テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
同じ地名でも番地の違いだけでガラッと欲の系統が変わるこの街。
出勤前に境界を跨いだその脚で、顔馴染みの居るバーに踏み入れると、《いらっしゃいませー!》と奥のカウンターから色とりどりの声質が飛んで来た。
「あ、めめちゃんじゃなーい!いらっしゃい。ここおいでー?」
「ママお疲れ。リョウさんの影響だろうけど、マジでその呼び方やめてよ。」
席に着くなり煙草を取り出した瞬間、当然のように火を点けたのは、ミックスバーを営む通称ふかママ。界隈としてはまだまだ若いが、そのトーク力と包容力から培われた人望と人脈でこの街の裏の情報を引き出すえげつないバケモンだ。…慰めとか大事なところで甘噛みするのが玉に瑕だけど。
「えーっ、いいじゃん『めめ』って!可愛いじゃん!ねね、俺もレンくんのこと『めめくん』って呼んでいい?」
「絶対ダメ。」
「…ケチぃ…。」
唐突にママの隣に付き、ぶー、と口を尖らせて愛嬌を振り撒く長身の男はラウール。まだ半年ちょっとしか働いていない新人だが、パンセクシャルということもあり、そのスタイルと顔の良さで今や男女問わず人気な店子…なんだけど、多分さっきの愛嬌も妙に計算高いやり口だと思う。確かに可愛いけど、俺にとってはただの弟感なだけだから効かないよ?
「ラウ、他のお客様をほっとくな。」
「ママぁ、パパが怒ってくるー!」
「誰がパパだよ。いいから戻れって。」
「はーい…。」
「ごめんな、レン。」
「いや、大丈夫。ありがと照さん。」
ラウールの向こう側で謝ってきた男は照さん。彼は所謂ノンケだが、元々ふかママと親交があったという理由でオープン当初から働いているベテランスタッフだ。かなり身体絞ってるって聞いたことあるけど、それで甘党って…意味が分かんないんだよなぁ。
続いて手元に置かれた灰皿に灰を軽く落とすと、《いつもので良いよね?》と2人分の酒を作り始めるママへ声をかけた。
「で、今日は何で呼び付けたの。」
「え!噂聞かない?『こっち側』ではだいぶ有名になってきてるんだけど。」
「『そっち側』の情報の全部が全部、こっちに回ってるとは限らないんだよ。」
俺は定期的に『向こう側』を含めた街の情報まで収集しているが、正直なところ最近は特にこれと言ったものを聞くことがなかった。
「誰か目をつけられてるの?それともどこかの店がヤバいとか?」
そう切り出せば、1杯の酒を俺に、もう1杯は自分用にと、一先ずの乾杯をする。《えーっとね、》と記憶を呼び起こしながら準備の整った電子煙草に口をつける。
「名前は全然言わないみたいだから、今のところは引き出せてないんだけどね?特徴として聞き出せたのは可愛い系の小顔の男の子で、鼻周りにホクロがあって? ──あ、関西弁って言ってたかな?」
「、…へぇ…。」
──心当たりしかない。
今朝ソイツっぽい奴に会いました、なんて言ったらどう騒ぎ立てられるか。実際起こったことまで伝えたらもう最後、憶測に妄想を絡められ…そんなの溜まったもんじゃない。
「それだけでもすぐ特定できそうだけど…こっちでは見かけたことないな。そっち側の新参ってことか。」
ふかママにしては情報薄めだね?と付け足すように軽く毒吐くと、《これでも頑張ってんの!》とママは分かりやすいしかめっ面を向けてくる。ぐい、と酒を1口煽ると、その顔は徐々に心配そうなものへと変わった。
「、まあその子がね、そのー…ちょっと危ない橋渡りそうになってるというか?選り好みはあるようけど、人良さそうにしてれば着いてっちゃうというか…。悪く言えば単純なのかな…?」
「だからいつかどこぞのワルイ人に引っかかるんじゃないかと。」
「そういうこと。」
なるほど。新参故に土地勘があまりない状態で何かしらのトラブルに巻き込まれて、ああして必死にこっち側に逃げ込んできたのか…それを今朝俺が遭遇したわけ?
「…マジで厄日かも…。」
思わず吐いた言葉は幸いにも目の前の人の耳に入ることはなく、ママは更に続けた。
「聞く限りでは良い感じの子らしいよ?さっきも言ったけど、多少の選り好みはあって…でも選ばれたらもうすっごいんだって。」
「何が?」
「もう!言わせないでくれるー!?」
敢えてウブな心を提示する『彼女』に、半ば呆れるように吸った煙を吐いて明後日の方向を見つめた。
「普段から客にドギツい下ネタ撒き散らしてる人が、これくらいで何言ってんの?」
「ベッドの中だけなら、もっと可愛くなれるよ?」
そう可愛さアピールするようにカウンターに頬杖をついて、にっこりと口説いてくる。その様子に《うっわぁ…キッツ。》と心底引いた顔をしてみせた。
「一生無い。」
「ねぇー!釣れないなー!」
「…それに、」
照さんとラウールの目線がそれぞれに付いた客に向けられていることを確認すると、尚もポーズをとったままのその耳元に不意に身を乗り出して口を寄せ、
「──ママには照さんがいるでしょ?」
と囁くと、頭を支える手元がぴくりと動いた。顔を覗き込めば、暗い店内でも解るくらいに赤らんでいて、途端に弱々しくぼそぼそと呟いた。
「めめちゃんやめてよ。…照は『違う』んだから。」
「ふーん?まあ良いけど。…じゃ、俺はそろそろ。これで照さんとラウにも1杯あげて?ソフドリでもいいから。」
「…ありがとうございまーす…。」
2人への酒代を足した計4人分の会計を出して、残った酒を一気に飲み干し、たん、と音を立ててグラスを置く。
「とにかく、その噂に関しては俺には関係なさそうかな。こうして街の情報は定期的に収集してても、実際パトロールしてるわけではないし。」
「めめちゃん、」
「それに。申し訳ないけど、俺も照さんと同じくノンケだから。じゃ、またね。」
2人にも声をかけると、客と話しながらこちらを見て右手を軽く挙げる照さんと《えーー!早くない!?》と再び放ったらかしにするラウールにそれぞれ微笑みかけ、店を後にして職場へと向かった。