夢を見る
「晩ご飯何にする?」
僕らが座敷に座り、テレビを見ながら机の上に置いてあるお菓子を食べていると、菊さんが台所から顔を出してご機嫌な様子でそう言った。
「うーん」
「カレーとか、良いんじゃない?」
僕の向かい側に座っていた和哉が机の上のお菓子に手を伸ばしながらそう言った。おじさんは静かに座椅子に背中を預けて座っている。
「あら、良いわね」
菊さんは何か思いついたように、また嬉しそうな表情を浮かべる。
「凛ちゃん。買い物、着いてきてくれるー?」
そう奥の座敷の方に声を掛ける。
「良いよー」
そして、二人は駅前のスーパーに買い物に行くと言って出掛けて行った。
「で、大丈夫だったのか。あれから」
一瞬、ぽかんとしていた和哉の顔も話題の内容を察したのかすぐに真面目な顔へと変わった。
「あぁ、何とかね。見かけによらず優しいんだよ、あの人達は」
和哉は少し無理に笑っているような気がした。もしかしたら、簡単には行かなかったのかもしれない。でも、そこで言及してしまっては宣言した和哉の意地を無下にしてしまう。僕はそれ以上、聞こうとはしなかった。
「おじさん、容態大丈夫なのか?」
おじさんが目を閉じて、眠りについているのを確認した後、僕はそう切り出した。
「正直、あまり良くない」
「だろうな」
前に比べて明らかに口数も減り、さらに痩せてしまっている。そんなおじさんを見れば嫌でもそう感じてしまう。
「食欲も無いらしいんだ。前に比べて……今日は外出が許可されたけど、多分もうそんなに病院から出られることは無いと思う」
「そうか…..」
何か掛けられる言葉があるわけでもないし、大丈夫だという確信があるわけでも無い。なのに無責任に大丈夫だ、と口走ってしまう。
「そうだな、じいちゃんがこんな所で死ぬ訳がねえよな」
夏への終わりが近づく9月の今、何処かから蝉の声が聞こえたような気がした。だけど確かにおじさんの余命宣告の日が一刻一刻と迫ってきているのも感じていた。
「おまちどうさま!!」
元気なクラスメイトによって僕の前に置かれたカレーに少し違和感を感じた。色が違う?
「これって….」
「美味しそうでしょう」
彼女が自信満々に両手を腰に置き大きく胸を張る。どうせ、菊さんが殆ど作っただろうに。
「子供が食べる、甘口のカレーじゃない?」
和哉が不思議そうにカレーを見つめながらそう言うと彼女の顔から嬉しそうな溢れ出てくる。
「正解だよ」
台所から出てきた菊さんはゆっくりと座布団の上に座る。
「でも、何で…」
「良く四人で食べたな」
ボソボソと掠れた声でおじさんが確かにそう言った。
「そうそう、やっぱり忘れないものよね」
菊さんがそう言うとゆっくりと頷く。
僕が普段食べているカレーと比べてそのカレーはとても甘かった。口の中にそのカレーを含んでもいつものようなスパイスの風味は広がってこないし、もちろん辛くも無い。なのになぜか不思議と僕らはスプーンの動きを止めなかった。
「意外とイケるね」
「小さい頃はこればっかり食べてたからね」
「でも、やっぱり甘いや」
「うん、甘い」
「本当、美味しいよ」
佐藤さんがスプーンでカレーを口元に運びながらこのカレーを賞賛した。
彼女が気に入ったそのカレーは僕らが小さい頃に良く四人で食べていたものだった。僕と和哉が遊び疲れてたまに嘉村堂で泊まったことがあった。そんな時は決まってそのカレーを食べたいと僕らは言ったらしい。
何となくだけどこの4人でこの座敷の机を囲んでカレーを食べていたのを覚えている。
「うーん、やっぱり甘いね」
おじさんは何だか嬉しそうにそう言った。
「ふふ、そうね」
「じゃあ、気をつけて」
「うん、またな」
夜の9時を回ると和哉とおじさんは自分達の家に帰っていった。久し振りに家に帰りたいらしく、今日は嘉村堂には泊まっていかないらしい。
おじさんの身体を支えながら、タクシーへと乗り込む和哉を見ていると、何だかこっちまでこそがゆい気持ちになる。
「やっと涼しくなってきたね」
二人を送った後、庭の縁側で団扇を扇ぎながら涼んでいるとクラスメイトの彼女がタオルを肩に掛け、縁側へと出てくる。
「そうだね、この前まで蒸しっとした暑さだったのに……」
「ねー、本当」
彼女は僕の隣に腰を下ろす。
「今日、晴斗くん。楽しそうだったね」
彼女は今夜は月が浮かんでいるはずの夜空を見つめながらそう言った。
「そんな風に見えた?」
「うん、見えたよ」
彼女が嬉しそうにいつもと比べて控えめにクスッと笑う。すると、僕はいつもの調子で彼女につられて笑みがこぼれた。
「もしかしたらさら……」
「ん?」
「ずっとこんな日を夢に見ていたのかも知れない」
「こんな日って?」
彼女がまたクスッと笑みを浮かべる。どうせ彼女のことだから分かっているんだろう。
「昔みたいにこうやって和哉とおじさん、菊さんと一緒に嘉村堂でご飯を食べたりとか、ずっと何か喋ってるわけじゃ無いけど一緒に机を囲んで座ったりとか。そんな何処にでもあるようなありふれた一日。」
何だか話していると恥ずかしくなってくる。
「そっか」
ゆっくりと時間が過ぎていく。そんな気がするほど辺りは静かで聞こえてくるのは、座敷で回っている扇風機の回る音と虫のさえずりだけ。
「って、それ。私めちゃくちゃお邪魔じゃない!?貴重な4人の時間に知り合って1年そこらの人がいるなんて!!」
彼女がいつもの調子で大きな声を上げる。でも不思議と不愉快には感じない。
「誰もそんなこと思ってなんかいないよ」
「本当?」
「うん、本当だよ」
元気なクラスメイトは良かった~、と両手を自分の頭より腕で組んで身体を大きく逸らす。何だろう、月明かりが彼女を妙に綺麗に照らしている。いつも見ているはずの元気で怒りっぽい彼女の横顔である、はずなのに僕の心は何か大きな海にでも吸い込まれていく、そんな風な心地がした。
「明日も晴れるかな?」
「明日は雨だってニュースで言ってたよ」
「何パーセント?」
「60パーセント」
「じゃあ、もし明日も晴れたらさ。何処かに出掛けない?」
「えー嫌だよ」
彼女はまた怪訝な顔になる。
「ほら、この前出掛けたときとかめちゃくちゃだったじゃん。和哉君と鉢合わせして喧嘩しちゃうしさ……」
「ごめん……」
「だから、今度は私の行きたい所に連れて行ってもらうんだから!」
彼女がまた大きな声を上げる。僕にとって彼女、佐藤凛という人間がどういう存在なのかは正直、まだ分からない。だけど、こんな僕の傍にいてくれるんだから、きっと大切な存在なのかも知れない。
「分かったよ、明日晴れたらね」
僕らは並んで縁側に腰を下ろし、それからしばらく空を見上げた。
そして、その翌日はニュースの天気予報を裏切るような晴天となった。
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