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リフェアリー
128
甲府には、市があった。
駅前の広場。大剥離の前は、イベントか何かに使われていた場所だ。そこに、百を超える露店が、勝手に並んでいた。誰が許可したわけでもない。人が集まり、物が集まり、市になった。
「市だ」要は、広場の入口で、思わず言った。
相模湖の空き地とは、規模が違った。米、野菜、肉、魚、薬、燃料、工具、衣類、本。売っているのは、甲府の人間だけではない。長野から来た者、静岡から来た者、東京から逃げてきた者。顔も知らない相手同士が、物を並べ、物を見比べ、交換している。
値段も、あった。
米一キロ、卵十二個。薬一箱、米三キロ。ガソリン一リットル、米二キロ。
紙の値札ではない。口で言う。昨日の相場を、誰かが覚えていて、それを言う。相場は、朝と夕方で違った。
「金が、できてる」瑠衣が言った。
「できてない」要は言った。「米が、金の代わりをしてる」
米本位制。要は、頭の中でそう呼んだ。誰も決めていない。誰も決めていないのに、全員が、米で値段を言っている。米は、腐りにくく、分けやすく、誰もが欲しがる。だから、米が、記号になった。
記号は、生まれる。誰かが作らなくても、必要があれば、自然に。
要は、それを美しいと思った。
そして、三十分後に、その美しさの裏側を見た。
悲鳴は、広場の奥から聞こえた。
人垣ができていた。要が割って入ると、男が倒れていた。腹を押さえている。指の間から、血が出ていた。
「刺された」誰かが言った。
「何があった」
「あいつ、米を先に渡して、薬を受け取る前に、相手が逃げた。追いかけて、掴んだら」
刺された男は、要の足元で、息をしていた。顔が白かった。
周りの人間は、誰も動かなかった。助けなかったのではない。どうすればいいか、わからなかったのだ。病院は、ない。救急車は、来ない。刺した男は、もう人混みの中だった。
つむぎが、男の横にしゃがんだ。顔を見た。それから、人垣を見渡した。
「刺した人の顔、見た人は」
誰も、答えなかった。
「私は、見てない。でも、この人が、さっき取引してた相手なら、この広場の入口で、三十分前に、私の前を通った。背が高くて、灰色の帽子。右の眉に、傷」
人垣が、ざわついた。
「……そいつだ」刺された男が、掠れた声で言った。「灰色の、帽子」
要は、立ち上がった。
広場を見渡した。百を超える露店。顔も知らない相手同士。米で値段がつき、物が動き、市ができている。
そして、刺される。
「要さん」つむぎが言った。
「わかってる」
要は、わかっていた。この市には、価格がある。取引がある。でも、記録がない。
誰が、約束を守ったか。誰が、約束を破ったか。誰が、米を先に渡して逃げられたか。誰が、逃げたか。何も、記録されていない。だから、灰色の帽子の男は、明日、また、この広場に来られる。別の相手に、同じことができる。
相模湖の空き地では、割符があった。小さな集落だから、顔も、覚えられた。
甲府は、大きすぎた。顔を覚えるには、人が多すぎる。割符を割るには、相手を信じる最低限の根拠が、何もない。
ここに足りないのは、金ではない。価格でもない。
「評判だ」要は言った。
「評判?」
「誰が、約束を守る人間か。この広場の誰も、それを知らない。だから、騙せる。騙しても、明日も来られる。評判がないから」
刺された男が、運ばれていった。誰かが、戸板を持ってきた。市は、何事もなかったように、再開した。
要は、広場の中央に立っていた。
市は、信用なしでも生まれる。でも、信用なしでは、刺される。
「要さん。これ、何とかできる?」
要は、答えなかった。できるかどうかは、わからなかった。
でも、頭の中には、もう、形があった。
商店街の三冊。八王子の顔。相模湖の割符。それを、この広場の、入口に置く。
「できるかどうか、やってみる」
(第15話「評判台帳」へ続く)
コメント
1件
いやあ、第14話めっちゃ良かったわ…!「米が金の代わりをしてる」って気づく要、カッコよすぎる。でもその美しさの裏で刺される現実、そして「足りないのは金じゃなくて評判」って着地。商店街・八王子・相模湖の経験が全部ここに繋がる伏線回収っぽくて震えた。次回「評判台帳」、めちゃくちゃ楽しみ🔥