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朝からどんよりと垂れ込めていた鈍色の空が、昼休憩直前に冷たい雨粒に変わった。
傘を持っていない瑠璃は、コンビニへ行くのを諦め、仕方なく社員食堂へと足を向けた。
ショルダーバッグから財布を取り出し、立ち上がった瞬間、すでに寿の姿はそこになかった。
(建のことが片付いたら、次は黒木さんと寿……人間関係って、本当に面倒くさい)
ため息が自然と漏れた。
人付き合いが苦手な瑠璃にとって、寿は十年来の、唯一無二の存在だった。
高校の体育の時間、柔軟体操でペアが決まらず途方に暮れていた瑠璃に、明るく声をかけてくれたのは寿だった。
「ここ、いい?」
「あ、はい」
「同級生に『はい』はないでしょ。うん、よ、うん!」
「う、うん……」
あの日から、すべてが始まった。
それがまさか、こんなことで壊れてしまうなんて――
瑠璃は小さく首を振りながら、食券販売機の列に並んだ。突然の雨で食堂は混雑していた。
定食のお盆を運ぶのも億劫で、瑠璃は気合いを入れるようにカツ丼を選んだ。
千円札が吸い込まれ、チャリンチャリンと硬貨が落ちる。
「美味しいね」と言い合える相手のいない一人飯ほど、寂しいものはない。
「はい、お待たせ。カツ丼ね」
「ありがとうございます」
黒いトレーに丼を乗せ、周囲を見回す。
どの席も埋まっていて、困り顔で立ち尽くしていると、秘書課らしき女性二人が気を使って席を譲ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
ようやく腰を下ろし、ほっと息をつく。
丼の蓋を左手で押さえ、右手でぐいっと引き上げた瞬間――ポカッ。
勢い余ってワカメと油揚げの味噌汁が溢れ、黒い箸が汁に浸かった。
また、ため息。
濡れた箸で豚カツを摘み、もしゃもしゃと頰張る。
滲み出る肉汁に、ほんの一瞬だけ心が和んだ。
そのとき。
目の前の椅子に、細い手が掛けられた。
ギシッ……と赤い背もたれが軋む。
「ここ、いいですか?」
「はい」
聞き覚えのある声に、瑠璃はゆっくりと顔を上げた。
そこに立っていたのは、寿だった。
「あんた、友達に『はい』はないでしょ。うん、よ、うん」
その瞬間、瑠璃の口元が大きく歪んだ。
頰張っていた豚カツの切れ端が、ボトリとトレーの上に落ちる。
小皿のたくあんがひっくり返り、米粒のついた箸が小刻みに震えた。
「ふぇぇぇ……」
「あ、あんた! ここで泣くとか反則でしょ!」
「だって……」
「あぁ、もう! 私があんたをいじめてるみたいじゃない!」
「ご、ごめんなさい……」
「ちょ、止めてよ!」
「ごめんなさいぃ……」
「もう!」
涙声で繰り返す瑠璃と、慌てて宥めようとする寿。
二人のやり取りを、食券販売機の列に並んでいた黒木が、細めた目で静かに見つめていた。