テラーノベル
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俺が目覚めた時すでに、俺の部屋の直上222号室の住人、野々神ののかの姿はなかった。そして一緒に仕上げた漫画の原稿や人生で初のベタ塗りに使用した筆たちも無かった。ただ『ありがとう。またね?』と走り書きされた切れ端と万札が10枚、ガラス天板な卓袱台の上に置いてあった。
そして今、その卓袱台の上に並べられた、うずめさん手作りのブリの照焼や肉じゃがを彼女と二人で食べている。こうゆう時って普通は向かい合って座るものだと思っていたのだが、うずめさんは俺の横に座って食べている。その近すぎる距離感と、ベッドの中での彼女の表情が頭にチラついて胸の高鳴りが収まらない。もうこれは、恋人以上な近さじゃないのかっ?
「あ、あの。うずめさん?。…昨日は、あ、今朝か。…なんか、ごめん。(ちゃんと謝っとかないと、俺の方が…なんだかモヤモヤしてるし。) 」
「うずめ。で…いい。……れお?。…ちゃんと……食べてね?。…ぱく。」
「ん?。うん。その……うずめは…どうして俺のところに?。……ぱくり。お?美味しい。…うずめって料理が上手いんだね。……味噌汁もうまいよ。(この話しはマズイかな?。でも、知っておかないとダメな気がする…)」
「…れおは……うずめが見えるでしょ?。……うずめの……本当の…姿が。」
「もぐもぐもぐ…。見えるから…居てくれるのか?。(…本当のすがた?)」
彼女は俺の質問に少しはにかんだ笑顔を見せて箸を置いた。残り少なくなった俺のご飯茶碗を取り上げるとキッチンに向かってゆく。そしてマンガの様にもりもりに盛られたその茶碗を、やはり穏やかな笑顔で差し出してきた。とにかく今は黙って食べろという事らしい。俺が茶碗を取るとまた隣に腰を下ろして、今度は黙々と食べ始めるうずめさん。なんか可愛い。
「…うずめは……聞いて欲しい…だけ。……うずめが……どう生きて……どう死んだのか。……うずめみたいに…悲しい想…いを……して欲しく…ないから。」
「そうか。……ごちそうさま。すごく美味しかったよ。…それで、俺に話したくて来てくれたのか。…俺でいいなら聞かせてくれ。いや、聞きたい。(俺も今まで規則の枠に押し込まれて望む生き方じゃなかったからな。聞いてやることでうずめさんの気休めになるのならそれだけでもいいさ…)」
「……うん。…でもその前に……確かめたい…の。…れお?。…うずめ…怖くない?。……気持ち悪いとか…無い?。…昔…人間だったけど。……今は…」
いそいそと食器を引きながら、俺とは目を合わせずにポツポツと話す彼女の横顔は少し辛そうに映る。美人薄命とはよく言ったもので、きっとうずめさんもその類に漏れなかったのだろう。美しさと儚さは表裏一体なのだと説く日本民族ならではな古くからの美学。だが、俺は何となく嫌いだ。美しい物は美しいままで残そうとするくせに人はなぜ短命と決めつける?そこに死とゆう抗えない物があるとしても、わざわざ美学にしなくとも。
「ああ。解ってる。最初からそうだと思ってたよ。怖くないと言ったら…別の意味で怖いけどね?。…うずめは、俺のこと怖くないの?男だぞ?」
「怖かったら…来ない。…でも初めて。うずめが…見えて、触れて、お話ができる。…今までの…女の人達は……みんな…急にいなくなったの。……二年まえの……れおが…来る前の娘は……おかしくなって……ここで…死んだわ。」
「!?。そうなんだ。…でも、うずめがそうした訳じゃないんだろう?。」
「…その娘は…うずめの声が……恐ろしく…聞こえたみた…い。…レオみたいに…生命の力が…強くなかった…の。……だから…うずめが……死んだ時の姿に……見えてたんだと…思う。…幽霊って…見る人の……生命力で…その形も変わるらしいから。…うずめは見たこと…ないのだけれど。……うふふふ。」
俺の眼の前にそっと置いた、淡い湯気の登る大き目な湯呑み。彼女も眼の前に小さな湯呑みを置いて正座に座った。そのすっと背筋を伸ばした姿勢は洗練されていて、うずめさんはやはり神職に就いていたのだと確信させてくれる。あの白いうなじで横一文字に整えられた蒼色の強い短い髪も、本当はもっと長かったのかも知れない。薄手なクリーム色の長袖ニットにフレアーな白いスカート姿なのに凛々しささえ感じた。…だけどこれは?
「…そうか。でもうずめ?少し顔が透けてるぞ?。それは俺のせいなのかな?。もしかして俺といると…変なプレ、いや重圧を感じてたりとか?。(そう言えば影も薄い気がする。…もしかして…弱っているのかな?)」
俺はとても不安になった。この美女は突然に現れたのだ。当然、突然に消えてもおかしくない。しかし俺はすでに、たった二日も過ごしていない彼女の、その温かさや優しさや可愛いらしさに触れている。孤独に潰されそうだった俺を救ってくれた女性だ。もし無くせば俺は多分耐えられない。
「え?。あ。…こうすれば…ほら。…ちゃんと見えるでしょう?。……こうしてレオが触れてくれれば…うずめは人と同じになれるの。それにくっついているととても喋りやすくなるのよ。ほら。うずめも温かいでしょ?」
「う!。すごく…温かい…です。で、でも…胸じゃなくてもいいんじゃ?。(うおー!?まじかー!。もっと柔らかいんだと思っていたけど意外としっかりしてる!。これ…張りが良いってことだよな?。大き目なのに重力に負けていないのは霊体だからだろうか?。いや…この感触は確かだ!)」
そんな俺の感激を知ってか知らずか、うずめさんは俺の右手を自分の左胸に、更に強く押し付ける。ふにゅっと伝わる肉感の良い弾力と押し返しに俺の背筋まで伸びてしまった。初めての鷲掴みに目眩さえ起こしそうだ。
出逢った時は言葉少なで、やたらじゃれ着く美女タイプな猫だったのに、一緒に買い物をしたり、食事を用意したり、入浴などをしたことで女性としてのうずめさんを知ってしまった。そして俺は既に恋心を抱いている。
「うずめが感じたかったの。レオの温かい手が好きだから。…あ、でもひとつだけ約束して?。…もしもうずめの事を気に入ってくれても…絶対に『好き』とか『愛してる』とか、言葉にしないで。生命を紡ぐ想いを伝える言葉は…言霊として伝わるの。それは死者の魂に直接語ってはいけない言葉。もしも伝われば…レオは死者の世界に引き摺り込まれちゃうわ。うずめはレオに来て欲しくない。…あんなに寂しくて…暗い場所になんて…」
俺の手を抱いたまま、白い頰を紅色にしたうずめさんが、少しだけ声を細くして警告してくれる。生者と死者との狭間は確かな境界線なのだとゆうことを改めて思い知らされた。俺は死とゆうひとつの区切りをまだ経験していない。それはこの世界に別れを告げられる唯一の方法だ。しかも俺はその死に憧れているところがある。だけど彼女は来るなと言ってくれた。
それは、持っていたはずの肉体を、何らかの形で無くしたうずめさんの言葉だから余計に重く感じる。俺が生きながら目指す次の人生とは、輪廻転生とは、実は身勝手な人間たちが、己の人生を慰める為に創り出した絵空事なのかも知れない。彼女のまっすぐに見る悲しげな眼差しに、俺はそう思わずにはいられなかった。だが今は…生きる希望がすぐ眼の前に居る。
「確かに俺はもう、うずめにそーゆー思いを持ってるからな。うずめは世界一美女可愛いい。真剣にそう思っている。たとえうずめが死者だろうが死神だろうが、俺にとっては大切な女神だよ。このままずっと…俺の側にいてくれ。…こんなガキに何ができるか解らないけど、見ていて欲しい…」
「れお。でも、いつかは別れなくちゃいけないのよ?。うずめはもう一度生まれ変わりたいの。ちゃんと成仏して…輪廻を回したいのよ。そしたらまた絶対に女に転生して、もっと綺麗になって…レオに会いに来るわ。こんなにも心が通い合うんだもの。私たちは次世でも幸せになれるから…」
「…そうか。俺も同じことを考えている。実はこれまで、あまり良い生き方はしてないんだよ。何もかもを大人たちに管理されて今の俺が本当の俺なのかさえも解らない。だけど俺はうずめと出会えた。ここからが俺がオレ自身を取り戻せる時間なんだと思う。ゆっくりで良い…一緒に歩こう…」
その赤い瞳を涙で潤ませたうずめさんが、何かを振り切るように俺の胸に飛び込んできた。途端に包まれた馨しき彼女の髪の薫りと、直に伝わる女性ならではな柔らかさと確かな弾力。俺はいつものように大慌てするでもなく、その華奢な背中や細い腰を、両腕で優しく抱きつつんだ。…尊い。
そう、今になって振り返れば、俺は誰かにこんなにも優しくなれたことがあっただろうか。こんなにも愛おしいとゆう思いを感じた事があっただろうか。今も俺の胸に顔を埋めるこの美女を俺は何を無くしても護りたい。いつ消え去るかも解らない彼女に、少しでも温かさや…想いを伝えよう。
「ぐす…。れお……大好き。うずめが成仏するまで…ずっと側にいて。そして来世でまた一緒になって、たくさんの子供たちにかこまれて暮らすの。毎日みんなで笑って、お腹いっぱいにご飯を食べて、みんなで眠るの…」
「ああ。ずっと側にいる。そして来世も、うずめが言うならそうなるよ。でもたくさんの子供たちに囲まれてってさ?まさかうずめが一人で産むつもりなのか?。それとも他所の子供たちを預かってあげるとかなのか?」
「え?。あ。うずめが産みたいの。レオがいいなら…5人は欲しいかな。あ。ホントは何人でもいいのよ?。…とにかくレオの赤ちゃんを産みたいだけ。昔のうずめには出来なかったことだから…来世こそは好きな人の子供を産んでみたいの。…もしかしたら母親になってみたいのかもだけど。」
「そうか。まぁ、うずめが良いんなら5人でも10人でも産んでくれ。その代わり俺は稼げるようになってやる。人間の世界は金次第だからな?。来世のうずめにも子供たちにも…俺みたいな不自由で窮屈な思いはさせたくない。…うずめ。俺もお前を愛してる。だかっ!?。ぐっ!胸が!?」
「れおっ!?。言霊が還されたの!?だから好きとか愛してるとか言わないでって言ったのにっ!。しっかりしてレオ!?。うずめを見てっ!。レオっ!?レオ!。ほら!うずめの眼を見るのっ!?。だめ!つれてかないでっ!。やっと見つけたのよっ!お願い!レオを連れて行かないでっ!。連れて行くならわたしも一緒に連れていきなさいっ!この卑怯者おっ!」
なんだ?。まるで錆びきった包丁の様に切れの悪い、とても熱い何かが、俺の心臓を貫いて行った。耐え難い激痛だけを残して、それは背中に抜けて行った。痛みで意識が保てない。そして息さえも入ってこない。まさかこのまま死ぬのか?。俺は18歳で、まだ粗末な人生しか送っていないのに俺は死ぬのか?。初めて出逢った心の拠り所を、うずめさんを残して俺は死ぬのか?。ダメだ。…駄目だ駄目だ駄目だっ!。俺はまだ死ねない!
傍にいると誓ったばかりだぞっ!…うずめさんに大好きだと告げられたばかりだぞっ!護ると決めたんだっ!。彼女を必ず成仏させてっ!次の世界でまた出逢うんだっ!。たとえこれが天寿だとしても俺は認めないっ!。まだ俺は!うずめさんに何もしてやれてないんだ!だから死にたくない!
俺は今まで、神にも佛にも祈ったことなんて無いけど…頼むよ神さま。お願いだよ佛さま。まだ俺を連れて行かないでくれ。来世を終えたらどんな罰でも受けるから…頼むよ。俺は今、うずめさんといたいんだ。うずめさんと一緒に色んな所に行って、色んなものを見て、旨い物をたくさん食べさせてあげたいんだ。こんな死に方なんてないよ。やっと出会えたのに。
しかし俺の想いと願いは神にも佛にも届かないらしい。突然闇が訪れた。
「…ん…お?。…生きてる?。へぇ…神も佛も居るもんなんだなぁ。…来年は初詣にでも行ってみる…か?。どこだよここ。…外だし、真夜中だし…」
俺が覚をましたのは、あの部屋ではなかった。群青と濃紺色と漆黒が混ざり競い合う様な星空の下だ。ゴツゴツと角の立った小石の敷き詰められた賽の河原にも似た寂しく荒れ果てた河川敷だった。素肌に刺しこむ寒風が吹きすさび、あまりにも殺伐とした灰と黒の暗い景色が心を蝕んでゆく。
「まさか死んだのか?俺。神に佛よ。さっきの言葉は撤回だ。初詣なんか絶対に行くもんか!お前ら!たった一人のいのちも助けられないなら何の価値も!…ん?。あそこにいるのは…うずめさん?。なんであんな所に…」
俺はその場に立ち上がって、白装束な彼女の佇む浮島を目指す。それは底の見えない大きな沼の真ん中に浮かぶ小さな島だった。歩を進め、尖った石を踏むたびに裸足の足の裏が傷んだ。皮膚を裂くような痛みの中、俺は小走りになってゆく。ざぶりと沼に入ると泥濘が足下を滑らせた。しかし浮島に立つ髪の長い女性の向こうに巨大な影が見える。それは赤く細い先端が二又な舌をチロチロと出しては引っ込めていた。そしてデカすぎる!
「うずめ!?。うずめだよな!?。…そこから降りろ!俺と来るんだ!。なんでそんな所にいるんだよ!?。眼の前に化け物が迫って来てるぞ!」
俺はそう叫びながら沼と浮島の中間にまで来ていた。そして白装束の彼女の前に、聳えるように鎌首を上げているその巨大な影が大蛇なのだと認識する。金色で大きな眼の瞳孔は、縦に切れ込む刃物の傷のように見えた。その眼が俺に向けられた刹那、浮島に佇んでいた髪の長い女性が俺に気づく。距離にして20メートルも無いのに沼底の泥濘に阻まれて進まない。
「レオ。ありがとう。…でも来てはダメ。…貴方まで呑まれれば輪廻は永遠に回らないわ。…何度目の転生になるか解らないけど、うずめは必ず…レオに会いに行くから。だから待っててね?。…ぐす。……大好きよ?」
「うすめっ!?諦めんなっ!。かならず助けるからっ!だから来いっ!。俺のことを本当に好きなら!俺を一人にすんじゃねぇ!。ここに来い!」
「……れお。うずめは…逃げだしたい。…こんな輪廻は…望んでないわ。…でも生贄が逃げれば必ず災いが起こるの。…だから…元の世界に戻って?」
「うるさい!。だったら俺と来いっ!。うずめ!お前が!お前だけが犠牲にならなくていいんだよっ!。世の中は因果応報だ!人の中に悪い奴らがいるから!そいつらのせいで化物が産まれるんだよ!お前はなんにも悪くないっ!。こんなに優しいお前が!なんでのほほんと生きている悪党たちの犠牲にならなきゃならねーんだよっ!。帰るぞうずめ!。俺と来い!」
俺は全力で叫んだ!。そして無理矢理に沼底から足を引き抜いては前進する!。肌を切る冷たい水ももう肩まで来ているが俺は構わず突き進んだ。あと5メートルとちょっと。絶対に渡りきって!彼女を連れて帰るんだ!
そうなってから、初めて大蛇が俺の方に向き直った。どうやら俺を敵だと認識したらしい。舌を出す回数が頻繁になった。ズルリと大きな尾を寄せて超巨大なとぐろを巻いてゆく。こんな爬虫類にうずめさんは渡さない!
俺はようやく浮島に登り着いた。未だ逃げようとしない髪の長いうずめさんを力尽くで胸に抱く。見上げた先に聳える大蛇はもはや龍のようだ。その巨体たるや小さなビルなら巻き抱えてしまうだろう。『シューッ!』と威嚇音を出しながら、横に大きく裂けた赤い口を薄っすらと開いていた。すうっと巨大な三角頭を後ろに引いていく。濃茶色な無数の鱗に鈍く艶を走らせながらのっそりと鎌首を高く持ち上げた。マズい!襲って来るっ!
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