真っ白な空間にぽつんと座っていた。周りには誰もいない。
ここはどこだろう。雲の上なのだろうか。
でも上も下も真っ白って変だ。
生後8ヶ月の比奈子。前世の記憶を持っている。
生まれ変わる前は、榊原 絵里香だった。
33歳本厄の既婚者だった。2人の子どもを育てながらスーパーマーケットの店員をしていた。
夫は、現在でいう小松 晃。
4年前に自分が不倫してあっちもされていろいろあって夫は家族で楽しく泊まっていたホテルから行く先も告げずに無言で蒸発した。
絵里香は将来に悲観してこの世を去り、4年の月日が経過し、また生まれ変わって、小松比奈子となり現在0歳と8ヶ月。まさか母親が不倫相手とは思ってもみなかった。
苦虫をつぶした顔をした。
ハイハイをして前に進む。
話すことができない。歩くこともまだできていない。
でも頭の中は色々知っている。
過去の記憶が残っていた。
何にもないところでドテッと転んだ。
起きあがろうとすると白髭をはやした真っ白い髪のおじいさんが目の前に現れた。
仙人のような格好をしている。テレビや映画でよく見る
リリーフランキーさんのような人だった。
しゃがんで視線を合わせてくれた。
おじいさんの鼻をパシッとつかもうとした。
「これ、やめなさい」
「やー」
「君さ。前世の記憶残りすぎだよね。早くから態度で出て、現世でそれしちゃうとまずいのよ」
「ほぇ?」
「ほぇ? じゃなくてね。早すぎよ。本性出すの」
「ん?」
首を大きくかしげた。
「赤ちゃんだからって可愛いふりしてもだめだよ」
「ちっ」
「ちょ、今舌打ちしたよね?! 絶対舌打ち」
「おっさん、何言ってんの?」
「うわ、めっちゃ喋る。気持ちわる」
「私自身が望んで親を選んだの。何が悪いの?」
「……かなり問題あるよ。だってさ……」
白髭の老人は、杖を振って、目の前に透明なディスプレイを起動した。
「ほら、前世の記憶、見させてもらったけど、君のお母さん、不倫相手よ? 夫の。いや、お父さんは夫がいい理屈わかるけどさ。何が悲しくて母親、不倫相手選ぶ? 嫌じゃないの?」
「それは知らなかったの!!!」
「あのさ、生まれる前に審査会するでしょう。本当にこの2人の子どもでいい? ってすべり台落ちてくる前に最終確認で聞いたよね? 知らないとか言わせねぇよ??」
「……それは、気づきませんでした」
「いーや、絶対知ってた」
「いや、本当。私、晃のことしか見てなくて相手なんてなんでもいいやって。まさか、不倫相手だったなんて……今知ったわ。でも、あのお母さん、めっちゃ可愛くて胸も大きいし実家金持ちそうだし、結構有意義に過ごせそうだなって。私、前世より
めっちゃ幸せになりそうって感じたわ。てな、訳で、これ、夢でしょう。早く、元の世界に戻してよ」
不倫相手なんて、恨みが出てきそうだったが、現実問題優良物件を知ってしまったら、もう、どうでも良くなっている。
新たな人生で違う世界なら良いとなってしまっていた。
結局、金持ちなら良いんかいと老人はツッコミを入れた。
「……君さ、本当に前作の主人公なの? 目がお金の形になっているよ。どこかのアニメのお金大好きなやつにかなり似てる」
「真面目にフルタイムやパートで稼いで稼いで働いても他国に行く税金でしょう。物価上昇は続くし、余暇はなくなるし生きている意味なくなるわ! だからさ、やっぱ楽してお金を手に入れたいわけ。実家が金持ちって願ったり叶ったりじゃん。ま、前世も結局、金ないと言いながら、いろんなローン組んだり、カード使いまくって有意義に生活していたけど。それなりに。それでも働きに出てからね。自分で自分を褒めてやりたいわ」
「赤ちゃんの姿でそれ言われてもな。こわいな」
「お金の回し方を間違っていたのかもしれないわ。いくらお金を使っても心が満足しないの。だから、手を出してはいけない境界線飛び越えた。それはもうしたくない。ま、これでリセットボタン押されたからなんとかなるよね」
老人は杖を比奈子の前に置いた。
「ダメだ」
「なんで」
「絶対、前世の記憶をあの2人の前に出すんじゃない」
「出したらどうなるの?」
「良くないことが起きる」
「良くないことって何?」
「……幸せになりたかったら、ルールを守れ」
「何をしたら良くないの?」
「前世の名前を出すことだ。それだけは絶対するな。君は比奈子。小松比奈子だ。これ以上もこれ以下でもない」
老人の声がこだまする。雲の中へ進んでいく。いつの間にか青空が広がっていた。
目を閉じた。真っ暗になった。
しばらくすると眠りから覚めたようでいつものベビーベッドの上にいた。
「比奈子〜。おはよう。目覚めた? 今日ね、すごい天気いいよ。見てみようか」
果歩は、比奈子を抱き抱えて、リビングの窓から外を覗かせた。雲一つない青空とさんさんとお日様が光っていた。このまま赤ちゃんの演技をずっとしないといけないんだとがっかりしながら、必死で喜ぶ姿を見せつけた。
(自分、何やってんだろうな)
「おー、比奈子、目覚めたんだね。さっきまですごい揺すっても起きなかったのに。熟睡していたもんね」
「本当にそう。そうだ、比奈子に離乳食あげないとな。今日は食べてくれるかな」
果歩は、ゆがいたほうれん草をつぶして小さくしたものをお粥に混ぜていた。味付けはなし。これは大人が食べたら、
絶対しょうゆを入れたくなるものだ。
もちろん、スプーンで口に入れたものを思いっきり舌で拒絶した。
(味のない葉っぱ食べて何が美味しいんだ。塩分とかそんなの考えなくていいからしょうゆ入れてほしい)
「やっぱお野菜はダメか。これはどうかな。魚のゆがいたものとお粥」
もちゃもちゃと勢いよくカブついた。塩味の鮭がゆがいても味があったため、美味しく食べられた。鮭は前世の時も好きなものだった。
「やった。これは好物なんだね。メモしておこうっと」
果歩は育児に関してまめに行動していた。プロのアスリートを管理するように今日の食べたものや母乳、粉ミルクの量を手帳に記していた。
(それは私はしてこなかったことだな。この人、すごい)
絵里香が子育てをしていた時はほぼ感覚でやっていた。飲みたい時に母乳を飲ませて、ミルクが欲しがればやる。
離乳食も適当にこれでいいだろうとやっていた。まめにメモなんてとったこともない。
とりあえず、怪我とか病気さえしなければ何とかなるとざっくりと考えるタイプだった。
果歩は違う。
育児書を教科書がわりに読破して間違わないようにと必死で物事に取り組んでいたが、結局はミルクの温度を間違って舌を焼けそうになったり、まだ食べさせてはいけないお刺身を間違って出してしまったりと凡ミスも時々ある。
でも育児に対するひたむきさには尊敬に値した。