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舞踏会から数日が経ち、王宮はまるで“恋の春”が訪れたかのような浮かれムードに包まれていた。
「あのときのダンス……まるで本当に愛し合ってるみたいでしたわ」
「オリビア様のドレスが王子様の瞳に映り込んでいて……ああ、ロマン……!」
そんな声があちこちで囁かれる中、当の本人――オリビアは、頭を抱えていた。
(……どうしてこうなった……)
舞踏会のたった数分の共演が、まるで長年連れ添った恋人同士のように誤解され、もはや“国のロマンスの象徴”とまで言われてしまったのだ。
しかも、そのせいで――
「……王子様、お願いがございますの」
と、オリビアはある朝、勇気を出して声をかけた。
控えめな仕草、丁寧な言葉遣い。
その全てにアルベールは内心、ぐらぐらと心を揺さぶられていたが――表情はいつもの通り、冷静を装っていた。
「……なんだ」
「……“恋人のフリ”を、していただけませんか?」
「………………は?」
アルベールは顔を上げる。
いつもどおり涼しげな顔――のはずだったが、耳がほんのり赤くなっている。
「舞踏会以来、周囲の誤解がどんどん広がっていて……。このままでは“婚約破棄”の準備も進められませんし……」
「(まだ準備してたのか……!?)」
王子の心の声が荒ぶる。
「ですから……一定期間、“あえて”恋人らしく振る舞うことで、逆に疑念を解消し、冷静に判断できる空気を作ろうかと……」
「……つまり、俺と手を繋いだり、話したり、笑ったり、そういうことを、意図的に“演じる”ということか」
「……はい」
「ふん……」
アルベールは椅子にもたれ、わずかに唇を歪めた。
「……気に入らんな」
「……えっ」
「演技をするように、“俺と接する”というのが……気に入らん」
(な、なに? 急に何を言ってるの!?)
オリビアは混乱した。
だって、王子は彼女のことを“嫌っている”はずなのに。
恋人のフリなんて、むしろ願ったり叶ったりでは……?
「で、でも、これはあくまで社会的な立場を守るためのもので……!」
「……分かっている。俺も、やる」
「……えっ、やってくれるんですか……?」
「だが、条件がある」
王子はぴしりと人差し指を立てた。
「“演技”のつもりで、俺のことを見ないこと」
「……えっ?」
「“演技”の目で見られるくらいなら、いっそ無表情でいてくれたほうがマシだ」
(……この人、何を言ってるの……!?)
「それから――その、“フリ”中に、他の男に微笑んだりするな。紛らわしい」
「……演技なんですよね? それ、完全に本気で嫉妬……」
「してない」
「してるようにしか聞こえませんが……」
王子は無言で顔をそむけた。
耳が、明らかに真っ赤だ。
(……この人、本当に“嫌ってる”のかしら……?)
***
その日から、ふたりの“恋人のフリ”が始まった。
まずは初級編――朝の挨拶。
「……おはようございます、王子様」
「…………おはよう」
(声が小さい……!)
次、手を添えて歩く練習。
「この角を曲がったところで、民衆の目があるので、手を取っていただけますか?」
「……こうか」
(なぜそんなにぎこちない!?)
そして、視線を交わして笑い合う練習――
「王子様、どうしてそんなに真顔のまま私を見つめていらっしゃるのですか?」
「……練習中だ」
「何の?」
「お前を見て、顔を赤くしない練習だ」
「………………」
オリビアは黙って、手で自分の頬を隠した。
(……なんなの、もう……この人……)
心が、くすぐったい。
だけど、それは不快ではなくて、むしろ――温かい。
***
夜、王子の執務室。
「……ふむ、明日は“恋人のフリ”で、一緒に昼食だと?」
「はい、オリビア様がそう決められました」
「……ふん」
「何をにやけておられるのですか?」
「にやけてなどいない」
「……耳が真っ赤ですが」
「血行がいいだけだ」
エドワルドは小さくため息をついた。
(このまま“フリ”を続けていれば、そのうち両想いになってしまうのでは……)
国で一番面倒なカップルの行く末に、王宮中の人間がハラハラし始めた頃――
当のふたりは、ようやくほんの少しずつ、心を近づけ始めていた。