずっと帰りたがってたんだよ、でも許してくれる訳ないからって。余命宣告されるまでシュウちゃんも意地張ってた。似たもの夫婦だね?周りから見たら、ものすごーくややこしいし、まどろっこしいし、めんどくさいよ」


奥から進が、さっきの退職の日に書かれた手紙を持ってきた。


「律子さん、これがご主人の本当の気持ちだと思うよ。感謝だったんだよ」

「でも、私が見栄と意地をはったおかげで、修三さんは、生きて家に帰ることができなかった…」

「それは、お互いさまなんじゃないの?シュウちゃんだってさ、正直に余命の話をしてさっさと会いに行けばよかったのに、それをしなかったんだから。ほらね、お互い様。それでも文句があるなら、あの世に行ってから、まとめて言ってやればいいんだよ」


車のクラクションが鳴って、遺品整理の業者がやってきた。

退職の日に着ていたスーツ類だけを持ち帰ることにして、まとめてあった荷物を処分してもらい、鍵を大家さんに返した。


「とっても優しい人でしたよ。てっきり家族なんていないのかと思ってました」

「色々お世話になりました」

「奥さんもお元気でね。ハナをよろしくお願いしますね」


帰り道。

律子は、ハナを段ボールの箱ごと、ひざに抱えている。


「昔ね、この子とそっくりな子猫を息子が保護してきまして。でも猫は汚すし散らかすし、何より衛生的にも問題があると考えた私は、里親を探してさっさと委託したんです。

夫と息子は、ハナと名前をつけて可愛がっていましたが、私はそんなこと、お構いなしでした。今思えば、なんてひどい母親でひどい妻だったんでしょうね。夫がそのことを覚えていて、このそっくりな猫にハナと名付けていたと知って、胸が締め付けられる思いでした…」


私も、進も、言葉が出ない。

どこかで少しずつズレていた気持ちが、時間が経ってどんどんズレて取り返しがつかないほどになって。

そして、生きてるうちに気持ちを伝えることができなかったという後悔は、これから先、どんなに律子を苦しめるのだろうか。


「申し訳ないんですけど、ホームセンターに寄ってくださいな。ハナの生活に必要なものを買いたいので」

「よし、了解した」


これからは、ハナが修三の代わりになってくれるのかもしれない、と思った。






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