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本来の艶やかな美しさを取り戻したヴィルマの話を夕食時にすれば、皆は我がことのように喜んだ。
そして奴隷でしかない自分たちを極々普通の一般人として受け入れてくれる店が増えたのも嬉しかったようだ。
順番に買い物へ行くんだ! と喜色満面の様子で語り合っていた。
屋敷を離れられないドロシアに、お土産リクエストを聞くのも忘れない。
大人数の疑似家族たちとの時間が楽しくも、心安らぐものであるほど、夫への思慕が強くなる。
会おうと思えば、現実に限りなく近い夢の中。
何時でも会えるのだけれど。
それを自ら実行してしまうと歯止めが利かない気がして、まだ実践できていなかった。
「そうだ! 本屋へ行こう!」
さすがにこの世界、ゲーム機はないらしい。
ボードゲーム的なものやカード系は存在するらしいので、そちらを購入するのも良さそうだが、夫への寂しさを薄れさせるには一人で没頭できる読書が一番だと思い至る。
何時でも会いに来てくれていいんですよ?
夫の誘惑が届くも、私は首を振る。
夫の我慢が効かなくなるか、私の中で何かしらの折り合いがつくか。
それらとは違う何かしらの要因で、会わなければならない事態が起こるかでもなければ、夢の中でも会うつもりはなかった。
それこそ、この声が聞こえなくなったら、会いに行ってしまうのは確実だけれど。
また、今はそう考えているけれど、次の瞬間には夫の訪問を懇願してしまう気もするのだけれども。
「本屋で……ございますか……」
昨晩は話が盛り上がったので深夜まで過ごしてしまった。
そのせいで目覚めは昼ご飯を食べてもよさそうな頃合いだったのだ。
好きなだけ眠ったあと、自然に起きたそのタイミングで、モーニングティーというには遅いマイルドなミルクティーを飲みながら叫んだ私に、ノワールは思案する。
「こちらの世界では、本屋より図書館や貸本屋が発達しております。本屋はどちらかと言えば専門書寄りで高価な品揃えなので、主様が望まれる本屋はと申しますと……男性が店主の店しかございませんし、主様が不愉快な思いをされる可能性が高いかと推察いたします」
却下ですね。
却下かな?
夫の声と私の心の声が重なった。
「一般的な読み物……小説などは、貸本屋がいいのね?」
「はい。分野別に充実しております。少女向け読み物であれば『可憐な秘め事』、少年向け読み物であれば『冒険は語るな。漢《おとこ》なら篤《とく》と挑め!』がお勧めでございます」
女性向けを持ってこないノワールは、実に私の嗜好を理解している。
「貸本屋と申しましても、気に入れば買い上げもできますし、値段は上がりますが、誰の手も触れていない新品を手にするのも可能となっております」
古本に抵抗はないが皆にも読んでほしいので、この際新品を購入するべきかもしれない。
その方が長く読めると思うしね。
専門店の店員さんなら本の知識も豊富だろう。
まずは売れ筋を購入するのもありかな。
「広く読まれている少女向け、少年向けの読み物をそれぞれ数冊欲しいかしら?」
「では『可憐な秘め事』と『冒険は語るな。漢なら篤と挑め!』に、先触れを出しておきましょう。主様の接客に関しては特に注意を促しておきますので御安心くださいませ」
御安心……の下りは、夫に向けられていた気がする。
夫の満足げな気配もあったから、間違いなさそうだ。
「同行者にはフェリシアをお連れください。どちらの店主もフェリシアに憧れておりますので、無礼は働かないでしょう」
「妾も行くぞ」
「彩絲が少女読み物? 意外だけど、少年読み物!」
「そう驚くことかぇ? どちらも探している読み物があってのぅ。アリッサにも勧めようと思っておる」
「わぁ! 凄く楽しみだわ」
「あとはネイも連れてゆくぞ。彼女の目が掘り出し物を見いだしそうな予感がするからのぅ」
借りるだけにするか、買い上げてしまうか。
そんな判断もネイなら的確にしてくれそうだ。
朝食兼昼食は外で食べるからと言えば、雪華が服を持ってきた。
「え? 珍しいわね」
「ふふふ。最近流行らしいのよね。ロリータ風、エンパイアウエストロングワンピース!」
ロリータ服はあれこれ見たけれど、これは初めての形だった。
エンパイアワンピースというと、何となく妊婦さんのおしゃれ服という印象があったから、目に留めていなかったのだと思う。
色はホワイトと目に優しいサーモンピンク。
一体型のデザインだが、見た目はホワイトのノースリーブワンピース上に、ハイウエストから下部分が見える、半袖サーモンピンクのワンピースを重ね着しているように見える。
襟元はタートルネック、胸元は三段レース、裾は二段のフリル。
スカート下部には、大胆に薔薇の花とリボンが金糸で刺繍されている。
半袖はゆったりとしたパフスリーブの形が綺麗だった。
サーモンピンクのベレー帽は、頭頂部からリボンが下がっている可愛らしいデザイン。
靴も同色で、所謂ぺたんこ靴。
靴についている、金色の蝶々モチーフがロリータらしい気がする。
財布と最低限の化粧用具しか入らなそうなポシェットは、絹のような手触りのホワイト。
サーモンピンクの薔薇と金色の蝶が、仲良くチャームとしてぶら下がっていた。
目をこらすと精緻な薔薇の刺繍で縁取りされているシフォンっぽいストールを羽織らされ、モルガナイトのブレスレットとイヤリングがつけられた。
輝かしいカッティングが施されたモルガナイトは、それだけで一財産と知れる。
貸本屋へいく格好ではないわよね……と内心溜め息を吐けば、夫の経済効果です、経済効果! という呪文が囁かれた。
ホークアイの引く馬車の中、彩絲、フェリシア、ネイと座って、お気に入りの本について語り合う。
店まではそれなりの道のりだった。
「そういえば、皆。食事は大丈夫? おなかは空いてない?」
「お寝坊さんのアリッサと違って、妾たちは早起きじゃからのぅ。きちんとした朝食を取っておるぞ?」
「むむ? 彩絲さんは、御主人様より、少しだけ早く、起床されたような?」
「朝食は我ら同様、しっかり食されたようであったが……」
さらりとばらされている。
その気安い距離感が微笑ましい。
「ほほほ。うぬらも言うようになったのぅ。まぁ、妾の寝坊はアリッサと似たようなものじゃったな。謝罪しようぞ!」
「大げさですわよ、彩絲。それに、そんな胸を張って謝罪されても、謝罪されている感じがあまりしませんわ?」
笑いを含めた声で肩を竦めてみせれば、彩絲がこれはしたり! と額を打って笑う。
フェリシアも、その肩に乗ったネイも楽しそうに笑った。
『主様! 到着しましたぞ!』
馬車で揺られる時間もまた、楽しい時間だった。
ホークアイの声と同時に止まった馬車から、フェリシアの手を借りて降りる。
少女趣味の雑貨屋といった雰囲気の店構えの前で、店長他店員が揃って頭を下げた。
全員女性だ。
通達はしっかりと伝わっているようだった。
「ようこそ、最愛の御方様。『可憐な秘め事』へ、お越しくださりましたこと、深く感謝いたします」
店長と思わしき人物他店員たちの唱和が続く。
「「「「「ようこそ、お越しくださいました!」」」」」
「店内は三時間ほど貸し切りにしてございます。どうぞ、ごゆるりとお好みの本を堪能くださいませ。もし、御質問等ございましたら、店長である私《わたくし》リーゼルが承ります」
「では、早速。妾は『アラクネは恋の絲を紡ぐ』を所望するぞ!』
「はい。在庫はございます。新品もございますが、お買い上げになりますか?」
「おお! 恋愛小説とはいえ、少女に忌避されがちな蜘蛛のモンスターを主人公とされた作品を取り扱うとは、さすが専門店じゃのぅ」
「確かに苦手とする少女も多うございますが、好きな少女も同数はいるようでございますね。当店の裏人気作品の一つでございます。特に紡がれた糸が、どんな困難な恋愛をも成就させる点が高評価のようでございます。ハッピーエンドがわかっているので、安心して読めると」
……異世界少女小説事情が少し心配になってきた。
安心して読めない恋愛小説が多いのだろうか。
「うむうむ。当然購入じゃな。二冊所望する。皆にも読ませたいし、自分用も確保したいからのぅ」
彩絲はかなりの本好きらしい。
自分用と布教用を確保するのは、真の本好きだといえるだろう。
守護獣の新しい好みを知れたのが嬉しい。
「承りました。読書部屋も個室を確保させていただきました。一足先にお読みになりますか?」
専門店というだけではなく、人気店なのではないかと思う。
本好きの心を擽る手配に抜かりがないようだ。
「主よ……」
「ふふふ。探していた本だもの。すぐに読みたいわよね。どうぞ。二人がいてくれれば、心配ないから安心して、読んでね」
「すまないが、よろしく頼むぞぇ、フェリシア、ネイ」
「確かに承った」
「お任せ、ください!」
気合いの入った返事を聞き満足げに頷いた彩絲は、店員の一人に先導されて、用意された個室へ行ってしまった。
「最愛の御方様は、何かご所望の本はございますでしょうか?」
「……ハッピーエンドで、天使族の忌み子、リス族、兎人族、人魚族、シルキー、ブラックオウル、ユニコーン、バイコーンが主人公の作品があればお願いしたいわ」
「御主人様っ!」
ネイの瞳がきらきらと輝く。
彩絲が自分に近しい種族の作品を探していたと知り、ふと思い立ったのだ。
どうせなら身近にいる人たちと同じ種族が主人公の作品を読んでみたいと。
「悲恋が多い主人公ばかりですが……全てございます」
「素敵!」
「……天使族の忌み子が主人公で、幸せな結末の作品があるとは……」
「ふふふ。最愛の御方様は敬愛すべき御方ですが、フェリシア殿もまた尊敬に値する御方でございますよ? 当店では気合いを入れて揃えております」
奴隷という点をリーゼルは気にしていないようだ。
それだけフェリシアが成してきた過去がすばらしきものであるという、証明なのかもしれないが。
パンパンと手を鳴らすと、店員たちが足早に去って行く。
遠くで男性の声も聞こえた。
やはり男性店員も存在するようだ。
少女小説専門店に勤める男性が、純粋に作品が好きで勤めているのであれば、話してみたい気もするが、夫同伴でなければ難しいだろう。
「数がございますので、お連れ様がお待ちの個室に御案内いたしましょう。そちらでお待ちくださいませ」
案内された個室では、彩絲が優雅にカップを傾けながら、微笑をたたえて先ほどの作品を読み耽っていた。
リーゼルが声をかけなければ気付かぬほどに、集中していたようだった。
「想像していたよりも面白かったかしら?」
「それはもう、最高じゃ! 主にも是非読んでいただきたいのぅ」
「ふふふ。ありがとう。それでは、本が届くまで読ませていただこうかしら? 二人には……えーと?」
「安心するのじゃ、主。他にもお勧めはあるからのぅ。ほれ、この中から好きな本を読むがよかろう。全部買い取ってあるし、妾の本も別途用意してあるので、気にせず読むとよいぞ」
「有り難く拝見させていただくぞ、彩絲殿」
「これ! これ! 読んでみたかったのです、彩絲さん!」
ネイが大興奮で一冊の本を掲げる。
『リス族エルケ 恋の大冒険!』
……一応恋愛ものなのだろう。
次に行く予定の本屋にも置いてありそうなタイトルだ。
「恋多き幼女エルケが、愛らしい外見を存分に生かし、多くの高貴な男どもを誑し込む良作じゃ。玉の輿を望む女性の指南書とも呼ばれておるが、ネイよ。お主、玉の輿願望があるのかぇ?」
「物語だからこその、玉の輿です。現実では、気苦労が絶えない生活になるのが、目に見えています。あと、玉の輿願望お花畑への対策としても、読みます」
「それはそうだな! 自分も読んでおこう。今後そういった女性と対峙する場面にも遭遇しそうな気がする」
眉根を寄せたフェリシアの危惧に、私は内心溜め息を吐く。
結婚していても時空制御師は最優良物件だろう。
愛人でもいいという女性も多そうだ。
私は夫を誰かと共有する気はさらさらない。
唯一の例外が、これから生まれてくると思う自分の子供たちだ。
だからこそ、最低限お花畑のパターンを知っておきたい。
こちらの世界特有のパターンも多くあるだろうから。
「私もあとで読ませてね」
「主もお勉強か?」
「ええ、そうよ。私、お勉強って嫌いじゃないのよ。知識を得るのって楽しいわよね」
「同感、す」
「得がたい機会は存分に利用させていただきたい」
ネイもフェリシアも知識を得るのに貪欲だ。
今までは生き抜くために得てきたのだろう。
今後はもう少し、余裕を持って楽しんでくれれば嬉しい。