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晩秋の空は高く、どこまでも澄み切った青一色だった。
真っ黒に塗られた軍用馬車は、馬に跨った軍人達を引き連れて街道を走っている。
昨日よりも速度を落とし、軽快に。
メオテール国では、領地と領地の間に関所が設けられているが、そこを抜ければ市街地までは、のどかな地域を通ることになる。
ケルス領を出た軍用馬車も、現在、広大な牧場のすぐ傍の街道を進み、車中では、カシュカシュと布を引っかく音が響いている。
その音を奏でているのはベルであり、対面に座るレンブラントは、長い足を組んで呆れ顔になっていた。
「……アルベルティナ嬢、やめないか」
──カシュ、カシュ。
「……あまり触れると、せっかく巻いた包帯が取れてしまうぞ。それに、そんなに強く触れたら、傷口が痛むだろう。今すぐ、やめなさい」
──カシュ、カシュ。
「……ああ、もしかして少しきつく巻きすぎたか?すまない。次の休憩場所で巻きなおすから、もうちょっとだけ辛抱してくれ」
──カシュ、カシュ。
「おい、無視はやめろ」
──カ……シュ。
呻るようにレンブラントがそう言うと、一瞬だけ布を引っかく音が消えた。でも、すぐに再開される。
この音の出所は、ベル。自分の腕に巻かれた包帯を、指で引っかいているのである。
昨晩、ベルは売り言葉に買い言葉で自分の腕の傷を披露した後、、レンブラントから強引に傷の手当を受けた。
全ての傷を消毒して、症状に合わせた軟膏を塗り、ガーゼで傷を保護してから、がっちり包帯を巻かれた。処置を終えたのと、朝日が昇るのは、ほぼ同時だった。
罪名を告げずに連行した軍人とは思えない優しい手つきで、正直、戸惑いを隠せなかった。実は、こんなにも手厚く傷の手当をされたのは初めてたっだ。
こういう時、「ありがとう」と言うのが正解なのかもしれないが、慣れない包帯が鬱陶しくて仕方がなく、なんとか包帯を取ろうと頑張っている。
しかし、手当てをした当人からすると、黙認できるわけがなかった。
「……アルベルティア嬢、これは軍医直伝の巻き方をしているんだ。そう簡単には取れない。いい加減あきらめろ」
腕を組みながら説得するレンブラントの口調は、苛立ちを含んでいる。
でも、カシュカシュ音は途切れない。徹底的に反抗すると、態度で示している。
ちなみにベルは、今朝から一言も口を開いてはいない。
海の底にいる貝ですらちょっとはパクパクするのに、彼女の口は溶接されたかのように、ぴったりくっついたまま。
でも不機嫌なオーラだけは、遠慮なく出している。
車内の息苦しさに耐え切れず、レンブラントは小さく咳払いをして口を開いた。
心も、口も、完全に閉ざしてしまったベルとの会話の糸口になればと願って。
「俺は王都にある自分の屋敷でスタラという名前の犬を飼っているんだ。それでな」
「死んだんですか?」
「なっ……」
これまでずっと無言を貫いてきたかと思えば、突然縁起でもないことを口にしたベルに、レンブラントは唖然とした。
ぶっちゃけ、俺、働きすぎて幻聴でも聞こえたか?と、自分の耳を疑った。
しかし内容はどうあれ、会話ができた。何となく、我が身が傷つく予感はするが、それでも会話を続けたいレンブラントは、今度はオホンッと大きく咳払いをして再び口を開く。
「いや、生きている。とても元気だ、それでな」
「そうですか。きっと世界中であなたのことをご主人様だと認識してくれるのは、そのスタラさんだけだと思うので大事にしてあげてください」
「……」
そっけなく、でも、ひとかけらの躊躇もなく暴言を吐いたベルに対し、レンブラントは今度は完璧に言葉を失ってしまった。
車窓の向こうでは、群れからはみ出した羊に向かって、牧畜犬が列に戻るよう吠え立てている。
「そうか。悪かった。犬は、嫌いなんだな……」
「いえ、好きです」
つまり、俺のことが嫌いなのか。
最悪な結論に辿り着いたレンブラントは、感情を隠すために、眉間を強く揉んだ。