「ひぃあぁぁぁっ!」
絶叫かといえば、そうでもない。
本人は金切り声をあげたつもりなのだろうが、哀れなくらい悲鳴は掠れ、途中でかき消えた。
恐怖のあまり喉が狭まってしまったのかもしれない。
ぽかんとしてこちらを見つめる視線に気付いたか、幾ヶ瀬はもう一度悲鳴を振り絞る。
「ひぃぃぃっ!!」
チラと見やった先。
パソコンの前で胡坐をかく青年は、相変わらずポカンと口をあけたまま。
「ヒィー……? あの、有夏さん?」
ポカンとしたまま、有夏がゆっくりとこちらを向く。
「一晩寝たらやっぱり肉まんが食べたいかなって思ったんだけど、一昨年だったと思うんだけど家にいたとき姉ちゃんが肉まん作ってやるって言って、嬉しいなって思って待ってたら、冷蔵庫の中に何も入ってないけど梅干しならあるって言って、梅干し食べたらいいって言われたけど、肉まんが食べたかったから梅干しは違うなって思ったけど、食べろって言われたから食べたなぁってことを今思い出した」
「……えっ、えっ? 何て?」
今度ポカンと口を開けたのは幾ヶ瀬である。
「ま、待って。その感じ、今回も続くの?」
「今回って? その時間軸は何?」
「い、いや、何も……」
コホン。
おねむろに咳ばらいをした幾ヶ瀬。
気を取り直してノートパソコンのディスプレイを覗き込んだ。
さっきのは気のせいかもしれないし、なんて呟きながら。
11.6インチの小さな画面は、横からだと真っ暗に見える。
ディスプレイの正面に回るために、幾ヶ瀬は座り込んだままの有夏とベッドの隙間に足をねじ込んだ。
「邪魔だなぁ。くっ、こいつ、避けようともしない……」
ブツブツ呟きながら、やけにゆっくりと動く幾ヶ瀬。
さきほどチラ見した画面を、もう一度確認する勇気を振り絞っているからだろう。
デスクトップの背景はイタリアの都市フィレンツェの画像である。
何話であったか、チラと出てきた「中世イタリアの男娼館」の妄想が高じて、幾ヶ瀬が設定したものだ。
(ちなみに昨夜は、アリカを狙う金持ち客とバトルを繰り広げるという妄想に興じたものだ)
──それは置いといて。
今、そこにあったのはフィレンツェの美しい景色ではなかった。
全体的に画面が暗い。
その中央に灰色に浮き出たのは、染み……だろうか。
いや、違う。
土気色の皮膚。輪郭に沿ってペタリと貼りついた黒髪。窪んだ眼窩。
じっとりした視線。
画面の向こうからこちらをじっと見つめるのは、見たこともない女の顔であったのだ。
「ギャアアアァッ!」
喉も裂けよとばかりの絶叫。
幾ヶ瀬は両手で頭を抱え、それから前後に跳ね、さらにその場で尻もちをついた。
めげずに立ちあがり、再び声を振り絞る。
「イャァァァァッッ!」
「半狂乱じゃねぇか」
ちんまり座ったまま茶をすする有夏に、信じられないというような視線を向けてから、おもむろに幾ヶ瀬は口を開けた。
「だってコレ…どう見ても心霊現象……キャアアアァァッ! 呪われるぅぅぅ!!」
「何に呪われるんだよ、肉まんか?」
「肉まん」にツッコム余裕もないのだろう。
幾ヶ瀬は今度はその場に蹲った。
「俺が裏でいつも悪口言ってる常連マダムのメス豚さまー!ごめんなさいぃぃ!!」
「……半狂乱じゃねぇか」
にゅっと伸びた手にノートパソコンの画面をバタンと閉じられ、有夏は少々不満そうだ。
「有夏は来年発売する新作ゲームの情報収集で忙しいのに……」
ずずず……。
茶をすする有夏の肩を幾ヶ瀬がつかむ。
「何なの、有夏。何その落ち着きっぷり! ただの引きこもりじゃなくて、意外と大物なの!? それとも何? 有夏は霊能力者なの!?」
面と向かって引きこもりと言われ、有夏の眉間に皺が寄る。
しかし口元はウズウズしていた。
「……霊能力者?」
「えっ?」
「有夏、霊能力者なのかな?」
「いや、知らないし!」
全力でツッコむ幾ヶ瀬。
どうやら霊能力者…というか、「能力者」というワードがオタクの琴線に触れたらしい。
この状況でニヤニヤと、それはそれは不気味な笑顔である。
「では能力者たる有夏は今、ここに肉まんを具現化させまっす!」
宙に両手をかざし「はぁぁぁっ!」と、なんだか気合をいれている模様。
「……あの、有夏?」
「我が腹を見たせしホカホカの白きもの……出でよ、肉まんっっ!!」
「…………あの、有夏?」
「で、出ない……だと?」
「………………あのぅ、有夏さん?」
呆然と手の平を見つめる有夏の背をつつき、幾ヶ瀬は呆れ顔だ。
「前回から肉まん肉まんって……そんなに食べたいならあとでコンビニ行って買ってくるよ」
「前回って、何その時間軸?」
「ああ、またこのやり取りか……」
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