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未来に送ってもらった蓮は、部屋のソファに座り、渚を待っていた。
雑誌のページをめくっていたが、いろいろとよそ事を考えてしまう。
課長代理とのことを渚に話してしまったこと。
そして、和博が、未来が言っていたこと。
『蓮、愛ですべては乗り越えられないよ』
そんなことはわかってる。
でも、今更、渚さんから離れるなんて出来ない。
そんなことを考えながら、肘掛に頭を乗せ、目を閉じた。
『今までの過去も思い出も、秋津に生まれた責任も、全部捨てて出ていけるの?』
……いかん。
走馬灯のように子供時代のことから思い浮かぶな。
死ぬ気か? と自分で自分に突っ込んだとき、チャイムが鳴った。
「はっ、はいはいはいっ」
と蓮は慌てて玄関に出る。
開けるとすぐに、
「いい加減、鍵寄越せ」
と渚が言ってくる。
その顔を見て、ほっとしながら、
「いいですよ」
と言った直後に、
「いやっ、駄目ですっ」
と叫んでしまう。
「……なんでだ?」
と渚が胡散臭そうにこちらを見た。
「それはあれか?
他の男を連れ込んでるときに、俺が来たら、まずいって言う……」
靴を脱ぎながら、そんなことを言う渚に、
「なに莫迦なこと言ってるんですか。
ダラッとしてるときに、いきなり入ってこられたら恥ずかしいからですよ」
と言うと、
「お前がダラッとしてないときがあったか?」
と大真面目に訊いてくる。
「……あのー、これでも、渚さんが来ると緊張してるんですけど」
そう訴えてみたが、
「しなくていいだろ、緊張。
結婚したら、ずっと居るんだし。
俺は緊張してないぞ」
と言ってくる。
……してなさそうですね、とちょっと寂しく思っていると、渚は、いきなり蓮を抱き上げた。
「緊張はしないな。
ただ嬉しいだけだ。
お前の顔を見てられるのが」
顔近い、顔近いですっ、と赤くなって遠ざかろうとすると、
「お前はいつまでも初々しいな」
と言って、渚は笑う。
ん?
ちょっと引っかかるな、と思った。
「お前はってなんですか。
お前はって。
やっぱり、私が初めてなんて嘘じゃないですか。
私の前に誰か居たんですよねっ?」
抱きかかえられたまま、運ばれながらも文句を言ってみた。
「居てもいいじゃないか。
お前も居たんだろ。
その課長代理とやらが」
いや、名前は言うな、と渚は何故か笑顔のまま言ってくる。
「和博にも誰にも言わないように言ってある。
詳しく知ったら、殺しに行きそうだから」
いや、落ち着いてください、大魔王様。
「あの、別に私は課長代理とはなにも関係ないですからね」
「でも、罵られたら、傷つくくらい信頼してたんだろうが。
俺はそれだけでも許せないが?」
「えーと。
信頼という意味でなら、未来とかだって、同じかそれ以上に信頼してますけど」
と言うと、
「じゃあ、未来も殺そう」
と笑ったまま渚は言ってきた。
すみません。
あの、正気に返ってください……。
やはり、課長代理のことは黙っておくべきだったか、と思う。
痛くもない腹を探られても、なにも出てはこないのだが。
「未来もそのうち、お前に似合うような大人になる。
和博だって、ちょっと性格を矯正すれば悪くない」
いや、ちょっとじゃすまない気がするんだが……。
私より、渚さんの方が和博さんの評価高いな、と思った。
「脇田はあのままで怖いし。
石井奏汰も一見、爽やかなだけに要注意だ。
……お前は俺を大量殺人犯にする気か」
と睨んでくる。
「別に殺さなくても」
はは、と笑って話題を変えようとしたが、渚は、
「いや、俺は隣のご主人さえ、息の根を止めたくなるぞ」
と言ってくる。
「なんか人が良さそうで感じがいいし。
この俺がそう思うんだから、お前なら、もっと思うだろう。
朝、お前が、部屋着にすっぴんのあられもない姿でゴミを捨てに行くところとか目撃するかもしれん。
俺以外の奴が、そんな姿を見て、だらしないくらい無防備で可愛いなとか思うとか」
許せない、と言う。
「すみません。
誰がだらしないんですか……。
っていうか、だらしないんでしょ? その私。
貴方以外、誰も可愛いなんて思わないですよっ」
はれて、寝ぼけたような顔を、付き合い始めの彼氏以外、誰が可愛いと思ってくれると言うんだ、と思った。
「まあな。
お前のみっともない姿を見て、可愛いと思うのは俺だけかもしれないな。
他の奴なら、100年の恋も冷めるに違いない」
「……渚さん、親しき仲にも礼儀ありって言葉を知っていますか?」
部屋のドアを開けるときに落ちかけた蓮の身体を抱えなおしながら、渚は言う。
「だが、俺のことも褒めちぎってくれるのは、お前だけだ」
「そ、そんなことないですっ。
渚さんは、誰か見ても格好いいですっ」
誰かが盗聴でもしていたら、もう勝手にやって、とヘッドフォンを投げ捨てるところだろうな、と自分の中の冷静な部分が思っていた。
渚は蓮をポイッとベッドに投げて捨てて、言う。
「まあ、待て。
今日はいいものを買ってきたんだ」
「いいもの?」
「お前を尋問しようと思って」
とそう言えば持っていた紙袋から、なにかをゴソゴソ出してくる。
「嘘発見器と手錠だ。
どっちがいい?」
と明らかにオモチャな感じの嘘発見器の箱と、手錠を投げられる。
「……どっちも嫌ですよ」
「ベッドに手錠でつながれて、嘘っぽいことを言ったら、くすぐられるか。
嘘発見器で、指を挟まれるか。
どっちだ?」
「だから、どっちも嫌ですよ……。
っていうか、どちらも私が嘘をつくの前提なのは、何故ですか。
それに、それ、オモチャじゃないですか。
適当に指挟まれたり、電気が流れたりするのに、それでおしおきされたら、敵わないですよ」
と言っているのに、渚はもう、勝手に箱を開け、蓮の手を、嘘発見器に固定していた。
「いいか。
なにを言われても、いいえ、と言うんだぞ」
「蓮、俺のことを好きか?」
「いいえ」
「……ムカつくから、やっぱり、はい、にしろ」
いや、あなたが指定したんですよ、と思いながら、渚がスイッチを入れるのを見た。
「俺のことを好きか?」
「はい」
ニコニコマークが明るく灯った。
「あれ?
意外と正確ですね」
「俺より、課長代理とやらの方が格好いいと思うか」
「はい」
「……ニコニコしてるぞ」
「壊れてるんですよ」
「今日も渚さんが来てくれて、嬉しいな」
「はい。
あ、ニコニコしてますね」
「……壊れてるんじゃなかったのか?
生まれて初めて好きになったのは、渚さんだ」
「はい。
ほらー、ニコニコですよー」
「実は、課長代理に未練がある」
「……はい?」
「……ニコニコしてるぞ」
「はい? って疑問系だったからじゃないですか?」
なに訊いてんだ、と思って、疑問系で答えてしまったのだ。
渚は嘘発見器つかんで叫び出した。
「お前っ、本当に俺のことが好きなのかっ?」
「なんで、私じゃなくて、機械に向かって訊くんですっ」
はいはいはいっ、と返事してみたのだが、バクッと指を挟まれた。
「わかったっ。
これ、興奮して、血流とか激しくなると、挟むだけなんですよっ」
なにも根拠はないですっ、と叫ぶが、渚は訊いていない。
質問とも言えない言葉を繰り出してくる。
「私が関係を持ったのは、渚さんが初めてですーっ」
「なんで私の口調になるんですかーっ」
渚の妄想と願望が口から出たのか。
渚の口調は、いつもの蓮のそれ、そっくりだった。
「お前……答えてないぞ」
と凄んでくる。
怖い。
もう相手にすまい。
とりあえず、望まれるまま、
「はい」
と言った。
「今のは、なんに対してのはい、だ」
と追求されても、
「……はい」
と答える。
心乱さないように。
渚の質問さえも、頭に入れないようにして、ただ、はい、を繰り返す。
最早、嘘発見器が意味をなしてはいなかった。
祖父に連れられて知り合いの寺に行き、森の中の本堂で、座禅をさせられたときのことを蓮は思い出していた。
すがすがしい気分だ。
心を研ぎ澄まさせすぎた蓮の目の前には竹林が広がり、足許には、本堂の冷たい床の感覚が蘇っていた。
目を閉じ、意識を集中して。
「……はい」
と蓮は言った。
「おい……、精神修行してんじゃないぞ。
俺は真実を知りたいんだ」
「真実……」
と呟いた蓮は、目を開け、
「本当に知りたいですか?」
と渚を見つめる。
渚は、うっ、と詰まった。
世の中には、知らなくていい真実もたくさんあるに違いない。
……とか思ってしまったが。
よく考えたら、知られたくない真実など何処にもなかった。
つい、渚のテンションに釣られて、重々しく言ってしまったが、そういえば、やましいことなど、なにひとつない。
「知りたいですか? 真実」
一応、そう訊いてみた。
すると、渚は、
「いや……知りたくないかもしれないな。
お前のことに関しては、俺は小心者なんだ」
と言い出す。
「和博は勇気があるな。
俺なら俺に会いに行く自信はない。
うっかり、お前に愛されている俺を見てしまったら、きっと俺は俺を殺してしまう。
それで、捕まった俺が刑務所に入っている間に、お前は、その俺と結婚してしまって。
出てきた俺は、今度はお前を殺しに行くんだ」
「すみません。
その果てしない妄想、何処かで止めてください」
っていうか、俺が出てきすぎて、なんだかわからないんですが。
妄想の中でも、俺以外を蓮の相手に据えたくないらしく、恋人も俺で、嫉妬するのも俺になっているので、話がややこしくなっていた。
そんな俺尽くしの中で、
『お前を殺しに行く』
だけが浮いていて、明確なので、ちょっと怖かった。
恋は人を疑り深くするものだな、と思いながら、蓮は渚を見つめて言った。
「渚さん、大好きです」
そらさず、その目を見つめる。
「……信じられませんか?」
渚は黙って、蓮を見ている。
疑って、というのではないだろうが、なにも言わずに蓮の瞳を見つめていた。
「キスしてもいいですか?」
「……なんで訊く?」
「最初の頃、貴方がそう訊いてたからですよ」
「……いいぞ」
と渚が言ったので、蓮はベッドに手をつき、身を乗り出すと、渚に口づけた。
渚が蓮の背に手をやり、抱き寄せる。
少しだけ唇を離した蓮は、渚の胸に手を触れ、見つめて言った。
「私からキスしたの、渚さんが初めてですよ」
渚の腕が蓮を強く引き寄せ、今度は渚の方からキスしてきた。
そのままベッドに倒される。
もう一度、今度は長く口づけたあとで、渚が言った。
「ところで、お前、今、指、挟まれてないか?」
「……気のせいですよ」
と蓮は笑いながら、その手をベッドの下の方に下げて隠した。
いや、本当に。
――気のせいですよ……。