テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
昨夜の玄関先、あと数センチで触れそうだった治くんの体温。
侑くんの絶叫で台無しになったけれど、その分、私の頭の中は治くんの「お預け」という言葉でパンパンに膨らんでいた。
翌日、三限目の世界史。
窓の外では部活動の掛け声が遠く響き、教室内には教科書をめくる乾いた音だけが流れている。
(……あ、ノート……)
スッ、と隣から使い古されたノートが差し出された。
治くんは頬杖をつきながら、眠そうに窓の外を眺めている。でも、その左手はしっかりと私のノートの端を押さえていた。
『昨日の続き。お返し、まだ完食してへん』
心臓がドクン、と跳ねる。
私は震える手で、その下に返事を書いた。
『侑くんに邪魔されちゃったもんね。……どうすればいい?』
ノートを戻すと、治くんはそれを一瞥し、フッと口角を上げた。そして迷いのない筆致で、さらさらと大きな文字を書き加える。
『日曜日。俺の家、来い。……ツムは合宿で留守や。……二人きりで、最高に美味いもん食わせたる』
「……っ!?」
思わず声が出そうになって、慌てて口を塞いだ。
治くんの家。しかも二人きり。
「最高に美味いもん」って、料理のこと? それとも、昨夜の「デザート」の続き?
「おい、宮! 桜町! そこ、授業中に何ニヤニヤしとんねん。集中せぇ!」
教壇から先生のチョークが飛んできた。
私は飛び上がるように背筋を伸ばし、治くんは「……すんません。献立考えてました」と、ちっとも反省していない様子で堂々と言い放った。
昼休み。
廊下で侑くんに捕まった。
「なぁ、朱里ちゃん! 治のやつ、日曜日に自分を誘ってへんか!? あいつ、俺がおらん隙に卑怯なこと企んどるぞ!!」
「えっ、あ、えっと……」
「……ツム。お前、ほんまに……死ね。……お前は合宿で泥水でも啜っとけ」
背後から現れた治くんが、侑くんの口に購買の巨大なメロンパンを丸ごと押し込んだ。
「むぐっ!? ふごっ!? 治、殺す気か!!」
「……うるさい。朱里、行くで。……日曜日のレシピ、もう決まったからな」
治くんは侑くんをゴミ箱の方へ押しやると、私の手首をギュッと掴んで、誰もいない階段の踊り場へと連れて行った。
「……朱里。……日曜日、絶対に来いよ。……おにぎりの具材より、もっと深いところまで、俺が教えてあげるから」
スナギツネのような細い瞳が、独占欲たっぷりに私を閉じ込める。
秘密のレシピ。
お米の甘さよりもずっと濃い、彼なりの「招待状」という名のスパイスが、私の胸を激しく焦がしていた。