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この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
周囲にいる虚霊は、静かに、俺とイロハ似の虚霊を見守っている気がした。
それは青い、どこまでも青い。
それはよくある事だ。雲ひとつない空は。
でも、今の状態は、イロハが見たら流石にびっくりだ。
なんせ、虚霊と普通に喋って、静かに地面に座ってんだからな。普通なら、ありえないはずだ。イロハも、「この世に未練を持ち、理性を失って人を襲う魂が虚霊」と言っていたから、
(例外として、人を精神的に追い詰めるために喋る虚霊にも出会ったことはあるが、ちゃんとした会話という会話はしていない。)
この目の前のイロハ似の虚霊がちゃんと人間らしい感情や、問いを持っているのが、今更ながらに疑問だ。
魂ではない何かなのか……?
その疑問は、一度、胸の奥に押し込める。さっきまでは喋っていたのだが、今は少し沈黙の時間のようだ。
虚霊は、 ぼーっと、空を見つめているだけ。
本当に、ただ、静かに。
そして、ふと、虚霊は口を開いたのだった。
なんの前触れもなく、主語のない会話を切り出した。
「初めてじゃないみたい。」
「え?」
いきなりそう言うんだから、思わず疑問の声を漏らしてしまった。
虚霊は、体育座りの体制のまま、自分の膝に顔を埋めて、ぐりぐりと擦り付けた。
ひとしきり、ぐりぐりした後、ばっ!と顔を上げると、今度は俺の目を見た。
「あなたと、会ったことがあるみたいに、感じる。名前も、呼んできた。」
「えっ?ーー。」
そりゃそうじゃない?と続けて言おうとしたところを、俺は堪えた。馬鹿だ馬鹿だ。あっぶない。
別の回答を、駒のように頭を回転させながら、考えた。
俺が会ったことがあるのは、肉体年齢16歳程のイロハ。一人で戦い、一人で過ごし、一人で全て抱える。
でも今、会って話しているのは、「小さなイロハの姿の虚霊」。全て失い、絶望し、世界の残酷さを知っていると同時に、純粋な女の子。
会ったことあるはずないだろ。
少しだけ、余裕のある大人のふりをした。
「未来の君が、いずれ出会うことになる少年、って言っておくか。」
「はぇ……?みらい?」
「そ、未来。」
「嘘……あなた未来人?」
呆気にとられているその表情が、実に子供らしくて無知純粋な顔だったから、自然と笑いが生まれた。
「あははっ、俺は今を生きてるよ。……多分君がーー」
言葉を詰まらせ、考える。
なんて言えば、納得してもらえるだろう。
「君が虚霊だから」なんて言ったらそれはもう、人生終了。虚霊はその事実に耐えられなくなってまた暴走を始めるかもしれない。
せっかくの落ち着いた雰囲気が、丸投げである。
この子は、イロハの幼い姿、さっき俺は自分を、「未来に出会う少年」と名乗った。今思えばちょっと恥ずかしいが、その言葉に寄せて言うのならば。
「過去が、君を離してくれないだけだ。」
言った途端、虚霊の表情が、強ばった。
まずい、気に触ったか?
すぐに謝ろうと、口を開きかけたら、
「わたし、大きなわたしはどんなの?」
「えぇ?」
そっちかー、と、子供の思考の読めなさに驚いて、急いで愛想笑いをした。
そんなの気にしないかのように、虚霊は続ける。
「ちゃんと戦えてるの?」
多分、彼女……イロハは、小さな頃からずっと戦うことばかりを教えられてきたのだろう。
だから一番に出る疑問が、「美人になってるか?」みたいな可愛いものじゃないのだろう。
「戦えてる。でも、ちょっと大変なことはあるよ。」
ちょっと大変なことーー、イロハが命を狙われる……なんて口が裂けても言えないが。
「あ、あとは、クレーンゲームの景品が取れないからって機械壊そうとする脳筋野郎だよ。」
「くれーんげーむ?のーきん?」
いつか分かるさ、とジョークを入れつつ、この先どうするかを考える。
このまま、倒さずにいてやりたい。
でも、イロハ似の虚霊だからって、退治せずに放っておいて、万一また暴走したらどうする?
そうしたら、俺はどうするべき?
「ねぇ。」
思考を、幼い声色が遮る。
せめて、今は、このこの気が済むまで話していようか……?
それで、いいのか。
「ねぇっ!」
「わっ……!」
初めて聞いた虚霊のほんのり大きな声に、ビクッと身体が飛び跳ねてしまった。
少し不満そうに目を細める虚霊は、今度は小さな声でこう言った。
「みらいのわたしは、どこにいる?」
「え、なんで?」
「会うの」
「会うの!?」
こくりと頷く虚霊。
「ちょっと、あなた声が大きい。」
「う……ごめんな。」
「んー……」と唸りながら、虚霊は拙い言葉遣いで、一生懸命に口を動かした。
「あの、みらいのわたしに、聞いてみるの。
あなたが、どんな人か。」
それは……俺も気になる…… いや、違う。
「聞いても、ちゃんと答えないんじゃない?」
内心、思ってもないことを、言った。会って欲しくない気持ちが、あったから。
「答えるわよ。わたしだもの。答えなかったら剣を交えて会話する。」
自信ありげに答え、剣を抜こうと剣の柄に手を伸ばす虚霊。
「うん、やめてあげようよ。」
脳筋なのは昔からかよ。
「へへっ……へへへ。」
「怖いよ。」
壊れた人形のような笑い声をだすその姿に、ほんのり霊みたいな気配も感じる。……見たい、じゃなくて霊なんだけどな。
「どこにいる?みらいのわたし。」
もう一度出たその疑問に、俺は曖昧に答えるしかできなかった。
「さぁ……ここにいるかもね。」
「教えたげる。あの”お人好し”とのこと。」
いつまで、この時間は続くのだろうか。
ずっとずっと、過去の自分を思い知らされ、打ちのめされて、息ができているはずなのに、ものすごく息がしにくい。
私は、もう元の場所にはーー。
そんな考えが頭をよぎった時、”わたし”が、私のでこに手を当てた。
その瞬間、目の前に、映画のような、妙にリアルな映像が、見え始めた。
……待って。
私はこの時、確信したのだ。
まだ知らない、忘れている記憶があることを、そして今、それを思い出しそうになっていること。
嫌……、もうこれ以上いいのに……!
そんな願いと裏腹、だんだん視界の端が霞んでいき、曖昧な、昔の景色が蘇ってきた。
炎の熱さなんて感じない。
ただ目の前にいる、「敵」を、わたしは排除しなければならない。
「気づかれたぞ……!逃げろ!」
「待って、……一緒に……」
数人、知らない顔の、黒い衣装を纏った者たちは、わたしのことを恐れているみたいだ。
がむしゃらに走って、逃れようとする人たちを、わたしの目は離さない。
真っ黒な格好をした人たちの顔は、良くは見えないけれど、この森の住人じゃない。
つまり、侵入者であり、もしかしたら、この森を壊した原因の一つでもあるかも。
尚更、逃がす訳には。
「逃げるな。」
わたしは跳躍して、まずひとりの男の背後に接近し、首元を掴んだ。
男は、瞳孔を猫のように細くして、地面に叩きつけられると、痛みに苦しむような声を上げた。
わたしはそんなの興味ない。
苦しもうが、勝手にここに入ってきたお前らが悪い。
「じゃあね。」
「う……っ!やめてーー!」
命乞いをする姿は、実に哀れで、阿呆らしかった。
うるさい言葉を、痛みで遮った。
「鎮魂剣・月煌、”三日月の涙”。」
技名を言った後、私は男の背中を三日月を描くように、斬り裂いた。
赤い涙が、静かに地面へ落ちていく。
男は、もう動かなかった。
まず、ひとり……。
あと何人?
「いーち、にぃ……さん……。」
声に出しながら、逃げ惑う影を数えてみると、残り七人ほどしか居ないことがわかった。
複数の人は、わたしから逃げる。もうわたしはちゃんとした理性のない生き物、怪物なのだろうか。
だってまるで、わたしを、怪物を見るような目で逃げていくもの。
「めんどくさい……まとめて……」
でも、ひとつ、異様なものがわたしの目に写った。
ひとりだけ、逃げようと動かない人……否、むしろ近づいてくる?
背丈は高い、わたしと比べ物にならない。
どうして近づいてくるわけ?
「ねぇ、あなた、どうしてこっちに来るの?」
返事は無い。ビクともしない。聞こえていないのか?
「ねぇ!……逃げたらどうなの?壊しちゃうわよ。」
内心、わたしは逃げないでいてくれて楽だと思っていた。
すぐに壊せるもの。でも、逃げない様子が不思議で仕方なくて、思ってもないことを口に出した。
すると、中性的な声が、返って来た。
「ダメだ。君は、身を滅ぼす気かい?」
「……は?」
予想斜め上の回答。
男だと思っていたけど、女なのか…?…にしては首は太く見える。
こいつは敵でしょ?そして、こいつにとっては、わたしは敵。
敵の心配をしてどうする?
「何よ……何しようがあんたには関係ない。それに、こんな状況を作り出したのはあなたたちじゃないの?」
「ああ。僕たちのせいだ。」
「じゃあ、やっぱりわたしは、あんたも含めてみんな殺さないといけない。」
一拍。
「できる?」
優しく、吐息混じりの声は、炎に水を注ぐように、冷たかった。
こいつ、なんなの?
「……舐めないでよ。」
「舐めてないさ。ただ、君はまだ、すべて捨てたわけじゃないだろう?」
声が、何かを抑えているように感じた。ぎり……と歯を軋ませながら、相手は続ける。
「僕は、本当はこんなことしたくない。
さっきから死んだ子たちの死体が、自分の息子のようで、吐き気がするんだ……!」
胸元を抑えながら、相手は首を振る。
こんなことしたくない……?なら、誰か救って見せてよ。
「……安心しな……君のお友達ひとりは、ギリギリのところで助けたさ。」
「……とも……だち……?」
本当に、助けたっていうの?
でも友達って、誰のことを言っているの?
フユリ……?いや、嘘だ、わたし助けられなかったのよ?
これは敵の罠だ。安心させたところで、わたしを先に壊す気だ。
「うそ、つかないでよ」
「ついてない。」
「お前の言うことなんて、信じられない。」
「聞いてくれ。」
そう要求する声は、ふるふると震えている。
なんだ、ちょっと変わった人だと思ったら、あなたも、わたしが怖いの?
結局、そうなの?
「聞かない。」
聞きたくない。
わたしが救えなかったものを、お前が救ったなんて、
敵が、救ったなんて。
赦せない。
「壊れちゃえ。お前なんてーー!」
一歩踏み出して、剣を振ろうとする。
目の前のこいつの首を、跳ねようと、した。
だけど。
「ーーっ!」
ふわりと、相手の髪がなびいた瞬間、目の前から、
消えていた。
報告もなく、ただ、急に。
え……。
うそ、うそうそうそ。
どこ行ったの?逃げた?そんなわけないよね?
わたし、あのうそつきだけは、絶対壊したいのに。
足を止め、立ち止まった。剣を振るのもやめた。
いまは、あいつがどこにーー。
「ごめんね。」
背後から声。
さっきのあいつの声。
しくじったーー!
剣を構えて振り返ろうとする頃には、わたしは思いっきり背中を蹴られていた。
「がぁ……!!」
痛い。神経をかき乱す衝撃。
わたしを、壊すような……。
初めてだ。この戦いでこんな攻撃を受けたのは。
「危機察知能力が鈍ってるね。
こんな在り来りな攻撃、君なら避けられるはず。 」
相手はわたしの首を抑えて、身動きを封じる。
完全に、やられた。
「離して……!」
「このまま壊したら、君はきっと後悔する!僕は君に後悔して欲しくないんだ!
……だから、ごめんね。」
相手は、またそうやって謝ると、わたしのでこに人差し指を添えた。
……何する気?
「あんたなんかに、やられるわけにはーー!」
「大丈夫、殺したりしない。……一度、落ち着きなさい。」
顔は被り物のせいでよく見えない。
でも、隙間から見える瞳が、静かな夜空みたいで、どことなくお母様の雰囲気を感じた。
相手の指が、ほんの一瞬、ためらうように止まった。
「忘れて。」
刹那、私の全身を、謎の感覚が襲った。
頭の中を、全部のぞき込まれているような、気色悪い感覚が、背中を伝う。
……なに、これ。
視界がぼやける。
音が遠ざかる。
感覚も、徐々に消えていく。
待って……待って……。
「はっ、 離して……!わたしは……わたしは!」
わたしは……。
……。
あ、れ?
何を……しようとしてたんだ?
赦せない。
でも、どうして赦せないの?
わたしは、たしか……。
「……それで、いい。忘れて。一度忘れて。でも。」
意識が遠ざかっていく。
待って……ここで気を失ったら……。
視界がもう、ほとんど見えない。
音も遠ざかった時、最後に、相手の声が、聞こえた。
「これは応急処置に過ぎない。いつかまた思い出す。
その時は……受け入れて、前を向きなさい。
僕の状況によっては、また、会えるかもね。」
最後に聞いた声は、穏やかな声だった。
でも同時に、未来に怯えるような、そんな声でもあった。
何に、怯えていたのかは、分からない。
そして、そこで私の意識は、完全に途絶えた。
次に目が覚めた時は、もう既に朝が来ていて、
あまりにも綺麗な日光に照らされ。
私は、何も知らないまま、誰もいない森を後にして、いくつもの場所を、転々とする。
ただ何かを求めるように、途方のない旅を始めたのだった。
「思い出した?」
目を開けると、元の水中の景色に戻っていた。
目の前には、”わたし”、私の、罪の形が、哀れむように私を見ている。
「……これで、全部だよ。あんたの忘れた記憶は。」
「…………私。」
言葉が詰まった。
あの記憶にでてきた人は誰?
あの人は敵なのに、どうして私を生かした?
私はあの人を殺そうとしたのに、どうしてーー。
「あんたを守ろうとしたの。」
「え?」
「あのお人好しは、あんたに同情して、自分に罪悪感を感じて、罪滅ぼしの代わりにあんたを守ったの。
でも……そのせいで。」
「人としての、権限を失ったって言うの?」
それは、死ぬよりも残酷な罰だったのかもしれない。
”わたし”は小さく頷いた。
真剣に、私を見つめる。
何も、言わない。
私の……ために。
『ーー僕の状況によっては、また、会えるかもね。』
会えるの?
でも、もう何百年も経っている、今さら会えるなんてこと、無い。
あの人は、名は何と言うのだろう。
さすがに、もう死んでいるだろうか。
「確かめて、みたら?」
「……?」
「また、会えるかもしれないわ。
……知らないけど。」
”わたし”は、私に近づいてくる。そして、手を、私の顔に寄せる。
……また、なにかされる。
そう思って、身体が、勝手にこわばった。
私は手で顔を覆った。
でも、聞こえたのは、怒鳴り声でもない、笑い声だった。
「ふふっ、あはは!びっくりしすぎ!
もう大丈夫よ、何もしないわ。」
言って、私の肩にぽんっと、両手を置いた。
その目は、逃がさないというより、
逃げさせないと決めた目だった。
私もその視線に、吸い寄せられる様に、目が離せなかった。
「……いい?消えたいなんて思うのは、誰だってあること。別にいいのよ、いくら思ったって本当に消えなかったら。思うだけなら。
でも、本当に消えようとはするな。絶望に駆られて壊れようとするな。」
「……」
「消えるなら、せめてーー 」
そこで言葉をとめた。
私の頬に、冷たい指先を、預けてから、十秒ほど、黙り込んだ。
覚悟がいる言葉を、簡単には言えない。
それを、今、少し思った。
そして、ようやく重たい口を、開いた。
「何かを守って、庇ってから消えて。」
「……!」
「思い出した記憶を、もう二度と忘れずに、前を向いて、辛い人の話もちゃんと聞いてあげて。
そうすれば、赦されることはなくても、罪を滅ぼすくらいにはなる。
……できるなら。」
何かを、守る。
話を聞いて、罪を忘れずに生きる。
それが、少しだけの贖罪。
守る資格は、あるだろうか。
守りたい人。
それは、いる。
失いたくない人。
知らないことを教えてくれる、少し不器用な少年。
私の……相棒、友達。
「レン……」
声を漏らしたら、”わたし”は、幸せそうに笑った。
あどけない、無垢な笑み。
今まで見た笑みとは、全く違う。
「……うん。レンを守ったげて。
あの子は、すごく、大変な状況だから。
あの子もいずれ、人としての権限を失ってしまいかねない。」
「え」
「……分かったら、戻るのよ!」
”わたし”は、乱暴に私の腕を掴むと、そのまま天高い地上へと、投げ飛ばした。
捻られるような腕のジンジンとした痛み。
突然投げ飛ばされた衝撃が、思考が追いつかないまま、身体だけが空を裂いた。
「ちょ……!」
「いけ!レンは今、森にいる!捜しなさい!」
どんどん地上に吸い上げられるような感覚が、
暖かい感覚へと変わっていく。
日光の温かさ。
背後を振り返ると、日光が水中を突き破って、照らしていた。
これで、”わたし”とはお別れ。
けれど、心にいつでもいる。姿が、見えないだけ。
最後に、私……否、わたしは、こう言い放った。
「もう忘れない、絶対!
守ってみせるわ、レンを!
守れなかった人たちの代わりに、レンだけは死んでも助ける!」
最後に見た”わたし”は、やっと楽になったような、これほどない幸せな笑みを浮かべていた。
その笑みを見た後、わたしは、「懺悔の湖」から、ようやく、陸に戻ることが出来たのだった。
陸に上がって最初に見たのは、熱すぎる太陽だった。
メラメラとわたしを照らして、肌が焼けるように熱くて、息が少し苦しい。
ああ、戻ってきたのだと分かった。
陸に上がって、立ち尽くす。
なんだか、すごく身体が軽い。
水に濡れて、毛先から雫は落ち、服が濡れて重いはずなのに。
すごく、清々しい。軽い。
そして、空は、青い。
ものすごく。
いつもなら、「快晴だな」と思うだけなのに、今日は、太陽が放つ白い光と空のふたつが合わさっている、なんとも言えない美しさに見とれていた。
「……ははっ。」
勝手に微笑んでしまう。
それだけ、今は心地がいいのだ。
でも、大事なことを忘れてはダメだ。
このまま見つめていたいが、そろそろレンを捜しに行こうじゃないか。
レンはわたしを見て何と言うのかな。
過去のわたしを、受け入れてくれるかな。
受け入れなくてもいい、嫌われてもいいわ。
嫌われても、陰で守ることは出来るもの。
わたしは、森の奥へと足を踏み出した。
「ねぇ、どこに行くの!?痛いんだけど!」
俺はぎゃーぎゃー騒ぎながら、虚霊にさせるがままについて行く。
幼いイロハ姿の虚霊は、ずんずんと突き進んでいく。
迷いもなく、ただひたすら。
「みらいのわたしなら、きっと分かるよ。」
「は?」
俺の疑問の声には答えずに、もっと速度を上げて歩いていく。
そして、後ろには、虚霊の大行列があるのだ。
虚霊イロハについて行ってるんだろうけど、傍から見れば恐怖映像にしか見えない。
カオスだ。カオス。
「みらいのわたしに聞くって言ったでしょ?
あなたがどんな人か!」
「そんなの聞いてどうするんだ?」
「それによっては安心できる。」
それを聞いて、胸の奥が少しだけざわついた。
安心できる、って……俺を知って?
「ねぇ。」
「ん?」
「みらいのわたしは、あなたと仲良し?」
足を止めることはせずに前を向いたまま、母音の強い声で尋ねてくる。
俺は、すぐには答えられなかった。
彼女は、俺をどう思っているのだろう。
俺のことを守ってくれるし、たまに距離感バグるし、俺に気があるんじゃないかって、そんな馬鹿な考えが浮かんでくる。
でも、大事なことは教えてくれなくて、重要なことはひとりで抱えるもんだから、信用されていないのかもしれない。
仲が、いいと言えるだろうか。
「……」
何かを察したのか、虚霊は黙り込んだ。
五秒くらい黙って、俺を励ますように、こう言った。
「もし、みらいのわたしと、距離があるように感じたら、それはきっとあなたのためを思ってるからよ。」
「っ……」
「わたしは、あまり人に心配させたくないもの。
近づきすぎると、守れなくなる気がするの。
いや……守れなかった時の、心が締め付けられる感覚を、感じたくないから。」
「……そうなのか。」
虚霊は、「んー、」と考える声を漏らして、少し楽しそうに続けた。
「みらいのわたしが、どんなのかは知らないから、こうだって言い張ることは出来ないけれど。わたしは……ーー。」
何かを言おうとしたのだろう、でも、言葉は詰まって、後に続く言葉は分からない。
きっと、聞かない方がこの子のためだ。
「……ううん、ありがとね。」
そう言って、この子の言葉を、聞かないことにした。
虚霊の優しさが、心に染みて、ぽかぽかしてきた。
だが、その温かみは焦りにすぐ置き換えられるのだった。
戸惑いもなく歩いた矢先、 虚霊イロハは、急に足を止めた。
勢いよく引っ張られていた俺は、つんのめりそうになって、慌てて踏ん張る。
「……?」
声をかけようとした、その前に。
「……いた。」
小さく、でも確かな声。
虚霊の視線の先を追って、俺も前を見る。
木々の隙間。
差し込む日差しの向こう側に 人影があった。
濡れた髪。
まだ乾ききっていない服。
なぜ濡れているのかは、謎だが、それは後にしておこう。
そして。
その横顔を見た瞬間、胸が、嫌なほど強く跳ねた。
エメラルドの瞳と長いまつ毛が、今日ばかりは一層綺麗に見える。
「……イロ、ハ……?」
呼んだ声は、ひどく掠れて、強ばっていた。
何怖がっているんだ。
聞こえたのかどうか。
その人影は、ゆっくりと、こちらを振り向く。
一瞬、目が合った。
驚いたように見開かれて、
それから、 ほんの少し、困ったように笑った。
その笑顔を見た瞬間、虚霊イロハが、俺の手を離した。
「……あ。」
声にならない声。
幼い虚霊は、一歩下がって、 その場で、じっと立ち尽くす。
珍しいものを、見るような目で。
「……あれが、みらいのわたし。」
そう言って、どこか誇らしそうに、でも少し寂しそうに微笑んだ。
俺は、何も言えなかった。
言葉なんて、追いつくわけがなかった。
ただ。
――ちゃんと、ここにいた。
それだけで、胸がいっぱいになって。
風が吹いて、木々がざわめく。
虚霊たちは、誰からともなく、その場に留まり、静かに見守っていた。
まるで、この再会が、
壊してはいけないものだと知っているみたいに。
イロハは、笑っていたが、何か問題を見つけたのだろう、表情を引き締めた。
視線が、俺の向こう――
いや、俺の横を捉えている。
「……逃げなさい。」
低く、はっきりした声だった。
いつも聞かないような、はっきりとした声色が、少し珍しい。
俺は反射的に振り返る。
そこには、さっきまで俺の手を引いていた、幼いイロハの姿。
虚霊たちは、ざわりと揺れた。
まるで、その一言が、世界のルールを思い出させたみたいに。
「早く。」
イロハは剣に手を掛ける。
迷いはない。虚霊を斬るための、いつもの動作。
敵を、消す動作。
でも、そんな空気は、なにかが壊した。
「……どうして?」
幼い声が、そう問いかけた。
鋭くも、脅しでもない。
ただ、人間みたいな声だった。
どうして、自分から離れようとするのか、わかっていないようだ。
「わたし、やっぱり怖い?」
その瞬間。
イロハの指が、止まった。
剣を抜こうとしていた手が、僅かに震える。
「ああ……」
吐息のような声が、零れた。
「……これは。」
虚霊を見るその瞳が、ほんの一瞬だけ、柔らぐ。
敵を見る目じゃない。
まして、化け物を見る目でもない。
「……あなた、まだ――」
言葉を選ぶように、間を置いてから。
「……ひとりで、泣いてるのね。」
幼い虚霊は、きょとんと目を瞬かせた。
「……こわくない?」
「……うん。」
イロハは、ゆっくりと剣から手を離した。
警戒を解いたわけじゃない。
でも、壊す気もない。
その中間。
「大丈夫。」
今度は、さっきより少し低く、でも確かに優しい声だった。
「怖くないわ。だって、自分よ?自分のことが怖いなんて、あると思う?」
虚霊は、不思議そうに首を傾げて、
それから、小さく笑った。
「……やさしいね。みらいのわたし。」
イロハは、何も答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ、目を伏せて――
昔の自分を、受け入れるみたいに、静かに息を吐いた。
俺は、少し空気が違うように感じた。
いつものイロハは、硬っ苦しい敬語を使っていたはずなのに、今は敬語を使っていない。
それに、全体的に表情が柔らかくなったと思う。
……この俺と会ってない数日の間に、一体何があったんだ?
イロハは虚霊の目線に合わせるように、しゃがみ込んだ。
毛先から水が滴り、服も濡れているから、寒そうに見えるのに、表情には一切現れてーー。
「くしゅ……っ」
と、思ったら、手を押えてくしゃみをした。
ああ、なんだ、やっぱり寒いのか。
虚霊はきょとんとしたあと、「大丈夫?」と尋ね、イロハは「あ、失礼しました。」と小さくお辞儀をする。
……んん?
イロハ、少し空気が違うどころか、別人のように見える。
俺だけ、置いてかれている気がする。
あとで、詳しく聞くしかない。
「ねぇ。みらいのわたし。質問してもいい?」
「……ええ。いいわよ。」
イロハは、目を細め、口角を大きく上げた。
でも、眉だけは、小さく下がっていて、感情がいまいち読み取りにくい。
虚霊は、俺を指さしながら、言った。
「みらいのわたしにとって、あの人はどんな人?」
「あ……。」
イロハは、小さく目を見開いた。
だが、すぐに笑みを零して、立ち上がった。
意地悪なお嬢様のような、そんな笑み。
「あら、人のことを指さすなんて、失礼よ。
あと、名は篠塚レンよ。」
「しの、ずか……。」
「そう。レンは、わたしにとってーー」
そこからは、俺はいくつか言葉を予測した。
「ただ一緒にいるだけ」
「何故か構ってくる人」
「よく分からない」
よく分からないと言われてしまうのが、一番心に響く。
ああ、どう、思っているのだろうか。
でも、イロハから発せられた言葉は、これらと全く違う、驚くものだった。
「守るべき人。」
「え?」
え?と声を発したのは虚霊ではない、俺だ。
予想を遥か上を行く回答に、あっけらかんと口を開いてしまった。
イロハは、それに気づきもしないで、続ける。
「わたしにとって、レンは”最後に守れる人”。
今まで誰もちゃんと救えなかったし、守れなかった。 でも、もうそれは嫌なの。
何も守れないまま消えるのは、 真っ平ごめんよ。
最後に消えるなら、レンを守って、幸せにした後。
レンは、わたしにとっての”生きる意味”であり、
”消える理由”でもある。」
脳が、理解を拒んでいるようだ。
言葉は聞き取ったし、意味も分かるはずなのに。
でも、受け止めようとしない自分がいるのだ。
食道がつっかえて、呑み込もうとしても飲み込めない。
イロハ……君は、何を考えているんだ。
俺を守ってどうする?俺を守って、何になるのだろうか?
俺が、イロハの生きる意味であり、消える理由。
そんなの俺は、受け止めたくない。俺のせいで、消えるってことだろう?
それは、過去と同じじゃないか。何も変わりないじゃないか。
俺だってイロハを守りたい。絶対に、守りたい。
イロハも、俺を守りたい。
あまりにすれ違ってないか?
どうしたら……。
「そっか。」
虚霊のその声が、俺を現実に戻した。
虚霊は、笑っていた。嬉しそうに、無邪気に。
「ちゃんと、意味があるのね……これから生きる意味も、守れる人が、まだいる……」
「ええ、だから、あなたはもう眠っていいわ。
もう、あの地獄はとっくに終わった。今は、違う。」
虚霊は、目を瞑って、頷いた。
納得したように、もう、何も無いように。
「もう、監視しなくていいの。」
それはイロハに対する問じゃなく、虚霊が自分に語りかけるようだった。
目を開けて、はにかんだ。
「ありがとう、教えてくれて。」
すると、虚霊は。
小さな光の粒子を、零し始めた。
身体は透け、真っ黒な見た目は、綺麗な硝子のように繊細な純白と変化していく。
背後にいる虚霊たちも、同じように、だんだん透けて、やがて、ろうそくの火のように、静かに一体ずつ消えていく。
イロハ似の虚霊も、下半身は完全に消え、顔ももう消えかけていた。
イロハは、その光景を、哀れむように、見ながら、
最後にこう言った。
「さよなら、また会おう。過去のわたし。
……いや、”月見の森”。」
そう言い終わった頃には、もう、虚霊はいなかった。
跡形もなく、消えたのだ。
空は、変わらず青かった。
先程までのことを、見ていなかったように。
あまりに、残酷な熱さを持ち合わせていた。
「ねぇ、レン。」
イロハは、もうさっきの光景を忘れたように、俺にそう話しかけるのだった。
いや、待て待て。
「その前に、俺が尋ねていい?」
「いいわよ。」
「イロハ、お前どうした?」
ついに聞けた。ついに聞けた。
もうここからは、勢いに任せて俺の口は止まらなかった。
イロハが、首を傾げるのも無視して。
「なんで濡れてるんだ!?今までどこにいた!?
で、見つけたと思ったらちょっと変わってるし……!」
イロハは、パシパシと瞬きをいくつかした後。
「……ふ、ははは、あはははっ!」
俺が可笑しい、というように、思い切り笑い声をあげるのだった。
いつものイロハじゃない。いつもはちょっと微笑むだけの「無」そのものだが、今日は違う。
俺の頭のネジが、外れそうだ。
?……???
「レーン?」
「え……誰?」
「イロハよ。」
呆れるようなため息をついた後、イロハはざっくりと説明してくれた。
「何者かに湖に落とされて、それで濡れちゃったの。
その湖は、”懺悔の湖”と言って、過去の罪を向か合わされる湖。
そこで、思い出した。過去を、忘れていたものを。」
「え……?」
「全部ね。」
彼女は、ざっくり言うと、くるくると舞い始めた。踊り子のように動きながら、まだまだ話し続ける。
「ところでさっきの虚霊たちは、レンを襲ったりした?……いや、その傷見る限りされたみたいね」
その傷、というのは俺の肩の傷と、手の甲の傷だろう。
うわ、なんか言われたら痛くなってきた、 この現象なに?
「でも、途中から攻撃してこなかったんじゃないかしら?さっきの様子を見ると、とても凶暴そうには見えなかったし。……あれはただの虚霊じゃない。」
イロハは舞うのも止めずに、喋るのも止めずに、延々続けている。
くるりくるり、服がなびき、水滴が周りに飛ぶ。
そして、また口を開く。
「あれは、この森の”記憶”。この森であったことが、具現化したもの。
だからわたしの姿をしていた。他の虚霊は、この森で死んだ子供。親と離れて不安だった。だからずっとわたしの姿の虚霊についてきていた。
多分、わたしが懺悔の湖に落ちたから、あんな人の温度を持った会話ができたのかも。
……知らないけれど。……レン?」
そんな話ばかりするもんだから、俺の頭のネジはつい外れてしまった。
もちろんひとつじゃない。5個くらい。
今日のイロハの変な空気は、記憶を取り戻したことによるのはわかった。
だがそれにしては、多弁になりすぎやしないか?
なんか凄い探偵っぽいこと言ってるんだけど……。
「今の話、わかった?」
「……よく、わかんないわ。」
「あ、そう。」
俺に伝わらなかったことが不満だったのか、舞うのをやめた。止めて、俺の方へと一歩近づく。
「……?」
少し硬い表情、でも、すぐに柔らかくなった。
目を細め、ニタリ、とした笑みを浮かべ、息を吸う。
本当に、別人のようだ。
記憶を取り戻したとか、それを含んでも、イロハのそっくりさんとしか、思えない。
「……わたしは、レンを守るわ。」
俺の肩を持ち、そう呟く。
すると、同時に傷の痛みが引いていく。ゆっくり、優しい暖かさが、全身を包む。
イロハが、治癒能力を使ってくれたのだろう。
「わたしは今日から、あなたを守る為だけに生きる。
いつも”守らないと”と思っていた。でももう、そんな生半可な気持ちじゃない。
わたしはあなたのためなら、喜んで命を捧げるわ。死んでみせるわ。」
「っ……!!」
その眼差しが、あまりにも真剣で、鋭くて。
さっき話していたことが、本当なんだ、冗談じゃないんだと、身体がそう感じる。
背筋が、凍る。
「……マジで、言ってんのか?」
「ええ。二言は無い。」
「そんなの、俺が、……嫌に決まって……」
勝手に命かけるとか決めやがって、もっとちゃんと話してからにしてくれよ。俺は無関係じゃないのに。
イロハがどう命を扱おうが、俺が言えることじゃない。どういう人生送るかは、自分で決めるものだからだ。
でも、俺のために死ぬなんて、それは。
「真っ平ごめんだな!」
「あ……。」
「いいか!?俺はそんな弱くないからな!
俺は守られたくない!自分は自分で守る!守られるなんて嫌なんだ!それで誰かが傷つくのが一番!嫌なんだ!」
イロハは、動かなくなった。目を見開いて、俺の方を持ったまま、瞬きもせず、呼吸もせず。
ただ、驚いた、そんな顔。
やばい、我慢できなくてつい熱くなってしまった。
困らせてしまった。……どうしよう。
俺は目を伏せ、イロハの手首を掴んで、振りほどこうとした。
「ごめん……その。」
どうすれば、いいんだろう。
すると、俺の肩を掴む手に、力が加えられた。
「いっ……!」
ジンジンする、骨が、潰れそう。
焦って目を見ると、イロハは、 視線を一定に留めたり、泳がせたり、
「はぁ」と大きくて、大袈裟に聞こえるため息を吐いたり。
そして、「あ」と声を漏らすと、余計に俺の肩に力が加えられた。
「いいこと思いついたわ」
「いいこと思いつく前にその馬鹿力どうにかして!!」
肩の関節外れる、やばい。終わる。押しつぶされる!
「あ、ごめんなさい。」
ぱっ、と手を離して貰ったので、どうにか肩は無事だったが、痛みの余韻はまだ残る。ジーン、ジーンと。
「このばか……加減を知れ。」
「ふふっ!」
笑ってるんじゃねぇよ、痛えんだよ。
何、面白そうにしてるんだ、こっちは真面目に骨が潰れないか悩んだんだぞ!
「それより」
「それよりじゃねぇよ……」
イロハは悪戯に口角を上げると、「耳を貸して」
と言ったから、俺はイロハの身長に合わせて少ししゃがんだ。
そして、イロハは俺の耳元に近づくと、
こういったのだった。
「ーー勝負、しましょ。」
「……」
え?
第十九の月夜「悪い奴らには毒があり」へ続く。