胸元に、外壁にも描かれていた犬・猫・ウサギのシルエットがあしらわれているのも可愛いな、と結葉は思って、我知らず入り口で立ち止まってしまっていた。
「あの、初めてなんですが」
結局受付女性にニコッと微笑まれて小首を傾げられた結葉は、慌てて言葉を紡ぐ。
「では……こちらにご記入をお願いします」
クリップボードに挟まれた書類と一緒にボールペンを手渡された結葉は、記入台に移動して空欄を埋めていきながら人間の問診票と大差ないな、と思っていた。
福助はハムスターだから、ワクチンなどの欄は埋めずに、お迎え日や飼育環境、食べているフード、来院理由など関係のありそうなところだけ埋めて、「これで……大丈夫でしょうか?」と受付女性に手渡す。
彼女は結葉が書いた問診票にひと通り目を通してから「はい、大丈夫です。――では小林さん、空いているお席に掛けてお待ちくださいね」と微笑む。
結葉はその言動にホッと胸を撫で下ろすと、福助を抱えて長椅子の空きスペースに腰掛けた。
***
「山本さん、チョコちゃん、第一診察室へお入り下さい」
診察室内にマイクでもあるのか、スピーカー越しの声が待合室に流れる。
そういえば先程から第二、第三診察室の患者達も皆、あんな感じで呼ばれていたけれど、第一診察室の先生の声だけが妙に記憶に残るような?と気がついた結葉だ。
(これってきっと、すっごく好みの声だからだ)
そう思って意識して耳をすませてみれば、第二、第三診察室の先生方の声も別に嫌な声ではない。
第二は女性、第三は男性の声で呼び出しが掛かっていて、その度に第一と同じように各々の診察室へも飼い主と患畜が入れ替わり立ち代わり出入りしていた。
だけど、やっぱり意識的に全診察室の音を拾おうとしている時でさえ、第一の先生の声は、結葉の耳を奪って意識をさらう。
(一体どんな先生なんだろう)
声がいいと必然的にハンサムなのではないかと思ってしまうのは、人間のさがだろうか。
ふと見つめた先、第一診察室のドア横に取り付けられた四角い表示プレートには、『診察室1 担当医 御庄偉央』と書かれていた。
(御庄、偉央……かな?)
それを見て、結葉は、『みしょう動物病院』の「みしょう」は「御庄」と書くんだ、とピンと来た。
(ってことは第一診察室の先生が院長先生?)
母美鳥が、『みしょう動物病院』の獣医師は、若い先生だと言っていたのを思い出して、もしかして母が言っていたのは第三診察室の声の主かしら?とか思ってしまう。
声の感じからすると、第三の先生の方が第一の落ち着いた雰囲気の響きを持つ声の主より、若干若い気がした結葉だ。
とはいえ、第一の御庄先生も、中年男性な印象ではない声の張りで、どう考えてもせいぜい壮年といったところ。
(どの道お若いことに変わりはないよね)
まだお顔を拝見したわけではないし、いくつぐらいの先生かは声からの、結葉の自由気ままな憶測でしかないけれど、あの感じからするときっと30代そこそこだと思う。
そんな若さでこんな大きな病院を切り盛りできるなんてすごいなぁと、手持ち無沙汰なのをいいことに、想像力豊かに勝手にあれこれ思い浮かべて感心してみたり。
そんなアレコレを夢想しながら見つめた第一診察室のプレートの空きスペース――担当医の文字の上――には、ハムスターとウサギとフェレットのシルエットが描かれていた。
目を凝らしてみれば、第二、第三にも同じ種類の札が付いていて。
だけど各々担当医の文字上の生き物が、第二は小鳥とトカゲ、第三は犬と猫……とデザインが違っていることに気がついた。
そう認識して見ると、各診察室に呼ばれて入っていく患者達が連れている生き物が、ほぼ室名札のシルエット通りに見えてきて。
(もしかして……先生方ひとりひとり、得意分野の生き物が違うってことなのかな?)
考えてみれば、人間は身体の部位ごとに眼科、内科、皮膚科、耳鼻科など専門分野が分かれている。
獣医師はこれらを総合的にこなし、なおかつ診る対象も種類がバラバラなのだから大変に違いない。
こんな風に得意な生き物ごとに担当医が設けられていても、何ら不思議ではない気がした結葉だ。
ハムスターと一緒に来ている結葉が呼ばれるのは、第一診察室だろうか?
土曜日だからか、待合室は結構混み合っていて、診てもらえるまでに時間を要するかな?と思った結葉だったけれど、自分が思っていたより大分早く呼ばれた気がする。
「小林さ〜ん、福助く〜ん、第一診察室へお入りください」
結葉と福助が呼ばれたのは予想通り第一診察室で。
好みのイケボだと脳が認定してしまった声で――苗字だけとはいえ――自分の名前を呼ばれるのは、何だか結構照れ臭くて。
(ハムスターやウサギやフェレットを連れた飼い主さんが少なかったのかな?)
結葉はまるでその照れを誤魔化すみたいにそんなどうでもいいことを思ってしまった。
***
診察室に入るとすぐ、ど真ん中に白い診察台があるのが目に入った。
その診察台の向こうには幅広のデスクが壁にぴったり張り付くように設置してあって、机上にはデスクトップパソコンが1台と、高性能そうな顕微鏡が1台置かれていた。
机下の下肢空間にはキャスター付きの丸椅子が収納されていて、顕微鏡を覗いたりパソコンを操作したりする時に、先生がそこに腰掛けるのかな?とか思った結葉だ。
椅子に座った際に見えるであろう正面の壁には 照明付ディスプレイがあって、結葉はレントゲンの説明などもここで聞くのね、と実感させられて。
いつも自分がお世話になっている内科などの診察室とは少し様相が違うけれど、ここも紛れもなく病院なんだな……と当たり前のことを今更のように思ってしまった。
動物病院に来た事自体初めてだった結葉は、物珍しさにキョロキョロしすぎてしまったらしい。
「――今日は福助くんの健康チェックと飼育のアドバイスでよろしいですか?」
クスッと笑う声がして、そんな声が掛けられる。
それは待合室にいた時、散々結葉が心奪われた、低く甘やかに響く美声。
どうやら一通り結葉がキョロキョロするのを待っていてくれたらしい声の主は、先程受付けで結葉が書いた問診票を見たんだろうという質問を投げかけてきた。
「あっ、――はいっ」
つい物珍しさから先生の存在をすっかり忘れていたことを恥ずかしく思って、ぶわりと顔が熱くなったのを感じた結葉は、そこで初めて声の主を視界に収めた。
さすがに照れのせいでまともに見つめることは出来なくて、うつむきがちにチラチラと垣間見たその人は、ターコイズブルーのスクラブの上に白衣を羽織っていた。
結葉より20センチくらい高い位置から、眼鏡の奥で柔らかな眼差しが結葉を捉えている。
髪型は綺麗にオールバックに整えられていて、目は切れ長。スッと通った鼻梁に、薄めだけど形の良い仰月型の唇。
目が与えるクールな印象を、黒縁の眼鏡と、微笑んでいるように見える唇の形が絶妙に打ち消していて、すごくハンサムな人だと思って。
芸能人だと言われても納得してしまうほどの美形に、結葉は思わず息を呑んだ。
(えっと――私、ドラマの撮影とかに乱入しちゃったんじゃないよね? あ、当たり前だけどっ)
御庄偉央という男は、結葉が思わず変な確認をしてしまいたくなってしまうような、そんな浮世離れした雰囲気を持つ超絶イケメンな獣医師だった。
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