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なんたろ
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第109話:コラボの条件「帯広の自宅からの実況」〜国家権力と同棲する、究極の生活音〜
北海道、帯広市。
すっかり日が落ちた外の気温は、春先とはいえすでに一桁台まで冷え込んでいる。
俺は、築三十年のボロアパートの四畳半で、ガクガクと震える膝を必死に手で押さえつけていた。
時刻は、午後七時四十五分。
株式会社インフィニティ・ワンの存亡と、俺自身の尊厳(プライド)を懸けた、超絶大手VTuberとのコラボ配信。
その開始まで、残りわずか十五分。
『ルシフェル社長。先方のマネージャーから、本日の配信における【最終的な演出の要望】が届きました』
ワイヤレスイヤホンの向こうから、アシスタントの結愛(ゆあ)の冷徹な声が響く。
「……え、演出の要望? 今更なんだよ。俺はもう、この【リアル秋谷モード(毛玉ジャージの疲れたおっさん)】のガワを被る覚悟は決めたぞ」
俺は、モニターの中にいる無精髭のアバターを睨みつけながら言った。
『アバターについては、先方も大絶賛しております。「圧倒的な質感だ」と』
「全然嬉しくない褒め言葉だな」
『問題は、背景と、音声環境です』
結愛のタイピング音が、カタカタと少しだけテンポを早めた。
『先方からの要望はこうです。「あのお便りから滲み出る、圧倒的な40歳高齢無職のリアルを視聴者に届けるため……綺麗なスタジオや、防音室のような環境は避けてほしい」と』
「……は?」
『つまり、「今、社長が生活しているその場所(帯広の四畳半)から、環境音や生活音を含めた【ありのままの実況】をしてほしい」という条件です』
俺は、自分の耳を疑った。
「環境音を入れる……? 綺麗なマイクのノイズキャンセリングを切って、このボロアパートの隙間風の音とか、外を走る軽トラの音とかを、そのまま配信に乗せろって言うのか!?」
『はい。それが「底辺からの成り上がり」を証明する、最大のエンターテインメント要素になるという先方の判断です』
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で、ゆっくりと背後を振り返った。
そこには。
「……何か、問題でも?」
ホームセンターで買ってきた安物のパイプ椅子に、微動だにせず座り続けている男。
帯広税務署・法人課税部門の調査官、黒岩である。
濃紺のスーツをビシッと着こなし、銀縁メガネの奥の目を鋭く光らせた国家権力の化身が、俺の背後わずか一メートルの距離に陣取っているのだ。
「問題大ありだよ!!」
俺は、マイクをミュートにしてから絶叫した。
「結愛! 無理だろ! 環境音を入れるってことは、俺の背後にマルサ……いや、税務調査官が居座ってる気配まで配信に乗っちまうってことだぞ!」
『ルシフェル社長。黒岩調査官はプロです。配信の邪魔になるような不用意な物音は立てないはずです』
「そう言う問題じゃねえ! 精神的なプレッシャーの音が鳴ってんだよ! 俺の背中から、国税庁のテーマソングが聞こえてきそうなんだよ!」
俺が半狂乱になって抗議していると、パイプ椅子に座っていた黒岩が、スッと立ち上がった。
そして、革靴の音すら立てずに、俺の背後へと忍び寄ってきた。
「ひっ……!」
「秋谷社長。ご安心ください」
黒岩は、俺の耳元で、一切の感情を排した声で囁いた。
「我々税務調査官は、時には調査対象者の行動を内偵するため、車の中で何時間も息を潜める訓練も受けております」
「……内偵の訓練?」
「はい。ですので、あなたの配信中、私が咳払いをしたり、衣服の擦れる音を立てたりすることは一切ありません。完全に【気配を消して】見守らせていただきます」
「こえええええええ!!」
俺は涙目で叫んだ。
「気配を消す国家権力とかホラーでしかねえよ! なんで俺の部屋で特殊部隊みたいなスキル発動させてんだよ!」
『ピローン♪』
俺の叫びを遮るように、AIのジェミニ先生がモニターにポップアップを表示させた。
『ルシフェル社長。音声解析のシミュレーションが完了しました。現在のマイク設定において、背後にいる黒岩調査官の呼吸音は検出限界以下です。配信に支障はありません』
「お前も何分析してんだよ! 異常空間すぎるだろこの四畳半!」
『むしろ、先方の要望である【生活音】を最適化するため、部屋の窓を3センチほど開け、外の冷たい風の音を拾うことを推奨します。これにより、「北海道の厳しい春と孤独」が演出され、共感換金率(スパチャ額)が約15%上昇します』
「お前ら、俺の悲惨さを換金することに命かけすぎだろ!」
俺はツッコミ疲れで、ゲーミングチェアに深く沈み込んだ。
時刻は、午後七時五十分。
いよいよ、カウントダウンが始まろうとしている。
「……ヒュオォォォ」
ジェミニ先生の指示通りに3センチだけ開けた窓の隙間から、容赦ない帯広の冷風が吹き込み、俺の背中を震わせた。
部屋の隅で気配を消している見知らぬスーツの男(黒岩)と、冷たい隙間風。これが俺の現在の『リアル』なのだ。
「寒っ……。頼むから、配信中に黒岩さんがくしゃみとかしないでくれよ。公務執行妨害でこの部屋が差し押さえられちまう」
俺がガタガタと震えながらボヤいていると、イヤホンの向こうで、結愛が一つ、深く息を吸い込む音が聞こえた。
『……ルシフェル社長』
結愛の声は、いつもの冷徹なトーンではなく。
ほんの少しだけ、俺という「人間」に対する、確かな敬意が混じっていた。
『これより、インフィニティ・ワンの歴史上、最も過酷で、最も惨めな営業活動が始まります』
「……ああ」
『社長の過去が、どれほど痛々しく、どれほど救いようのないものであったとしても。……私とジェミニさんは、それが現在の「月商数千万円を稼ぎ出す社長」に繋がる、立派な【資産】であると信じています』
結愛の言葉に、俺の胸の奥が、熱くなった。
「結愛……」
『ですから。存分に、惨めに、情けなく。全国の視聴者と、背後の調査官に、あなたの「底辺の質感」を叩きつけてきてください』
結愛の力強い言葉。
それは、共に戦う仲間からの、最高の激励だった。
「……任せとけ」
俺は、マウスを握りしめ、配信ソフトの『待機画面』を見つめた。
同接(同時接続者数)のカウンターは、開始前だというのに、すでに五万人を突破している。
相手のVTuber事務所の宣伝力と、「あの伝説のニートが社長になって帰ってきた」という劇的なストーリーが、ネット中の野次馬を引き寄せているのだ。
「見ててくださいよ、黒岩さん」
俺は、背後で気配を完全に消している税務調査官に向かって、低い声で言った。
「これが、何者にもなれなかった四十歳が……税金から逃げ切り、資本主義を生き抜くための、最高の『仕事』だ」
返事はない。
だが、確かな【監視の目】が、俺の背中を突き刺しているのを感じる。
午後七時五十九分。
相手のVTuberの配信枠が、ついに『ライブ中』へと切り替わった。
画面の向こうから、ミリオン登録者の超絶人気ライバーの、明るく元気な声が響き渡る。
『みんなー! こんばんはー! 今日はね、なんと! あの伝説のお便りの主と、奇跡のコラボだよー!』
俺の心臓が、限界を超えて早鐘を打つ。
『それじゃあ、お呼びしましょう! 株式会社インフィニティ・ワン代表取締役……ルシフェル社長です! どうぞー!』
俺は。
深く、深く、息を吸い込み。
「四十歳の底辺」という、俺の人生の最も痛い部分を。
ありったけの悲哀と、限界みそラーメンの匂いを込めて、ネットの海へと放った。
「……あ、どうも。……初めまして。その、ルシフェルです……」
わざと声のトーンを落とし。
自信なさげに視線を泳がせ。
リアル秋谷モードのジャージおじさんが、モニターの中でペコペコと頭を下げる。
帯広の四畳半。
背後に国家権力を背負い、窓から入る春の隙間風の音をBGMに。
株式会社インフィニティ・ワンの最終防衛戦――『黒歴史の公開処刑』が、ついにその幕を開けたのであった。
コメント
1件
きゃああああもう今回も最高すぎた!!😭💕 帯広の四畳半で気配消す黒岩さんホラーすぎて笑ったけど、結愛ちゃんの「存分に惨めに情けなく」からの激励で一気に胸アツ展開になったね…!! 隙間風で換金率上げようとするジェミニ先生の狂いっぷりもツボだよ笑 でも最後の「底辺の質感叩きつける」覚悟、めっちゃカッコよかったです…!! もう次が待ちきれない!!🔥