バッシュとの戦いから約一週間が過ぎた。
会場の崩壊は、世間には地震によるものと発表された。
もちろんそれでは説明のいかない事象ではある。
人々も全く納得していない。
だが、それ以上のことは何も公にされることは無かった。
「…う、う~ん」
王都レッドパルサードにある病院。
その一室にてリオンは目を覚ました。
あの戦いから約一週間、彼はずっと意識を失っていたのだ。
「ここは…?」
清潔感のあるベッドから体を起こし、辺りを見渡すリオン。
少し広い部屋に寝ていたらしい。
ここで初めてリオンは、自身が病院にいることを理解した。
改めて自身の身体を見ると、体に受けた傷に包帯が巻かれていた。
軽く体の傷を摩るとまだ少し痛む。
「痛っ…」
傷を触ってしまい、痛みが身体を走る。
一週間以上昏睡状態にあったため、まだ頭が本調子でないようだ。
あの戦いの後から何があったのか、必死で記憶の糸をたどっていく。
だが、何も思い出せない。
魔獣と化したバッシュを倒したことならば覚えているが…
「ロゼッタ師匠に聞けば…」
「呼んだかい?」
左隣のカーテンをめくり、ロゼッタが顔を出した。
いつもの白衣姿では無く、上半身は裸。
その長い髪は後ろで結ってあった。
リオンと同じように、その体には包帯が巻かれている。
以前の傷はまだ治っていないようだった。
「ロゼッタ師匠、何か久しぶりな気がするなぁ…」
「約一週間だ」
「何がですか?」
「その間、ずっとキミは寝ていたんだよ」
「一週間…そんなに…」
「それより、聞きたいことがあったんじゃないのかい?」
「あ、そうだった…」
「ふふっ」
ロゼッタはリオンに対しこれまでのことを話した。
バッシュを追っていた少女、ミドリのこと。
バッシュを倒した後のこと。
王都がパニックになったこと。
それを抑えるために、一部の報道に制限がかかったことなど。
「アリスたちは今どこに?」
「連日の看護疲れで寝ているよ」
ロゼッタが部屋の隅を指さす。
そのままではリオンにとって死角になっているので、少し体の角度をずらして覗く。
確かに、壁にもたれかけてアリスとシルヴィが寝ていた。
二人はリオンが起きたことに気づかずにぐっすりと眠っている。
「(二人とも、ありがとう…)」
心の中で感謝するリオン。
そんな時、ドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは一人の看護婦だった。
その手にはお盆が握られている。
その上に乗せられているのは、温かいスープの入った皿だった。
横には小さなパンもある。
「リオンさん、起きられたんですね」
「えっと、はい」
「もうすぐ食事の時間なので、良かったら食べてください」
「わざわざすいません」
「いえ、これが仕事ですので」
そう言い残し、彼女は部屋を出て行った。
残されたリオンは、とりあえずアリスたちが起きるまで待つことにした。
「いただきます」
スープを一口飲む。
優しい味が口に広がり、体が温まる。
そのまま二口、三口と飲み続ける。
「美味しい…」
思わず感想が漏れる。
実に、約一週間ぶりの食事だ。
患者用の薄味のスープ、薄く切られたパン。
それがとてもおいしく感じられた。
「ごちそうさまでした」
数分後、完食するリオン。
その体は満たされており、幸せな気分になっていた。
その時、 大きな音が部屋に響いた。
発生源は他でもないリオンのお腹である。
どうやら空っぽになった胃袋は、次の食事を欲しているらしい。
チラリと横を見るが、アリスとシルヴィはいまだ夢の中だ。
起こすわけにはいかない。
「ははは、まあそうなるよな」
それを見て笑うロゼッタ。
「どれ、私が何か買って来てやろう」
身体のことを考え、軽めの物に限るがな。
自身の言葉に、ロゼッタはそう付け加えた。
「あの、お金は…」
「気にするな。この前の報酬金がまだ残っている」
「あ、はい…」
「じゃあ行ってくる」
そう言って、ロゼッタは病室を出た。
一人残ったリオンは、窓から外を眺めた。
日はすでに高く昇っており、時刻は昼前だと分かる。
「早く退院したいけど、しばらくは無理かな…」
窓の外を飛ぶ鳥を見ながら、リオンは呟いた。
その目には焦りの色が見える。
だが、仕方の無いことだ。
彼の体には深い傷が残っている。
それを治療するには、しばらく時間がかかるだろう。
その時、誰かがドアを叩く音がした。
おそらくロゼッタが帰って来たのだろうと、リオンはその方向に顔を向けた。
しかし、そこに立っていたのはロゼッタではなかった。
立っていたのは…
「キョウナ…!?」
「り、リオン!?」
そこに立っていたのはキョウナだった。
以前見た時と同じ格好をしている。
しかし、顔に彫ったガ―レットへの愛を誓った刺青。
それを包帯で隠していた。
その表情は、明らかに以前の彼女とは違うものだった。
不安げに辺りを見渡し、落ち着きがない様子でそわそわしてる。
まるで迷子の子供のようだ。
その姿を見た瞬間、リオンは悟った。
「元に…戻ってる…?」
「うん…」
キョウナは小さくうなずく。
彼女に使われた魅了の効果、数日前に切れた。
リオンと分けたお守り。
それに入っていた鉱石のおかげだった。
「良かった…」
「うん、本当に…」
お互いが安堵する。
だが、それは一瞬のことだった。
「でも…」
「ん?」
「また、ここに来ちゃって…」
そう言う彼女の目には涙が浮かんでいた。
「私のしたこと…まだ謝れてないのに…」
俯きながら話すキョウナ。
リオンはそれを黙って聞いていた。
「私…どうすればいいのか分からない…」
「…」
「ごめんなさい…!」
泣き崩れるキョウナ。
そんな彼女をリオンは何も言わず見つめていた。
それから少しして、キョウナは落ち着いた。
ベッドの端に座っている。
その目はまだ赤いが、先ほどよりは落ち着いてきたように見える。
そんな彼女にリオンは話しかけた。
自分の気持ちを素直に。
今の自分に出来ることを。
「キョウナ、俺は怒ってはいないよ」
「えっ?」
「それに俺の方こそ、助けに行けなくてごめん…」
リオンはキョウナを探し続けていた。
アリスに頼み、森の中を一緒に探してもらったこともあった。
会う人々にキョウナのことを尋ねて回った。
ロゼッタたちとの修行の際もそれは欠かさなかった。
しかし、それでも手がかりは得られなかった。
「俺がもっとしっかりしていれば…」
リオンの言葉を聞き、キョウナの目に再び涙が溜まっていく。
彼女はそのままうつむくと、声を押し殺して泣いた。
その背中をリオンは優しく撫で続けた。
しばらくして、キョウナはようやく泣き止み始めた。
それでも、まだしゃくり上げている。
「大丈夫かい? キョウナ」
「う、うん…」
彼女はこちらを見ていた。
その目は赤く腫れているが、もう泣いてはいなかった。
決意のこもった眼差しだ。
その視線を受け、思わずドキッとするリオン。
そんな彼に対し、キョウナは言った。
今までずっと言えなかった言葉を。
「リオン、ありがとう」
「え?」
「助けてくれて」
「いや、そんな…」
「それとごめんね」
「えっと、何が?」
「あの時、酷いこといっぱい言って…」
「もういいよ、そんな…」
「ごめんね…」
そう言って、キョウナは頭を下げた。
何度も、深く。
それに対して、リオンは戸惑いながらも答えた。
自分が思っていたことを正直に。
すると、キョウナはゆっくりと顔を上げた。
そして、こう告げた。今度こそ本当の意味で。
「さようなら…幸せに…」
「え」
「もう二度と、あなたの前には姿を現さないから…」
そう言って、キョウナは病室から出て行った。
彼女の後ろ姿を見送った後、リオンは再び窓の外を見る。
そこには青い空が広がっていた。
だが、リオンの心にはどこかモヤがかかっていた。
その理由は分かっている。
彼が一番恐れていたこと。
それは…
「(これで、終わりなのか…?)」
そう思った瞬間、リオンは心の中で叫んだ。
それは否定の叫びだ。
「(何か方法があるはずだ! このまま終わらせたくない! 諦めたくはない! そうだ、考えろ! 考えるんだ! 何か、何か方法が! 絶対に何かあるはずなんだ!!)」
だが、その方法は全く思いつかなかった。
リオンは必死になって考えた。
しかし、何も出てこない。
追っても彼女はそのまま逃げてしまうだろう。
ただ時間だけが過ぎていった…
同日、同時刻。
崩壊した試合会場。
封鎖されたその場所には誰もいない。
そんな場所に一人の男が現れた。
背が高く、体格も良い。
顔立ちは整っており、髪は濃い茶色のような赤色をしている。
年齢は十代後半くらいだろうか?
そしてなにより目立つのがその服装だった。
全身黒ずくめの格好なのだ。
頭にはフードを被っており、まるで闇に溶け込んでいるようだった。
「これか…」
そうとだけ言うと、彼はそのまま去っていった。
足元に落ちていた魔石を拾って…
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