テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
194
30
あおは@リク募中
91
「おやおや。夕露の若き指揮官殿は、今日も随分と難しい顔をしておられる」
時過ぎて、1945年(昭和20年)本土防空の要である松山基地 の屯所(指揮所)。
差し出された白いマグカップから、懐かしい珈琲の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
見上げると、端正な顔立ちにいつも穏やかな笑みを浮かべた男――戦闘701飛行隊「維新隊」隊長、鴛淵孝大尉 が立っていた。
「あ、鴛淵先輩。すみません、邀撃計画を考えていまして」
僕は椅子から立ち上がろうとしたが、鴛淵先輩は「座っていなさい」と、かつてラバウルで消えたあの笹井中尉と同じような優しい手つきで僕の肩を制した。
「おい、速中! また鴛淵の兄貴に甘やかされてんのか!」
バタン、と乱暴に扉を開けて入ってきたのは、戦闘301飛行隊「新選組」隊長、菅野直大尉 だった。相変わらず型破りで豪快、けれど瞳の奥には狂気じみた闘志を宿している。
「バカヤロウ、そんなに根を詰めてたら空に上がる前に脳ミソが焼き切れんぞ!」
と、僕の頭をガシガシと乱暴に撫で回してくる。
「少し静かにしなさい。速中隊長が困っているでしょう」
苦笑しながら、お茶の入った急須を持って入ってきたのは、戦闘407飛行隊「天誅組」隊長、林喜重大尉 だった。温厚で誰からも慕われる、剣部隊の次男坊のような人だ。
知将の鴛淵、仁将の林、猛将の菅野。
そして、かつてラバウルの地獄を生き抜き、僅か十九歳にして前代未聞の「中佐」の階級にまで登り詰めた、夕露飛行隊長の僕。
海軍の歴史を塗り替えた天才少年として周囲からは『怪物』と恐れられていたけれど、この三人の飛行隊長たちの前にいる時だけは、僕はまだ、あのラバウルで珈琲を片手にもたれていた頃の「速中少尉」に戻れるような気がしていた。
「しかし、夕露の紫電改は相変わらず見事に整備されているな」
林先輩が、窓の外の滑走路に並ぶ僕の飛行隊の愛機を見つめて呟いた。
その翼の傍らには、今やベテランの整備主任となった斉藤さんの姿や、僕の小隊の列機として必死にしがみついている大石の姿があった。
「ええ。僕の後ろ(死角)は、世界一安全ですから」
僕がふっと微笑むと、菅野先輩が「けっ、あの『命惜しみの大先生(宮部)』の口真似かよ」と笑い飛ばした。
宮部さんは、いま別の航空隊で戦っている。けれど、彼が僕に遺してくれた「生き残るための空間把握」のすべては、今の僕の血肉となり、この夕露飛行隊を率いる強固な盾となっていた。
「さぁ、時間だ。野郎ども、屯所(屯所)を出るぞ!」
菅野先輩が愛用の飛行帽を引っ掴み、獰猛な狼のように目を細める。
「B-29だろうがマスタングだろうが、我が剣部隊の紫電改で、一機残らず叩き落としてやろうや!」
「ああ。生きて、みんなでうまく笑おう」
鴛淵先輩が、静かに僕を見て微笑んだ。
――ドクン、と胸の奥が痛いほどに跳ね上がる。
その言葉は、あの日、ラバウルの夕暮れの中で消えた笹井中尉の約束そのものだった。
燃え盛る日本本土の空へ向けて、僕たち四人の飛行隊長は、それぞれの愛機へと歩き出した。
これが、僕の生前最後の、そして最も狂おしく輝かしい、19歳の中佐としての最後の戦いへ向かうカウントダウンだとは、まだ誰も知らずに――。
コメント
1件
ああ、第16話……「生前最後の戦い」だと後書きで知る前から、屯所の空気に張りつめたものが漂ってましたね。鴛淵先輩が笹井中尉と同じ仕草で肩を制したり、「生きて笑おう」と約束を継ぐ場面、静かだけど心臓を掴まれるようでした。菅野先輩の豪快さと林先輩の温かさも、速中隊長をまだ「あの頃の少尉」に戻してくれる存在として効いていて……。四人の関係性、とても好きです。