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白山小梅
12
#借金
1,754
瑠維は春香の方を向くと、緊張を紛らせるように深呼吸をする。その姿を春香は黙って見守っていた。
「僕があの人から逃げた話はしましたよね。僕はずっとあの人が怖かった……だからあの人がいない、こことは違う場所に逃げようと決めたんです」
「違う場所……?」
彼は頷き、静かに俯いた。
「春香さんは引っ越したいと言っていたのに、僕がこの部屋へ誘わなかったのはそれが理由なんです」
それはずっと春香も気になっていたが、博之から何か理由があることは知らされていたから、どんな理由にせよ心のどこかで覚悟はしていた。
瑠維は顔を上げ、先ほどよりも強く春香の手を握りしめた。
「隣の県の海沿いの街に、セキュリティのしっかりした住宅街があるんです」
瑠維はスマホを開き、その街が紹介されたサイトを春香に見せた。それは高級住宅地として紹介されている場所だった。
「もう少ししたら購入した家のリフォームが終わるので、タイミングを見てそちらに引っ越すつもりです」
「購入した家……?」
驚きを隠せない春香に、瑠維は僅かに微笑んだ。
「驚きましたよね」
「うん、まさかそういう展開だとは思っていなかったから……いつ買ったの?」
「今年の初めです。友人との飲み会にあの人が乱入してきてーーどうやら何も知らなかった後輩が予定を漏らしてしまったようなんですが、もうあの頃の人間とは関わらずに過ごしたいと思って、知り合いのいない場所で再出発をしようと調べ始めたんです」
瑠維の手が春香の髪に触れ、ゆっくり優しく撫でていく。でも時折自信がなさそうに止まる手からは、彼の抱える不安が感じられた。
「内装のリフォームが決まって、工事も始まって、それを池田先輩に報告したその日に……」
「もしかして、それがあの日?」
思い出されたのは、二人が博之の店で再会した日のことだった。春香がハッとしたように声を出すと、瑠維は頷く。
「逃げるための家の工事が始まった途端に春香さんと再会して、あなたは変わらず素敵で、夢でしか見たことのない関係になれて……すごく嬉しいのに、複雑な心境も隠せなくてーー」
それは瑠維くんが私と離れたくないって捉えてもいいの? そう聞きたかったけど、逆に自分との関係が足枷になっているのだとしたら悲しくなる。
すると瑠維は春香の体に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「春香さんと一緒に暮らし始めて、こんなに満たされた時間があるなんて初めて知りました。だけど自分の都合にあなたを巻き込むわけにはいかないですからーーだから決めたんです。工事は終わるけど、しばらく引っ越しはしません」
「……ん?」
思っていた答えと違っていたため、春香は瑠維の顔を見上げて首を傾げる。
「どういうこと?」
「春香さんの勤務地が決まったら、二人でそこで一緒に暮らしませんか?」
「で、でも……家はどうするの?」
「あの辺りは別荘として使う方も多いそうなので、休みの日にあちらで過ごすのもいいと思うんです。今のところ、僕はどこに住んでいても出来る仕事なので」
「でも……んっ……!」
唇を塞がれ、その先の言葉が続かなくなる。しかも瑠維は春香の唇をすぐには解放せず、味わうようにキスを続けた。
「……僕があなたから離れたくないんです。そばにいさせてください」
「私だってそばにいたいよ……でも……」
「"でも"はいりません。じゃあ決まりですね」
瑠維は満足気にそういったが、春香としては自分の勤務地に彼を同行させることに、やや抵抗があった。
だからと言って、自分が全く知らない土地に行くことも少し不安が残る。
この間まではこの場所に残ることの方が不安で、違う場所で心機一転、新しい生活を始めるのもいいと思っていた。しかしいざ現実感が増すと、どちらも不安になってしまう。
今の春香には、どの選択肢が自分にとって最良の選択なのかがわからない。
それでも瑠維の決心は固く見えたので、春香はそれ以上は何も言うことはなかった。
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