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それは、雨上がりの夕方だった。屋上は濡れていて、ベンチに腰かけることはできなかったけど、ふたりは傘を持たずに立っていた。
潮の香りと、どこか草のにおいも混じったような空気。
「今日、話したいことがあって……」
灯は、言葉を選びながらゆっくり切り出した。
晶哉は黙って頷いた。
ただ聞くという姿勢が、彼らしかった。
「私ね、心臓が悪いの。もう限界に近くて……移植を待ってるの……。でも、見つからなくって……。」
言葉にした瞬間、胸がひどく苦しくなった。
この“秘密”は、誰かに話すたびに、自分の現実を突きつけられるようだった。
晶哉は驚いた様子も見せず、ただまっすぐ灯の目を見た。
『ずっと……ひとりで抱えてたんですね……。』
その一言に、涙が滲みそうになる。
「もう、待っても無駄かもしれないって思ってる。誰かの命が終わらなきゃ、私には生きる順番が来ないって……。だから……、それを“望んでる”自分が嫌で仕方なかった……。」
『それでも、生きてほしいと思ってる人がちゃんとここにいるよ。』
晶哉の声は、静かでやさしかった。
「……あなたは?」
灯は、尋ねた。
「病気、治らないんでしょ?」
『うん、治らない。でも、生きてる今を大事にしようと思ってる。灯さんに会えて、それが初めて“ちゃんと意味のある時間”だって思えた。』
海風がふたりの髪を揺らす。
しばらく沈黙が続いた。
「もし……」
灯がぽつりと呟く。
「もし、私が移植を受けて、元気になれたら……」
『うん』
「そしたら、一緒に……どこか行こうよ。海でも、街でも。どこでもいいから。“退院したら”じゃなくて、“一緒に行こう”って言える未来が欲しい」
晶哉は笑った。
とても温かい、そしてほんの少しだけ切ない笑顔だった。
『じゃあ、約束な。どこへでも、連れていくよ』
「本当に?」
『本当に。』
ふたりの指先が、そっと触れ合った。
それは手を繋ぐにはまだ遠く、でも心が寄り添うには十分な温もりだった。
灯は思った。
この人に出会えたことが、奇跡なんじゃないかって……