テラーノベル
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⒊
翌朝。かなたは、カーテン越しに差し込むやわらかな光で、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
ぼんやりと視界が明るくなっていく。天井、白い天井。木目のある天井板の一部に、朝日が斜めに差し込んでいた。
「……あれ…?」
目をこすりながら顔を横に向けると、すぐそばに見慣れた後ろ姿。長いツインテールが少しくしゃくしゃになっていて、その先が朝の光にうっすらピンク色に透けていた。制服ではなく、パジャマのゆるいシルエットに包まれた背中が、規則正しい呼吸に合わせて小さく上下している。
「トワ……?」
どうやら、泣き疲れてそのまま眠ってしまったらしい。あのあと、どんな会話をしたかもあまり覚えていない。ただ、気がつけば、すぐそばにトワがいた。トワの腕の中で、僕は安心して眠ってしまった。
枕元に置かれたコップには水が入っていて、ハンカチが静かに畳まれている。
( …トワってば、いつもこうだよね )
そっと身体を起こしながら、かなたはトワの寝顔を見下ろした。まつげが長くて、目を閉じていると普段のツンとした雰囲気がすっかり抜けて、どこか無防備に見える。
少しだけ、心が温かくなった。昨夜泣いていた心の傷が、薄く膜を張るようにおさまっていくのを感じた。
「……ありがと、トワ」
かなたは小さな声で呟いてから、そっとベッドを抜け出し、着替えに手を伸ばす。
一方で、トワは完全には眠っていなかった。かなたの動く気配をうっすらと感じながらも、目を閉じたまま静かに息を潜めていた。
( かなたの”*ありがと*”……今の、聞こえた )
胸がじんわりと熱くなっていくのを感じながら、トワは目を開けなかった。ただ、唇の端がほんの少しだけ、勝手に緩んでしまっていた。
( …もっと、頼ってくれていいのに )
そんな想いを心の奥にそっと閉じ込めて、ふたりの一日は、また始まっていった。
制服に着替え、トワは洗面所で軽く顔を洗った。冷たい水が頬に当たるたびに、昨夜の熱が静かに落ちていくような気がして、自然と気が引き締まった。
「……ふぅ。さて、今日もいつも通り、か」
鏡の中の自分に軽く言ってから、部屋に戻ると、かなたはすでに鞄を背負って、ベッドの隅にちょこんと座っていた。
「トワ、早く〜。今日さ、テニスの朝練あるから、ちょっと急ぎたいかも」
元気そうに声をかけてくるその顔は、もうすっかり**「いつものかなた」だった。けれど、トワは気づいている。かなたの目の奥に、まだ少しだけ残っている寂しさの名残に。**
「はいはい、わかってるって。……先行 ってれば?」
「え、やだ。一緒に行く」
「……なにそれ、子ども?」
「トワが子ども扱いする〜!」
そう言ってふたりは、まるで何事もなかったかのように笑いながら寮を出た。
校舎までの道のりは、まだ朝の空気が冷たく、湿った芝の匂いがほんのり漂っていた。制服のスカートが揺れ、並んで歩くふたりの影が長く伸びる。
「トワってさ、陸上部なのに朝練ないの?」
「今日は顧問の都合で午後練だけ。……まぁ、かなたの応援に行ってやってもいいけど?」
「えっ、ほんと!? うわーやったー!トワ来てくれるなら、めっちゃやる気出る!」
かなたがくるっと回って、楽しげに笑う。その笑顔がまぶしくて、トワは思わず目を細めた。
( ああ、ほんとバカ。そんな笑顔、もっと近くで見たいのに )
だがその想いは、言葉にはしない。
学校の門をくぐると、廊下にはもう数人の生徒がいて、教室からもガヤガヤと声が聞こえてくる。朝の喧騒が始まりつつある中で、かなたはトワの袖をそっと引いた。
「……ありがとね、昨日」
その一言は、まるで風に紛れるような小さな声だったけれど、トワにはちゃんと届いた。
「別に。おまえが泣き虫なだけでしょ」
わざとつんとした態度で返したが、かなたはふふっと笑った。
「うん、泣き虫かも。でも、トワがいてくれるなら、泣くのも悪くないかも」
その瞬間、胸の奥に火が灯ったような感覚がして、トワは小さく舌打ちをする。
「……そういうの、からかってると本気にするから、やめなってば」
「え? 本気だけど?」
かなたはそう言って、いたずらっぽくウィンクした。
まるで、何も知らない無邪気な天使のくせに。
トワの胸の奥で、またひとつ、何かが焦げた。
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コメント
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