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桔流と花厳が、色とりどりのマカロンで心を満たしてから幾日かが経ったその日。
(あ。これ美味そう。――でも、明後日は、花厳さんがワイン用意してくれるって言ってたし。――これは、その次の食事で出そうかな……)
ネットショッピング中に見かけた季節モノのワインを眺め、桔流はふと、そんな事を考えていた。
その翌々日の事。
桔流が目をつけていた“だけの”――その季節モノのワインは、美しい飾りを施され、無事、桔流のもとへとやってきたのだった。
― Drop.009『 Stir〈Ⅱ〉』―
「――花厳さん。やっぱ、滅茶苦茶モテるでしょう……」
無事に手元にやってきた季節モノのワインを見つめ、半目がちに桔流は言った。
花厳は苦笑する。
「や、やだな。本当にそんな事ないってば。――どうして突然そんな事……――あ。もしかして、これ、飲んでみたいワインだった?」
そして、桔流の様子から状況を察したらしい花厳が悪戯っぽく尋ねると、桔流は、
「………………まぁ」
と、わざとらしく不満げな返事をした。
冗談と分かっているからか、花厳はそんな桔流の反応に楽しげに笑うと、
「良かった」
と言って、酷く嬉しそうにした。
(なんか、ここまで心の中見透かされると、逆に悔しい……)
そして、桔流がそんな悔しさに悶々としていると、その様子も愛らしく感じたのか、花厳は、
「あはは」
と、無邪気に笑った。
そんな花厳の笑顔に、桔流は、
(あと、この笑顔が悔しい˝……! 可愛い˝……!)
と、心の中で悶絶した。
実のところ、最近よく見かけるようになった、この――花厳の少年のような表情や一面に、桔流は大分と“やられて”いた。
自身より三つほど年上のこの男は、いつだって自分よりも一枚上であった。
無論、時には、桔流の追及に対して動揺を見せる事はあった。
だが、たとえそのような一面があっても、花厳の“落ち着きのある大人な男性”――という印象が揺らぐ事はなかった。
しかし、最近。
そんな花厳が、不意に、少年のような無邪気さを見せるようになったのだ。
そして、その結果。
桔流は、その花厳が見せるようになった新たな一面に――、そのギャップに――、見事に心を“やられた”のであった。
しかし、これほどまで心乱されるようになっても、桔流は未だ、花厳への恋心を抱く事はできていなかった。
そのような事から、桔流は、此度も再び眼前に現れた“花厳少年”に心乱されながら、ひとつ思った。
(はぁ……。――花厳さんのギャップにこんだけテンション上がるんだから、俺が普通なら、もうとっくに恋人同士にもなれてたんだろうな……)
そんな桔流は、そう思い、改めてその事実を自覚したからか、やんわりと胸が締まるのを感じた。
そして、ふと、数時間前の事を思い出すと、今度は、とある人物に宛てて、桔流は思った。
(――俺……、やっぱ、新しい恋なんて、無理ですよ……。――法雨さん)
その数時間前の事。
バーでの仕事を終えた桔流が、更衣室で仕事着から着替えていると、そこへ、その日は遅出となっていたバーの店長――仙浪法雨がやってきた――。
💎
その晩。
花厳との食事を控えていた桔流は、仕事を終えるなり更衣室に入ると、手早く仕事着を脱いだ。
そして、桔流が私服に袖を通していると、遅入りの法雨が更衣室へと入ってきた。
そんな法雨は、
「お疲れさま」
と、桔流に挨拶をすると、歩みを進めた。
「あ。お疲れ様です」
そんな法雨に、桔流も挨拶を返す。
その中、桔流の隣にある自身のロッカーに辿り着いた法雨は、ロッカーを開けると、次いで、随分と上機嫌な様子で言った。
「――あぁ。そうそう。――“新しい恋”は、順調そうね? 桔流君?」
「あぁ。新しいこ………………――え? “新しい恋”?」
桔流は、その法雨の予想外の言葉を復唱するなり、思わず動揺した。
法雨はそれに、楽しげに言った。
「ヤダ。とぼけて。――あの“指 輪 を 忘 れ た 彼”と、最近イイ感じなんでしょう? ――アタシの目はごまかせないわよ?」
“指輪を忘れた彼”――の部分を妙に強調して言った法雨に、桔流は引きつった笑みを作る。
「ゆ、“指輪を忘れた彼”――? それ。もしかして、花厳さんの事ですか? ――残念ですけど。それだったら、誤解ですよ。――別に俺、あのヒトとはそういう関係じゃないので」
そんな桔流の応答に、法雨は妙に抑揚をつけた口調で言った。
「ア~ラ。そ~お~? それは、おかしいわねぇ? アナタの、その――“あ の ヒ ト”って言い方が、妙~に親しげに聞こえるんだけど~……?」
「ハ、ハハ。――気のせいですよ」
その鋭すぎる追及に対し、さらに笑顔を引きつらせつつも、あくまで平静を装う桔流が、
(ヤベェ……。この状態の法雨さんを口で誤魔化すのは無理だ……。早く着替えてこの場から逃げないと……)
と、何とかその場を切り抜けるべく、手早く着替えを済ませようと決した、その時。
更衣室の中央に備えられたテーブルの上で、桔流のスマートフォンが振動した。
その振動音から、桔流も法雨も、スマートフォンが何かしらのメッセージの受信を報せたのだと察した。
「――………………」
そして、なんとなく嫌な予感がした桔流が、着替えの手を止め、恐る恐る背後に待機させていたスマートフォンに目をやると、点灯したディスプレイには、――“花厳さん”――という送信者名が添えられたメッセージ通知が、自己主張激しく表示されていた。
「………………」
「………………」
その後。
数秒ほど更衣室を満たした沈黙は、法雨の――随分と嬉しそうな声により霧散した。
「“気のせい”――ねぇ? ――つまりそれって、“イイ感じ”どころじゃなく、“もっとも~っと親密なトコロまでいってますから”――って事かしら~?」
スマートフォンのスマートな仕事ぶりにより、完全に追い詰められた桔流は、急ぎ足で着替えを進めながら言った。
「……ち、違いますよ。違います。――“ただの友人ですから”って意味ですよ……」
しかし、法雨は、完全に追い詰めた桔流にも容赦はなかった。
「へぇ~? ふぅ~ん? そお~? ――じゃあ、今晩は、――“お 友 達 の お う ち に”お泊りなのね?」
時刻は23時。
その後にある予定ともなれば、どう考えてもその日に解散するような予定ではない。
桔流はそこまで見抜かれている事を察し、敢えて“泊まり”である事実を誤魔化さない事にした。
「……そう……ですよ」
すると、法雨は、妙に高く可愛らしくわざとらしい――甘えた声色を作って言った。
「じゃ~あ~、次のお着換えの時間もぉ~、桔流くんのその色白なお肌が見られるのぉ~、法雨ぃ~、すっごぉ~く楽しみにしてるねっ?」
(……駄目だ! 強すぎる! ――いや。別にキスマークなんて付けて出勤するような展開にはならねぇけど!! ――でも、花厳さんとの今の関係も、流石にまだ知られたくないし。――ここで、ここで負けるわけには……!!)
法雨のその圧倒的な攻めに脳内でパニックを起こしながらも、桔流は自分を奮い立たせ、なんとか言葉を紡ぐ。
「……ハ、ハハ。ちょっと何言ってんのか意味がよく分からないですね」
しかし、そんな桔流にも、法雨は無慈悲であった。
先ほどと打って変わり、声を低くした法雨は、
「逃がさないか・ら・ね」
と言いながら、桔流の尾の下側を、根元からなぞりあげた。
すると、全身の毛を逆立て、己の太い尾をぶわりと一層太く膨らませた桔流は、声にならない声とともに背を仰け反らせた。
「――~~~ッ!!」
そんな桔流の様子に満足げにすると、法雨はいつも通りの声色で、楽しげに言った。
「ふふ。相変わらず感度がイイわねぇ。桔流君。――可愛い。――こんな事なら、もう一回くらい食べておくべきだったかしら」
「ちょっと、法雨さん!! びっくりするからやめてくださいよ!!」
未だ尾をなぞりあげられた余韻が残っているのか、二倍増しで太くなったままの尾をひしと抱きしめ、桔流は言った。
法雨はそれに、また楽しげに笑う。
「ふふ。敏感なんだから」
そして、その後。
実のところ、過去に何回か法雨に“喰われている”桔流は、無事に着替えを終えるなり、スマートフォンを鞄に放り込んだ。
そして、相変わらず嬉し楽しとしている法雨にぎこちなく退勤の挨拶をすると、更衣室を後にした。
💎
そんな桔流が、更衣室を出て行った後の事。
桔流が居なくなった更衣室で、法雨は小さく笑った。
(ふふ。まだ肌寒いのに、慌てん坊な春だこと……)
そして、何気なく、桔流が出て行った扉を見やると、着替えを終えた法雨はしばしの間を置き、近場の椅子に腰かけた。
「………………」
法雨はその中、ひとつ思い出すと、誰にも届く事のない言葉を、心の中で紡いだ。
(ねぇ。桔流君)
自身が経営するバーで、初めて桔流と出会った夜――。
(もうそろそろ、アナタも、――その指輪から解放されてもいいんじゃないの)
法雨は、そんな、今となっては懐かしい、その、――とある夜の事を思い出していた。
💎
更衣室から逃げるように退場した後。
桔流は、予定通りの時刻に花厳と合流した。
「――わ……。どうしたの……? ――何か、嫌な事でもあった?」
待ち合わせ場所は、バーから少し離れた駐車場だった。
そんな駐車場に現れた桔流は、酷くむっすりとしていた。
花厳は、桔流のその様子に思わず尋ねた。
すると、桔流はむっすりしたまま答えた。
「いえ何も。――ただ、花厳さん。“死ぬほどいいタイミングだったな”って思っただけです」
「え?」
花厳がそれに首を傾げてから、またしばし経った頃。
自宅への道を辿りながら、“何が死ぬほどいいタイミングだったのか”――の説明を受けた花厳は笑った。
「ははは。ごめん、ごめん。――それは悪い事をしたね」
そんな花厳の隣で、相変わらず不服そうな顔で助手席に座る桔流は言う。
「別にいいんですけどね……っ」
すると、花厳は、未だ口をとがらせるようにしている桔流の様子を察し、またおかしそうに笑った。
桔流は、それにさらに眉間に皺を寄せると、
「今日。豆まみれのメニューにしますね」
と、言った。
「えぇっ」
豆類が天敵である花厳はそれに顔を引きつらせると、マンションの駐車場に車を停めるなり、
「ご、ごめん、ごめん。それは勘弁して……。――今日は良いワイン、用意してあるからさ。――それで機嫌直して。――ね?」
と言い、首を傾げるようにして微笑んだ。
そんな花厳を半目がちに見た桔流は、心の中、
(クッソ可愛いなソレ)
と、力強く思うなり、一気に毒気を手放したのであった。
💎
そして、その後。
すっかりと招かれ慣れた花厳の自宅へと上がった桔流を待っていたのは、“桔流が購入予定であっただけの”――季節モノのワインであった。
そんなワインを受け取った桔流が、花厳の無邪気な笑顔に翻弄されるひと時を経てから数時間後の事。
その晩の桔流は、久方ぶりに、深く、酔っていた。
“花厳とイイ感じになっている”――という事を法雨に気取られた事と、花厳が用意していた季節モノのワインが酷く口に合った事が重なり、半ばヤケになっていた桔流が、普段よりも速いペースでワインを飲み進めたためである。
花厳は、その様子から桔流を案じる。
「桔流君。多分、今日、いつもより酔ってるよね。大丈夫? ――ワイン、そんなに弱かったっけ」
花厳の前で、フラつくほどに桔流が酔ったのは、これが初めてだったのだ。
桔流は、そんな花厳の言葉にゆるゆると頭を横に振ると、たどたどしく言った。
「いえ……よわくは、ないんですけど……きょうはちょっと……はやかった、かも……」
そして、呂律の回らない舌で一生懸命に言葉を紡ぐと、桔流はひとつ息を吐きソファにもたれる。
未だ心配そうにする花厳は、桔流の様子を伺いながら言う。
「確かに、今日は結構ハイペースだったもんね。――ワインが口に合ったのなら良かったけど」
対する桔流は、相変わらず芯を抜かれたように、くてりとして紡ぐ。
「ン……。――すごい、おいしかったです……。――でも……」
そんな桔流に寄り添いながら、花厳は首を傾げる。
「ん?」
桔流はそれに、またゆるりと紡ぐ。
「たぶん……こんなに、よったの、は……きが……ぬけたせい……かな……」
花厳は、その桔流の言葉を不思議に思い、問うた。
「“気が抜けたせい”――? ――桔流君。今日。何か緊張してたの?」
すると、桔流はまた、ふるふると頭を振る。
「んん……そ、じゃ、なくて……かざりさんと、いると……きが……ぬける……から」
「――………………」
花厳は、そんな事を紡いだ桔流を、しばし無言で見つめる。
そして、しばらくしてからハッとし、
「……そう、か……。――あぁ。水、持ってくるね」
と言うと、
「はい……」
と頷いた桔流にひとつ微笑み、キッチンへと向かった。
花厳は、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをグラスに注ぐ。
その中、花厳は、先ほどの桔流の言葉を反芻する。
(“気が抜けるから”――か……。――それ。どういう意味なんだろうね。桔流君)
花厳は、きんと冷えた水がグラスで躍るのを眺めながら、しばし目を細めた。
その後。
「――気持ち悪くない? 大丈夫?」
桔流の元へと戻った花厳は、グラスを手渡しながら、再び桔流を案じた。
すると、桔流はゆるりと頷き、言った。
「はい……。だいじょぶです……。――どっちかっていうと……きもちいかんじ、なので……」
「――……そうか。――それなら、良かったよ」
そんな桔流が、いつもよりも酷く無防備なため、花厳は、桔流から返ってくる言葉を良いように曲解してしまいそうになる脳を窘めた。
そして、そんな自身を改めて律すると、特に何を意識するでもなく、純粋な心遣いから桔流に言った。
「桔流君。――横になった方が楽だったら、ベッド使ってくれてもいいからね」
すると、桔流は、ほぼ閉じかけていた瞳をふと開き直すと、
「ふふ」
と笑い、隣に寄り添う花厳を見上げた。
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