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力の父親、笹山健一63歳は地元の権威ある大学講師として、今でこそ講義の回数は減ったとしても、まだまだ現役の古文の大学教授だ
趣味の園芸と時代劇の再放送に人生を捧げ、長身の体躯に少し頂点が剥げかかった白髪交じりの髪、大学の生徒達からは「笹山教授は厳しい」と恐れられながらも尊敬されている、しかしそんな彼の心は意外と繊細だ
特に、たった一人の孫娘、音々への愛情は計り知れない
しかしその健一の初孫への愛情は遠くから見守るだけのものだった、健一のバカ息子、力が八年前、婚約者の沙羅ちゃんを結婚式当日に置き去りにして海外へ飛んだせいで、健一は孫娘の人生に一切関われなくなった
健一はたった一人の孫娘をとても愛していた、母親と息子がいなくなったこの寂しい一人暮らしの我が家で、あの子の事をずっと想い、見守って来た
出来るならおじいちゃんとしてあの子を可愛がってあげたかった
赤ちゃんの初孫にひな人形を買ってあげて、女の子がすくすく育つ年行事には祖父らしく経済力にものを言わせ、七五三の晴着から入学式のランドセルまでいくらでも財布の紐を緩め、あの子の成長を祝ってあげたかった・・・
そしてとうとう死期を迎えた時期には可愛い孫にこの家と財産を残すまで・・・
本来なら世の孫が出来た祖父なら普通に体験できる幸せを、あのバカ息子のおかげで何も経験できず、このまま一生孫娘に関われず、孤独な老後を過ごすのだろうと思っていた
なのに、なのに、それなのに!
今、健一は口をポッカリ開け、古びた我が家のリビングで信じられない光景を見ていた
あれほど思い焦がれていた自分の孫娘が、突然10分前に「おじゃまします」と言って家に上がって来たのだ
音々はピンクの小さな猫耳がついているタオルドライキャップを被って、キョロキョロと好奇心いっぱいの目で、健一の家を見回している
いつもの健一の指定席のソファーにちょこんと座っているその姿はなんとも愛らしい、そしていつも自分が座っているあのソファーが音々が座るととても大きく見えた
音々は両手を太ももの下に入れ、あのかわいらしい足をブンブン揺らして、キョロキョロと健一の家を見渡している
ヒソヒソ・・・「な・・・どういうことだ!!(焦)なんであの子がここにいるんだ?」
コソコソ・・・「知らないよ! 僕だってビックリしてるんだ!音々ちゃんが急に『力のおうちに行きたい!』って言い出したんだ、しょうがないじゃないか!」
二人はリビングにいる音々を残してキッチンの隅でパニックになっていた、まるで漫才コンビの掛け合いのようにわちゃわちゃと小声で騒いでいる
音々はキョロキョロとテレビ台の上の古い置時計、壁に飾られた「忠臣蔵」のポスター、盆栽の鉢を興味深く見つめている、どうやら健一の家のすべてが音々の興味を引いているらしい
ブツブツ・・・「どしよう・・・あんな小さな女の子をもてなすものなんて我が家にはないよ・・・」
「落ち着いてよ、父さん!沙羅と約束したんだ、まだ僕が父親だって言わないでね!」
と小声で力が言う
「なんと!それじゃ私もおじいちゃんだと名乗れないのか?」
コソコソ・・・「とにかく今は微妙なんだ!音々ちゃんに何も言わないで!」
コソコソ・・・「よ・・・よし・・・わかった―」
「ねぇ!それなぁに?」
「わぁ!」
「わぁ!」
健一と力はまるでホラー映画の様に同時に飛び上った、振り返るとそこには音々が立っていた。いつの間にかキッチンに忍び寄り、二人の背後で興味津々の目を輝かせていた
ピンクのキャップを被り、両手は後ろで組まれ、探偵ごっこを楽しんでいる子供の様だ
健一は心臓を押さえ、なんとか笑顔を絞り出す
「こ、これかい? 音々ちゃん、これはお昼に私が作ったお味噌汁だよ!」
「ふぅ~ん・・・」
音々がシンクの脇に置かれた、鍋の中に入った味噌汁をじっと見つめている、その大きな瞳には、好奇心と、どこか期待のような光が宿っていた
力はハッと気づく、スイミングのレッスン帰りの音々は学校の給食などとっくに消化し、腹ペコに違いない! 何か食べさせてあげたい
「音々ちゃん、お味噌汁食べる? 温めてあげようか?」
力の言葉に音々の瞳がキラキラと輝く
「え?いいの?」
その無邪気な笑顔に健一の心は一瞬で溶けた
「ワカメとお豆腐のお味噌汁は音々ちゃんのお口に合わないかもしれないよ?でもちょっと食べてみるかい?」
「音々!ワカメもお豆腐も大好き!!」
「おおっ!そうかい?」
健一は素早く鍋を火にかけ、煮詰まると辛くなるので少し水を足しながら味噌汁を温め直し出した
音々は健一の後ろのダイニングテーブルの椅子にちょこんと座り、小さな足をブランコのようにつま先で揺らしながら、祖父の料理を待っている、キッチンには、味噌汁の香りがふんわり漂い始めた
「はい、音々ちゃん! できたよ、召し上がれ!」
「いただきまーす♪」
健一は誇らしげに湯気の立つお椀を差し出す、音々は小さな手で慎重にお椀を受け取り、ズズズッと一気に啜った
「おいしい!」
「そうかい、そうかい! おじいちゃ・・・いや、私の味噌汁気に入ってくれたかい」
音々の声がキッチンに響き、健一の顔がデレデレの極みに達する
―うわ、父さん、デレデレじゃん・・・―
力はそんな二人を横目で見ながら、なんだかんだで連れて来てよかったなと思った、そんな健一は美味しそうに味噌汁を飲む音々を見ながら今は鼻を啜っている
「これにご飯いれて!」
音々がお椀を健一に差し出す
健一と力は一瞬ポカンとする
「ご、ご飯?」
力がつぶやく
「音々ちゃん、好きな食べ物はなんだい?」
健一が恐る恐る尋ねると、音々は即答した
「お茶漬け!」
キッチンに、微妙な沈黙が流れる。健一と力は目を見合わせ、思わず声を揃えた
「汁物が好きなのかな?」
「意外と食の好み渋いね・・・」
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「わぁ~ウサギさん!」
「小雪ちゃんっていうんだよ」
すっかり髪が渇いて、お団子に括っている音々の小さな声が健一の家の縁側に響く、大きなゲージの中には、真っ白な毛並みが輝く1匹のウサギが、赤い目でこちらを見つめていた
まるで雪の塊のようなその姿に、音々の目はキラキラと輝きながらもどこか戸惑いを隠せない
「ゲージから出すの?」
音々は少し後ずさり、怯えた目で健一を見上げる
「ダメよ! 噛んだり目をひっかいたりするわ、ママが言ってたけど動物はバイキンをもってるのよ!」
その言葉に、健一は思わずハハハと笑った、父の笑い声が庭にこだまする
「大丈夫だよ、小雪ちゃんはとっても大人しいよ、さぁおいで、小雪ちゃん」
健一はゆっくりとゲージの扉を開けた、大きな手をまるで壊れ物を扱うように慎重にウサギのお腹の下に滑り込ませ、ひょいっと持ち上げる
小雪と名付けられた健一のペットのウサギは、健一の手の中でおとなしく身を委ね、フワフワの毛を風にそよがせていた、健一は小雪をそっと膝の上に置き、優しく撫でながら言った
「よ~しよし・・・いい子だね」
音々は興味津々でその様子を見つめていた、怯えていた瞳に好奇心が少しずつ芽生えていく、ウサギの白い毛並みが陽光に透けている
「動物に触ったことは?」
「ないわ!」
まるで雪の結晶のようにきらめく小雪をよく見ようと、音々は思わず身を乗り出して健一の膝に近づいた
「噛まないから触ってごらん、音々ちゃんの持っているぬいぐるみよりもフワフワだよ」
健一の声は穏やかで優しい響きがあった、健一は小雪を我が子のように可愛がっていた
音々は恐る恐る小さな手を伸ばし、指先が小雪の背中に触れた瞬間、彼女の顔に驚きと喜びが広がった
「ほんとだ!ふわふわだぁ!!」
「そうだろ? 小雪ちゃんはとってもいい子なんだよ」
「にんじん食べる?」
「大好きだよ、あとクローバーもね」
「クローバー? 食べるの?」
「ウサギの大好物だよ、ほら、あの庭の隅にいっぱい生えてるだろ、一緒に摘みに行こう」
健一は立ち上がり小雪を庭に放すと、すぐにピョンピョン飛んでクローバーが沢山生えている庭の隅に走った
「ああ!待って!待って!小雪ちゃん!逃げちゃダメ!」
ウサギを追いかける音々に健一が笑う
「逃げてないよ、この庭は小雪ちゃんの遊び場だから大丈夫だよ」
二人は庭に降り立ち、クローバーの緑の絨毯にしゃがみ込む
「食べてる!小雪ちゃん!クローバー食べてるよ!」
「ハハ、喜んで食べてるね」
音々が積んで差し出したクローバーを小雪がムシャムシャ食べている、感動した音々は瞳をキラキラさせている
それを縁側の柱にもたれて力はそっと血の繋がった二人を眺めていた
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「これはなに?」
音々が健一の家の和室にある大きな仏壇の脇に置かれた細い棒に目を留めて言った、健一は穏やかに微笑んだ
「お線香だよ、天国にいる力のお母さんに届くように煙に乗せて想いを送るんだ、お母さんが大好きだった花の香りでね、そっと話しかけるみたいにね」
音々の目はキラリと光る
「力のお母さんはどんなお花が好きだったの?」
「桜の花だよ、このお線香はほのかに桜の香りがするんだ」
健一は1本の線香に火を灯し、煙がゆらりと立ち昇るのを二人で見つめた
「ほんとだ!いい匂い!」
音々は小さく鼻を動かして言った、次に音々の手が仏壇の小さなおりんに伸びた
「これはなに?」
「これは(おりん)だよ、音を鳴らすとその音が天国まで響いて、お母さんに『今、想ってるよ』って伝えるんだ、優しい音でお母さんの魂をそっと撫でてあげるのさ、鳴らしてごらん」
音々はそっとおりんを叩き、チリーンと澄んだ音が部屋に響いた
「力のお母さん聞こえたかな?」
「もちろん聞こえたさ、音々ちゃんの心、ちゃんと届いてるよ」
仏壇の写真で微笑む力の母親(美雪)が、まるで二人を見守っているようだった
音々はしばらく自分の祖母の写真をじっと見つめて言った
「もう一回、鳴らしてもいい?」
「ああ、いいよ」
線香の煙が夕陽に溶け、おりんの音が静かに響く・・・
祖父と孫娘は、故人を想い、心を通わせていた